森かずとしのワイワイ談話室

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豊中市教育センター支援教育チーム視察

2012-05-19 07:17:43 | 森かずとしの子育て・教育相談室
 17日、能登キャラバン街宣から一路、大阪は豊中市に飛んだ。豊中市教育センター支援教育チーム視察のためだ。障害のある子どもが「地域で共に学び生き育つ」インクルーシヴ教育の課題解決を私はずっと目指してきた。金沢市教委も意識がだいぶ変わってきて、条件整備に前向きになっている。政権交代の少ない果実の内、最もプラスに動いてきたのが、障害者施策の改革だろう。保護者本人の希望を尊重し、地域の学校、通常学級に就学することのハードルは下がった。支援員の配置も随分進んできた。しかし、地域の通常学級を原則とすることや、医療的ケアを必要とする子どもの受け入れ態勢など重い課題はまだまだ残っている。全国でもこれらの課題にチャレンジし、先導している自治体のひとつが豊中市だ。私は、2003年に議員になって、初めての個人視察先として平和人権行政をテーマに豊中市を訪れて以来だ。白山市の古河尚訓議員の手配で、山本金沢市議と三人で、豊中市教育センターを訪問し、支援教育チームの野村チーム長から説明を受けた。学校現場出身者ばかりの意見交換とあって、よく理解し合え、課題も見えた。

 前夜の17日は、豊中市教委とも共生共学教育で密接につながり、大阪市立大を定年退職し、常磐会学園大学に移った堀 智晴先生と交流した。個の確立と人間のつながりあいをインクーシヴ教育の実践から追い求めてこられた方だ。金沢・松任のひまわり教室の実践に感銘を受けていて、徳田茂前代表とのつきあいは長い。その紹介で、交流が実現した。日本におけるポスト近代は、個の確立を主体に考えているが、新自由主義の心理的影響からか、若い世代では他者とつながろうとする意識が薄れ、学校現場でも集団的な授業実践力が衰えてきていると危惧されている。北欧の共生社会は進んでいるとは言え、特別支援学校を肯定している。これはこの確立が優先され、福祉的対象としての障害者の位置づけになっていると言う。障害者の存在との人間としての線引きそのものをなくしたい。堀さんは実践的学究ひと筋の人らしく共生の社会のイメージを熱く語った。

 18日、豊中市蛍池町にある教育センターを訪問した。私たちの視察を受け入れてくれたのは支援教育チームの野村チーム長だ。中学校の英語教員が共生教育の行政責任者になろうとはと笑顔で私たちを迎え入れてくれた。
 豊中の共生教育は、反差別の人々の闘いの伝統から生まれ、積み上げられてきた厚みを感じさせるものだった。

 言うまでもなく、豊中の共生教育は、人権教育が根底にある。「共に学び生きる」ことは、命の重みに変わりがなく、平等な存在であるひとりひとの子どもを大切にすることに他ならない。そのために1970年代から豊中市では統合保育が始まっている。看護師の配置で医療行為が必要な子どもの通園に対処している。それでも現在の課題は幼保からの個別の支援計画の小学校への引き継ぎだと言う。
 今日増加しているのは、知的、情緒、発達障害の子どもたちだ。人工呼吸器をつけたまま地域の学校に通っている子もいる。インクルーシヴ教育を行政制度として実施しようとすると、その意義についての説明を求められる。それは教育を通じての地域社会への参加だ。社会の中でこそ自己実現があり、そのための相互コミュニケーション力を身につけること、それが子ども時代からの人間同士のつながりを醸成するということになる。言葉にすると月並みだが、実践には山あり谷ありだ。生徒会が仲間づくりに取り組む。道徳教育のカリキュラムに障害のあることのつながりが位置づけられている。こうした教育から目の動きで理解する子どもが育つという。 
 教育条件では、現在8割の学校に介助員が配置されている。一日6時間、子どもがいる時間帯をカバーする。学生ボランティアからなる子ども支援員も週二回、4時間ずつ配置されている。授業のサポート、プール指導での介助、食事介助などを担っている。修学旅行には、看護師の派遣が行われ、希ではあるが医師の参加まである。1979年には、豊中市障害児教育基本方針が定められた。「学びの権利の完全保障」が掲げられた。そのための条件整備が進められてきたのだ。この精神が昨年「障害者基本法」の改正でまがりなりにも入った。「合理的配慮」の具体化をめぐって議論が深められている。

 さて、医療的ケアを要する子どもの受け入れ体制だ。対象の子どもは年々増加している。医療の発達で在宅生活、学校生活が可能になった。当然、学校での医療的ケアの体制が必要になってくる。豊中市は市立病院と連携している。そして市教委がパート職員として看護師を雇用している。このスタッフが保護者の要望と必要に応じて学校に入ることになっている。胃ろう、吸たん、投薬・・ 一般介助以外のケアがこうして豊中方式で行われている。豊中では教員の研修による対応には無理があると考え、実務スキルを身につけた専門スタッフの配置を行っていくという。この先には、スクールナースの配置共に福祉分野のヘルパー派遣や保健師との連携が必要になると見ている。現在は権が半額負担しているが、さらに財政的には大きくなる。医療・福祉分野との連携。今の大阪の状況でこれが進むのか?不安材料もある。全国の先進自治体の動向ゆえに気になる。

 市教委インクーシヴ教育の責任者として困惑するのが、親の意識の変化だという。個別指導を求める親の増加だ。豊中市では、就学指導委員会は事実上相談機能に徹し、保護者とのコンセンサスが成り立ってから年度末に就学先の指定通知を出す。それまでに、保護者と地域学校への就学を原則に学校情報を提供し、丁寧に話し合ってきた。しかし、その原則を支持する親が減ってきている。共生教育の原則との折り合いのつけかたに悩みが続いているそうだ。競争原理が蔓延し、人々が切り離され、社会が分断される中での親の意識の傾向だ。石川や金沢でも教育委員会の理解が進むのに反して、親の専門教育指向が強まるというジレンマに遭遇している。豊中でも例外ではないのだ。考えさせられる。

 ところで、中核市豊中市は、三年後までに隣接する豊能地区三市二町の単位で人事権の委譲を受けることになっている。橋下府政での教育改革の一環だ。私たち金沢市も中核市への人事権委譲を求めてきたが、都道府県教委の抵抗で止まっている。しかし、個の人事権委譲とて、競争原理の導入という側面がある。DVD作成など豊中も教員募集の準備に着手している。学区の撤廃と学校選択制の導入も予定されているという。「共生のまち豊中の教育」もこの先どうなっていくのか、先達としての豊中の行く末は、ひとり豊中の問題ではない。

 同じく橋下市政の元で早々と攻撃対象になっている大阪人権博物館「リバティおおさか」にも短時間訪問してきた。差別の現代の実例の展示削除、現代の民族差別の実例の削除、文化産業の一般的な紹介への変更など、展示内容への介入は報じられたばかりだ。そして補助金の廃止の問題に直面している。廃校になった小学校の建物を利用しているが、地区の人々の浄財で建設された重厚な建築物だ。ここに被差別地区と在日朝鮮人の人々が肩を寄せ合って差別撤廃の血の滲む闘いを展開して共生のまちを大阪に気づいてきた歴史がなぜ否定されるのか。私は憤っている。橋下大阪市長のコンプレックスの反転ではないかとも言われているが、学びの質について考えざるを得ない。

 少し長文になった。読破に感謝する。

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