玉野の1枚

随時玉野の紹介をします。

久しぶりのガイド

2020年09月19日 17時35分47秒 | 観光
「バス停からの旅企画」こんな企画を両備バスが実施。参加したのは若手の運転手(全員イケメン)
世界で初めて空を飛んだ「表具師幸吉」の看板。230年ほど前、京橋から旭側の河原。群衆の中に飛び込んだようで、池田の殿様から所払いになった。


八浜の八幡宮社務所横に、古い子供用のダンジリが倉庫に置いてあった。今では使われていないそうだ。


ここから両児山に登り、写真奥北川に八幡宮、快神社がある。 快神社は池田公が子宝に恵まれるよう祈願し、光政公が誕生したようだ。
北側は、1580年に宇喜多与太郎基家築城した八浜城の曲輪跡がある。


そして、南側には畝状竪堀が18本掘られており、敵方はこの畝を通って攻めあがる。


待ち受ける宇喜多与太郎軍は横堀(いわゆる塹壕)で待ち受ける。 この当時鉄砲が使用され、最新の守りだたそうだ。


山裾には、イチョウの大木がある。どう見てもV字に見える。


イチョウの大木は勝利のVなのだが、残念ながら、宇喜多与太郎は、ここからおよそ3km先の大崎地区 麦飯山ふもとの柳畑古戦場で、毛利軍の流れ弾に当たり戦死している。(1582年2月)
与太郎は伝説上では、脚気を患っており、およそ2.4kmほど(光南高等学校前)逃げて隠れていたが、追っ手につかまり死亡した。村人がここに社を建立(与太郎神社)遠くは県外からお参りに来るそうだ。(足腰の神様として祀られている。)
足腰を患っておらえる方は、午前中にお詣りすると良い。何故なら、休憩所が開いている時間であり、「与太郎煎餅」をここで購入し、お参りすると、特によく効く・・・・そんな噂を流している輩がいるとかいないとか・・




コメント
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