そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

徒歩の旅 第79日 岩内町  いわないマリンパークへ

2009年06月19日 | 2008年日本海側の旅
6月28日(土) 晴 (JR蕨岱駅~岩内町・「いわないマリンパーク」)



5時、蕨岱(わらびたい)駅を出発。


駅のすぐ先で、ニセコ方面に向かう国道5号線と別れて、寿都(すっつ)黒松内(くろまつない)線の道道9号線を上って行く。
5時05分、緑の稜線から朝日が差してくる。今日もよい天気になりそうだ。


5時15分、狩場山駐車場にて小休止。
ここは駅から1キロほどで、水飲み場、トイレあり。蕨岱駅で駅寝する人にとっては好都合。掃除をしていた夫妻に挨拶し、少し旅の話。このあたりがちょうど渡島半島の分水嶺になるようである。
5時20分、黒松内町に入る。町名の由来は、アイヌ語で「和人の女のいる沢」という意味の「クル・マツ・ナイ」。


坂を下っていくと、後ろから先ほどの夫妻が自動車で通りがかり、「随分歩くのが速いなぁ」と言いつつ、飴を両手に一杯くれる。
6時、セイコーマートで買い物。牛乳、ドーナツ、サラダせんべい、バターピーナッツ。
のどが渇き、牛乳では足らずすぐに自販機でペットボトルを買う。
6時35分、JR函館本線を見送って、いよいよ日本海に向かって本格的に坂を下って行く。


6時45分、黒松内川支流の熱郛(ねっぷ)川をわたる。きれいな川である。


7時10分、「制札(せいさつ)壱番の地」という立て札を通過。制札とは道路標識の原型。


江戸時代末に黒松内―ヲタスツ(歌棄)間の山道を開削した、佐藤親子の業績を顕彰している。


空は青く、牛の放牧や


「熊出没注意」の看板があるジャガイモ畑などを見ながら歩く。


途中で、放棄されたり壊れたりした酪農家の残骸をいくつか見かける。どういう事情があったのか? 夢破れて、刀折れ矢尽きたということだろうか?

 
8時~15分、南作開のバス停にて小休止、食事。
8時50分、北作開の追分で、雷電国道の国道229号線に合流、北上する。
国道229号線は、「ソーランライン」とも呼ばれている。
左手に寿都の風力発電所の風車が回っている。


9時10分、寿都(すっつ)町に入り、日本海に出て寿都湾にそって行く。風が非常に強い。


9時30分、明治時代初期の建築だといわれる「鰊御殿」という名の旅館がある。


海側には船着場と神社。


青い海の彼方、寿の都の風車が林立しているのが見渡せる。


9時45分、有形文化財の漁場建築「佐藤家」。佐藤家は江戸時代から「当地方随一の名家」だそうで、家屋の建築は明治時代初期。現在の漁場建築中で匹敵するものがない代表的な遺構とか。






遠く積丹(しゃこたん)半島を眺めつつ、冷たい強風に抗して行く。


ここで、カラスが胡桃を道路に置いて、自動車に轢かせて割ろうとしているところに出くわす。立ち止まって様子を見ていると、道路に胡桃を置いたカラスは電線に止まって車を待っている。話では聞いていたが、本当だった。
11時15分、幌別川にかかる橋をわたる。
11時55分~12時15分、島古丹バス停にて休憩。バス待ちの高齢の男性と話。彼は元漁師だが今は隠居して、今日は岩内までパチンコをしに行くとのこと。
12時40分、野津登トンネル(481メートル)。トンネルを抜けると蘭越(らんこし)町である。


12時50分、尻別川にかかる磯谷橋をわたる。


13時~15分、ようやく道の駅「シェルプラザ・港」に着き、休憩と貝殻細工の見物。
神奈川から来たという自転車の青年と話。同郷で話がはずむ。今朝ほど夫妻にもらった飴を分けてあげる。
今日の行程予定はここまでだったが、あまりにも時間が早すぎるので、思い切って岩内まで足を伸ばすことにする。
13時15分、出発。
午後は断崖絶壁が続く地域を通過、トンネルの連続である。しかし全てのトンネルに歩道がつけられており、ともかく自動車の恐怖からは逃れられる。
13時45分、このあたりから海に沿って断崖をトンネルで通過していくことになる。


14時、磯谷トンネル(640メートル)を抜け、
14時35分、すぐに入った長い刀掛トンネル(2754メートル)を抜ける。


ここを抜けると岩内町である。


14時40分~15時、小休止。振り返ると岬の突端に「弁慶の刀掛岩」がある。


有島武郎の文学碑があり、『生まれ出づる悩み』の一節が刻まれている。
 「 生まれ出づる悩み
  物すざまじい朝焼けだ。
  過って海に落ち込んだ 
  悪魔が、肉付きのいい右の
  肩だけを波の上に現は
  してゐる。その肩のやうな
  雷電岬の絶巓を撫でたり
  敲いたりして叢立ち急ぐ
  嵐雲は、炉に投げ入れられ
  た紫のやうな光に燃えて、
  山懐ろの雪までも透明な
  藤色に染めてしまふ。そ 
  れにしても 明け方のこの
  暖かい光の色に比べて、何ん
  と云う寒い空の風だ。
  長い夜の為めに冷え切った
  地球は 今その一番冷た
  い呼吸を呼吸をしてゐる
  のだ。  」


15時10分、引き続き、カスペトンネル(638メートル)を抜ける。右手上方に「弁慶の薪積岩」が見える。このあたりには「義経伝説」にちなんで命名されたものがいくつもある。衣川で死んだとされる義経が、実は生きており、北上して大陸へ渡る途中でこの地を通ったというわけである。
15時30分、弁慶トンネル(1048メートル)を抜ける。
15時35分~16時20分、雷電トンネル(3570メートル)の通過には45分もかかる。
16時30分、敷島内トンネル(146メートル)抜け、
16時35分、鳴神トンネル(273メートル)抜ける。
これで、やっと今日のトンネル地帯を突破する。これまでもそうだったが、長いトンネルは、入ったときはひんやりして歩いて火照った体には心地よいのだが、徐々に冷えてきて、時には寒いくらいにもなり、集中力・気力・体力が試されることになる。特に照明の具合で薄暗くなっている部分などは、車に注意するとともに足元の水・土砂の堆積・石などにも気をつけねばならず、緊張を強いられるところである。歩き疲れてくると、山の歌や美空ひばりや三橋美智也の歌などを唄ったりして気を紛らせたりすることもある。そして、出口近くではカミさんから言われている「お守りの呪文」を唱える、といった具合。(「お守りの呪文」とは「高名の木登り、高名の木登り」というもので、出典は『徒然草』。)
その後は近づいてくる積丹半島に向かって歩く。


17時10分、夕日が海上に煌く。


徐々に家並みが増え、岩内の町が近づく。
途中で自動車が止まり、「乗っていくかい」と言われるが、歩き旅の旨を説明し、親切心だけいただいて、お礼を言ってお断りする。
17時30分、スーパーにて買い物。トマト、缶詰、タルタルソース、氷砂糖、飴。
18時10分、道の駅「いわない」に到着。道の駅では泊まれないが、向かい側にある「いわないマリンパーク」内の、木田金次郎記念館横の芝生にテントを張って泊まることにする。

経費  1,512円      累計  293,220円
歩数  74,591歩     累計  3,934,568歩
距離  50km        累計  2,602km

(本日の到達地点――いわないマリンパーク)


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