そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

徒歩の旅 第18日 下関連泊

2009年02月14日 | 2008年日本海側の旅
4月28日(月) 晴 (「火の山ユースホステル」に連泊) 

休養日につき、ゆっくり朝寝。下関市見学と装備の補充等のため、10時少し前にユースを出る。高台にあるユースホステルから、緑の木々に囲まれた坂を日差しを浴びつつ下り、御裳裾川公園方面へ。


御裳裾川公園で、幕末の下関戦争で長州藩が使用した長州砲の実物大模型を見る。攘夷を掲げる長州藩は米・仏・蘭の艦船にこの加農砲で砲撃したが、英・米・仏・蘭の報復にあい大敗を喫した。この戦いがその後の長州藩の倒幕開国への方針転換の契機になったといわれる。 




こちらは旧式の天保長州砲。




また、ボランティアが身振り手振りを交えて、「源平壇ノ浦の戦」の紙芝居をやっていたので拝聴。紙芝居の後、彼から平家蟹の標本を見せてもらったが、やはりちょっと不気味な甲羅の模様であった。




その後、関門橋の下を通り、写真を撮りつつ下関駅方面に行く。


旧秋田商会ビルや




旧イギリス領事館、


下関南部(みなべ)町郵便局など、海峡のこちらにもレトロな建物がいくつかある。


さらに下関港を見たり、


「海峡ゆめタワー」方面も。


市内では、旅の装備補充と、久しぶりに書店に本を眺めに行った。
帰りに唐土市場を見物し、商店街で食料を買い、昼食。旧秋田商会で金子みすずの展示を見、
赤間神宮や、




日清戦争の講和記念館を見て、




のんびりユースに戻る。
夕刻、同宿者にBさんがやって来る。66歳、やはり徒歩で宗谷岬まで行くとのこと。これまでに日本百名山、江戸五街道、青春18切符での普通列車全区間乗車などの経験があるという旅の大先輩である。彼は大隈半島先端の佐多岬から来たとのことで、1日30キロ弱の歩行で、約100日で宗谷岬へという計画。こちらとほぼ同一の日本海沿いのルートだが、津軽半島から北海道に入り、内陸部(札幌、旭川、名寄)を行く。1日あたりの距離からすれば、僕の方が多少先行することになるかと思うが、ただし、こちらは休養日が多いからどうなるか。彼の方は休日は取らずに、毎日歩くと言っている。(……ちなみに、彼とはその後もお互いに連絡を取り合いつつ、励ましあって二人とも目的を達成しました。)今日の同宿は3人(Bさん、自転車で中国地方を回っているという60歳代の男性、それと僕)。昨日は5人だった。夜、ユースのベランダから関門橋の夜景の写真を撮る。


宿泊代は昨日済み。翌日に備え早寝する。

経費    2,385円    累計  69,442円
歩数  (20,095)歩   累計には加えず
距離     (?)km   累計には加えず




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