きのう、あるお店で、自分が小学校、中学校でいじめにあっていたという方の体験を聴く機会がありました。その時の心の傷は今も癒えないこと、いじめに回っていた側の人は、その認識もなく、気軽に声をかけてくるが、今も話を返す気持ちになれない、だから同窓会には絶対にいかない。議員としていじめをなくすようがんばって欲しいというものでした。「踏まれた者の痛みは、踏んだ者には分からない」と言います。私も子どもの頃に友だちを傷つけたことがありました。そのことを思い出し、痛みを感じながら話を聞きました。
教員としての学級での実践では、子どもたちの力関係、言い分、すれ違い、その上で尚かつ、つながりを求めて随分汗をかいた、子どもたちに鍛えられたという体験があります。人権の教育とは言うが易く、行うが難しです。今の学校には一層、「深思熟行」する時間的環境がなくなる中、教師も選りすぐりの人が採用される分、却ってひとり一人に対する「人権マインド」が問われる結果になっているかも知れません。
教員としての学級での実践では、子どもたちの力関係、言い分、すれ違い、その上で尚かつ、つながりを求めて随分汗をかいた、子どもたちに鍛えられたという体験があります。人権の教育とは言うが易く、行うが難しです。今の学校には一層、「深思熟行」する時間的環境がなくなる中、教師も選りすぐりの人が採用される分、却ってひとり一人に対する「人権マインド」が問われる結果になっているかも知れません。