鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

落石注意

2014年12月30日 00時00分01秒 | 提言

 予定を立てるには、気象情報が大変重要な判断材料になっている。数ヶ月先までの長期予報はあまり当てにはならないが、一週間先までの予報は多いに役立つ。過去の情報の蓄積と、観測精度が高まった気象衛星や、観測地点が大幅に増えたこと等の複合的なデータ分析のお陰で、可能になったからである。とはいっても自然を相手に突如襲う豪雨、地震、火山噴火災害等は未だ予測不可能な段階から脱皮できていない。予測はあくまでも確率であり、的中確率の高さが問題なのであるが、災害を受けてから防備を始めては意味をなさない。

 山道を車で走行していると落石注意の標識に出会う。その場を通り過ぎるとほっとするが、果たしてそのような標識の意味はあるのかと遭遇するたびに感じている。注意を喚起することは大事なことであるが、管轄する行政部門、担当部署の責任回避に思えてならない。

 同様に、南海沖地震等の大規模地震の被害予測が発表されていて、最大規模の津波予測がどれだけの確率を持って発生するかは未知であり、落石注意の標識と同じ類と言ったら言い過ぎになるのであろうか。被災予測地域に居住している場所が含まれていなければほっとするだけであり、含まれていても自宅を高く頑丈なコンクリート壁を築き、地震対策や津波対策等が出来たとしても、安心できるであろうか。火災に遭えばそれまでで、地域あげての防災など可能性からしても期待できないし、実現性も低い。自己防衛では高台へ非難するぐらいであろう。

 広島で起こった豪雨による土砂災害や、御嶽山の火山噴火災害は何れも想定外と言うことで、多くの死者を出しても自然災害として処理され、報道は評論家が発生原因の分析や特定に始終し、口を揃えて人命救助優先が叫ばれる。絵空事になるかも知れないが、亡くなった方には心よりお悔やみ申し上げたい。

 人知を尽くし天命を待つではないが、危険といわれていた地域の住宅分譲とその許認可、活火山であっても休火山や死火山とされた火山の指定、シェルター設備もない活火山などは、どう考えても自然の責任に期することにした人知の限界を露呈したのであった。

 多くの災害事例の中には教訓として後世へ伝えていかなければならないが、その責務は誰が担うのであろうか、多くの衆生にはその荷は重すぎる。世の中は平和を願い実現する事へは労力を惜しまない大衆が殆どである。落石注意のかけ声だけでは何の改善にも役に立たない。為政者は特に熟慮して当たって貰いたいと思ったこの1年であった。