森かずとしのワイワイ談話室

平和・人権・地球・子育て・教育・くらし・そしてまちを語る

内向きの歴史認識からの脱却を 第12回大東亜聖戦大碑の撤去を求める集会

2012-08-06 11:11:00 | 平和のために
 護国神社境内に2000年に建立された大東亜聖戦大碑の撤去を求めて、毎年開催してきた全国集会も12回目を数えた。8月4日土曜日の集会では、講師に名古屋大学名誉教授の安川寿之輔さんを迎えた。講演は、「日本の戦争責任~福沢諭吉を通して~」と題された。

 安川さんは、「丸山諭吉」と独自の揶揄を込めた丸山真男批判を展開した。福沢諭吉は、有名な『学問のすすめ』の冒頭句で、「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」と人間全体の平等と近代民主主義を唱道したと言われているが、『学問のすすめ』の本質的内容を反映せず、福沢諭吉自身のアジア蔑視観や女性蔑視観という本質を覆い隠すものになっている。これを丸山真男は、誤解、曲解して、福沢を近代文化思想史の先達として評価しているとした。この評価は、丸山真男の門下といわれる文化人やジャーナリストbによって、今日にまで引き継がれ、日本の侵略戦争責任を曖昧にすることに加担しているという。その中には、筑紫哲也や佐高信の名前も含まれている。

 安川寿之輔さんは、2010年韓国併合と大逆事件100周年に行った歴史教育者協議会の第62回全国大会の記念講演レジュメ集を縦横に駆使しながら、近代日本明治期の「躍進の時代」、すなわち明治は明るい時代、昭和は暗い時代という時代イメージが、歴史認識の分断をもたらし、昨今の司馬遼太郎『坂の上の雲』の映像化につながってきていることを解き明かしたのだ。この思想こそ、大東亜聖戦大碑に思想に他ならない。文化人やジャーナリズムにも、絶対主天皇制の思想体系を批判しきれない弱さがあった。戦争賛美の言説が、「言論の自由」の名で許される日本の現状は、戦争への誘導の自由をも包含していることを厳しく批判しきる必要がある。

 現代における「明治の栄光論」は、とりわけ、若い政治家たちに広く受け入れられ、ポピュリズムの空気を助長する方向で働いている。アジア蔑視、日本の優越観念が実際上の国際関係の変化から、架空のものだったことが明らかになってきている。空虚な「栄光論」で内向きな自己愛撫に閉じこもるのではなく、人間存在の現実に目を開き、水平に人同士が結び合う新しい地球的連帯に向かうべき時代が到来しているのだ。そのために、真摯に歴史に学び、他者を受け入れる度量を身につける必要がある。

 大東亜聖戦大碑の思想、歴史観を批判し続ける今日的意味を再確認した。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。