ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

ある友人の死 思い出すこと

2011年07月19日 23時03分05秒 | Weblog
さらに友人のことを書く。

 あの20代の日々とは何だったのだろうかーと映像が次々と浮かぶ。

 大きな西洋料理用の釜を自宅に用意してシチューをつくったり客人にふるまったり。大きなメデイアを辞めたあとは、四国で暮らしたり。そういえば急に年若い友人を連れてきたことがあった。運動家のタマゴだったが、いまではどうしているのか。

 それからほどなくして新大阪で店を出し、人のいい私は開店祝いに出かけた記憶がある。なかなか繁盛していた。

 東京に移ってからは、コンピューターの仕事もしていた。ポケットベル全盛の時代だから、随分前のことだ。機械オンチの私には真似できないすご腕と感じた。

 彼の家にもよく行った。閑静な住宅街に住まいして、羨ましい限りだった。

 それがどうして家を出たのか。こちらが遠慮して聞かなかった。そこがいかん。私が。いつも引いてしまう。いつも後悔する。

 会うたびに痩せてきた。かって90キロはあった彼とはとても思えなかった。また遠慮して聞かない。近況を根掘り葉掘り。いつも後悔する。

 それが今月8日に公園で倒れていたというのだ。時々電話をしていたが、電話は通じた。彼は元気だと錯覚していた。持ち物から彼の連絡先がわかったらしい。さぞかし驚かれたろう。遺家族は。

 彼は根っからの唯物論者で無神論者だったのかもしれない。しかし、あまりにもあっさりしすぎではないか。
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