そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

徒歩の旅 第88日 豊富町  民宿 あしたの城へ

2009年07月08日 | 2008年日本海側の旅
7月7日(月) 曇のち雨 (「鏡沼海浜公園」~豊富町・民宿「あしたの城」)



目を覚ますと4時前なのにもう辺りが明るくなっている。北国の夜明けは早い。
出発準備中のキャンプ場。太陽が鏡沼に映る。しかし予報では天気は下り坂。


洗面に行った水飲み場で、キャンピングカーで来ているという夫妻と話。昨日の「鏡沼しじみまつり」の盛況の様子を聞く。彼らは今年もたくさんシジミを採ったとのこと。
……と、その間にレジ袋に入れてザックの横に置いておいた食料が、カラスに狙われる。大声で追い払い、嘴による穴が開いた程度で済む。迂闊だったわい、危ない危ない。
6時、出発。今日は歩行距離が短いため出発もゆっくりである。
鏡沼海浜公園の一角にも松浦武四郎の像がある。
歌は「蝦夷人の みそぎなしける天汐鹽川 今宵ぞ夏の とまりをばしる」と
「ながむれば 渚ましろに成にけり てしほの浜の 雪の夕暮」の2首が書かれてある。後者はなにやら藤原定家のもじりのような……。


6時10分、セイコーマートで買い物。牛乳、食パン、甘納豆。
天塩市街を抜け、天塩川河川公園をちょっと眺めてから、国道106号線に入る。
6時45分、河口遺跡風景林に立ち寄る。


その後は市街地を離れ、「稚内天塩線」の国道106号線を北上する。


緑の丘の向こうは日本海。


ここにも廃屋がある。


牧草ロールももうお馴染みだ。


7時30分、交差点を左折し、天塩河口大橋をわたる。
天塩川は、石狩川(268km)に次ぐ北海道第二の長さ(256km)の大河である。


橋の上から、うっすらと太陽の光が雲間から漏れてくる天塩川の下流側と


上流側。


北海道に来たからこその、生まれてはじめて見るとてつもなく広い川とそれを取り巻く原野の景観。ふと、この雄大な自然に出会うためにここまで歩いてきたのかもしれないと思う。


7時40分、天塩川をわたると幌延(ほろのべ)町に入る。


後方を見ると、道路が大きくカーブし天塩川が光って見える。もちろん歩行者は一人もいない。


7時50分~8時10分、浜里(はまさと)駐車公園にて小休止。
昨日缶コーヒーと500円を貰った人のキャンピングカーが駐車しており、挨拶に行くが、まだ寝ているようだ。
歩き出した直後に降雨。一気に強くなり雨具を着用する。
以後しばらくは降ったり止んだりの繰り返し。
8時15分、「利尻礼文サロベツ国立公園」の立て札。


両側に花が咲く緑のサロベツ原野を行く。
エゾニュウの白、


エゾカンゾウやタンポポの黄色、


ハマナスのピンクとカラフルに咲いている。


8時35分、右手はるか前方、林立する何基もの風車が霧の中に浮かんでくる。


9時05分、雨の中をオトンルイ風力発電所の高さ99mの28基の風車が、3.1kmにわたって並んでいる横を通過。唸りをあげて回転している姿はまさに壮観である。


9時25分~35分、途中でサロベツ原野駐車場にて雨宿り。
昨夜考えておいた宗谷岬到達後の計画(礼文島で2泊、利尻島で1泊し利尻山に登頂、その後帰宅)に従って、礼文島の「桃岩荘ユースホステル」に7月10・11日の宿泊予約をする。ユースから、夕食後に参加自由の「ミーティング」というものがあり、21時ごろまで賑やかになるがそれでもよいかという奇妙な確認があり、構わないと答える。(実際に行ってみて、その確認の意味を理解することになる。)
10時10分、左手の北緯45度通過点のモニュメントは、あいにくの強雨に遭遇し、眺めただけで写真はなし。「北半球ど真ん中」。
その後も断続的に降る雨の中を、雨具を着脱しながら歩く。ザックにはカバーがかかったままで、残念ながらデジカメはザックの中にあることが多い。
その先で浜里パーキングシェルターに入る。ここは雨宿りにはよいが、腰を下ろせる設備は無い。ともあれザックをコンクリートに置いて一休みするが、寒くてじっとしていられない。このシェルターは、冬季の地吹雪などに対する避難施設で貴重なものであるが、今の自分には単なる寒風のトンネルに過ぎない。
10時55分、やがて道路は、電柱もガードレールも無い地帯に入る。右手から、遠くに低い丘、そしてサロベツの原野、真ん中に国道106号線、さらに左手にも原野、その先は日本海の波。あるのは路肩表示の矢羽根だけ、という景色がどこまでも続く。晴れていれば海上に利尻山が見えるはずだがこの天気では望むべくも無い。


向こうからチャリダーの青年が来、お互いに笑って挨拶。ちょうど持っていた飴を幾つかあげる。こちらは追い風だが彼の方は雨の向かい風で大変そうだ。
トラックの運転手やバイクのライダーが、手を振って通過していく。
11時10分、豊富(とよとみ)町に入る。


もはや路肩標示の矢羽根もない。左手は日本海の白い波頭。


11時30分、「稚内48km 稚咲内(わかさかない)5km」の距離表示を通過。


11時45分、相変わらずのサロベツ原野の景色が続く。
雨も再三降ったり止んだりし、雨具の着脱が鬱陶しいと思っていると、いよいよ本降りになる。
12時40分、天塩町を出てから初めて信号に出会う。稚咲内交差点を右折。雨の中、稚咲内の町はどの店も閉まっており買い物もできず。
体中が緑色に染まるかのごとき、緑滴る木々や草原の景色の中を、ゆるいカーブを繰り返しつつ民宿へ向かう。
13時20分、稚咲内の民宿「あしたの城」に到着。
直ちに衣類の洗濯・乾燥。洗っている間に、広間にある御主人のステレオで、モーツアルトの交響曲38番「プラハ」のCDを聞かせてもらう。民宿の広間は庭側が全面窓になっており、ガラス越しに緑の木々が、到着後さらに激しくなった雨に濡れている。時間がゆっくりと流れていく感覚に身を浸す。
夕食は、御主人の試行錯誤の結果という特製の牛乳鍋を美味しくいただく。食後は、牛乳鍋に使われている調味料当てクイズを楽しんだり雑談したり……。
御主人の話では、北海道の牧畜も様変わりしつつあり、牛が放牧されず牛舎でアメリカ産の飼料を与えられて、ニワトリのブロイラーのように飼育され始めているとのこと。それでは不健康であり美味しい牛乳は出ないだろうと言う。鍋の牛乳は、知人の放牧場で飼育されている乳牛のものだそうだ。それと、彼もかつて自転車で日本縦断をしたことがある、という話なども伺う。
夜、同室の若者が風邪気味だというので、手持ちの風邪薬をあげる。そう言えば、この3ヶ月間一度も風邪をひく事もなかったことに気づく。有難いことなり。
明日は早朝出発で一気に稚内までの予定。したがって宿泊代は一泊夕食付で4300円。


経費  5,111円      累計  322,415円
歩数  43,404歩     累計  4,462,912歩
距離  29km        累計  2,953km

(本日の到達地点――豊富町)



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