水瓶

ファンタジーや日々のこと

「郵便局と蛇」 A・E・コッパード

2014-09-23 08:38:53 | 雑記
コッパードという作家を、私は怪奇小説のアンソロジーに入っていた「消えちゃった」という作品で知ったんですが、
この短編集読んでみたら、特に怪奇小説の作家というわけではなかったようです。
作品にはたしかに幽霊が出るような出ないような、不思議なことが起きたりするんですが、
早い話が読後感はあんまり怖くはないです。ですが


さびしい。。さびしすぎる。。。


いっそにょろにょろぐでぐでした恐ろしいものが出て来て、
「ほげええええーーーっ」とかなる方がましだと思うぐらいさびしいです。
でもコッパードには、そのさびしさの後ろに、甘さひかえめとでもいったようなあたたかさが控えているようで、
読んで少したった後に、さびしいけど少しほっとするような気がします。ふしぎだなあ。

「ポリー・モーガン」という短編は、幽霊の恋人が窓から会いに来るという妄想を抱いた老婦人の話です。
(妄想じゃないかも知れませんが、、、)
老婦人は、幽霊と二人で夕食を食べるために、その時間だけ一人で部屋にこもってしまうのですが、
老婦人にかわいがられていた姪は、そんな妄想を抱いていることを良くないと思って、
幽霊が会いに来られないように、窓の蔦を切ってしまいます。
その後ほどなくして、老婦人は見るかげもなく衰えて、死んでしまいます。

介護の仕事ではよく、妄想を抱いた人の話を聞く時には、否定も肯定もせずに耳を傾ける、
という態度で受け止めるように言われます。
たとえそれが、他の誰にも見ることのできない、妄想や幻覚と呼ばれるものであっても、
そのカーテンの向こうには、その人にとってとてもつらい苦しい、悲しいことが隠されていて、
カーテンがあることで、なんとか生きていられる人もいるんじゃないかと思います。
ことに老年期に入って、カーテンの向こうに隠れているものを直視するに耐える強さがなくなってしまった人や、
また、カーテンが開けられても、後ろからしっかり支えてくれる人がいない時には、
カーテンはそのままそっとしておく方が、本人は幸せに生きられることもあるんじゃないかと。
(もちろんそれが、人にひどく迷惑をかけたり、傷つけたりするような妄想でなければ、ですが。
「ポリー・モーガン」では、老婦人は幽霊のことを自分でも少し恥ずかしく思っていて、
人には内緒にし、ただ夕食をひとり部屋でとるだけでした。)
時にはカーテンに映った幽霊が、つらい現実を受け止め、生きていく助けになってくれることもあるんですね。

「ポリー・モーガン」は悲劇的な結末を迎える話ですが、姪は後になって、自分が叔母にしたことを理解し、
おそらくはそのせいで自分に訪れた運命を受け入れます。
単に恐怖の暗示で終わらないこの結末に、コッパード独特のあたたかさがよく表れているような気がします。

奇妙で幻想的なものを書いていても、軸足はこちら側にしっかりと置いていた人という感じです。
どれも面白くて、展開が予想できませんが、私が特に気に入ったのは、
「うすのろサイモン」「王女と太鼓」、そして「ポリー・モーガン」でした。
でもコッパードは、読む時を選んだ方がいいかなあ。さびしくなりますよ。。。



土曜日の夕暮れ、大岡川上弁天橋から見えた虹の根元。
雨上がりの夕焼けの色で、赤い炎がたつようでした。


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