森かずとしのワイワイ談話室

平和・人権・地球・子育て・教育・くらし・そしてまちを語る

大田昌秀さんを囲んで

2008-08-01 23:42:51 | 平和のために
 明日開催する大東亜聖戦大碑の撤去を求める全国集会の講師にお招きした元沖縄県知事で社民党前参議院議員の大田昌秀さんを小松空港まで出迎えました。折りしも、金沢21世紀美術館で上映会が行われた証言映画「ひめゆり」を途中まで鑑賞して、小松空港に急ぎました。那覇で1999年から大田平和総合研究所を主宰される御年83才の大田さんは、かくしゃくとして車中、そして夕食会まで、マスコミが書かない沖縄の事実について語り続けました。集団自決に軍命があったことは、文書の隠滅或いはそもそも文書は残さないようにしていた軍組織の鉄の規律からして、証拠文書はなくても自明のことである。むしろ軍命がなかったという証拠は出せないでいるではないか。戦争、軍についてあまりに無知なまま世論が誘導されていると言われました。
 鉄血勤皇隊に動員されて九死に一生を得た大田さんには、戦争を知らない世代が右翼の論壇で、沖縄戦を歪曲し、戦争を美化していることに深い憤りを感じ、社会にそれを受け入れる空気があることを強く危惧しているとおっしゃいました。大東亜聖戦大碑に、私よりも数歳年少の某国会議員が賛同の刻銘をしていることや福井県選出の某弁護士代議士が映画「靖国」に政治介入して結果的に全国PRしてしまうなど、若手国会議員にその傾向が強いことが危惧に拍車をかけているのです。今が憲法擁護にとって闘いどころと強調され、次期総選挙での必死の闘いを訴えられました。

 今夜は記憶に残る出会いが一つありました。大田さんが戦争に動員されたガマで出会った、尊敬すべき二人の軍医の一人が、庄田元県教組委員長のおじさんである遠藤幸三医師(故人)であったという話が出たのです。戦中体験を黙して語らなかった遠藤さんが、最晩年に陣中日記をもとに書き残した著書『青年医学徒の沖縄戦回想記』は衝撃的な戦場体験記です。庄田さんにいざなわれて90に差しかかった生前の遠藤さんにお会いしたことがあります。傷病者に青酸カリで自殺を強要するのが当たり前になっていた極限状態で、遠藤さんは人の命を守るのが医者の使命だとそれを制したことを大田さんは今もまざまざと憶えておられます。
 それで、急遽私は庄田さんに連絡し、夕食会に参加してもらったのです。亡きおじの回想と大田さんの回想が重なり合って、貴重な歴史が戦後生まれの出席者に共有されることになりました。期せずしてうまれた一期一会になるやも知れません。

 有事法制が安全保障の決め手のように思わされていますが、大田さんの既知の防衛庁幹部が、「国民の命を本気で守ろうとするなら、狭い島国日本に50基以上もある原子力発電所の存在をどうするのか手だてを講じるべきだ。」と述べていることを紹介されました。安全保障の本気度が見え透いているというわけです。同感です。
 もうじきやってくるヒロシマ、ナガサキ被爆記念日を機に、改めてあらゆる国のすべての核の廃絶を世界に訴えかけましょう。明日2日の集会が成功を納めますように。



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