ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

今年後半は5冊刊行

2011年07月24日 09時52分33秒 | Weblog
今年後半は単行本が5本ある。仕事は先送りというのではなく、7月に入り急に浮上した。

さてこなせるかはわからない。しかし著者と約束した以上は責任を果たさないといけない。

前半の最大の懸案だった本が昨日届いた。やれやれだ。

夏は仏事が重なり身動きできない。お盆も例年通り。日曜たんびに田舎の出向く日が続く。今年の夏は意外としのぎやすいのかもしれない。

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日曜新聞紙読書欄簡単レビュー

2011年07月24日 09時49分28秒 | Weblog
 ドイツの作家・思想家エルンスト・ユンガーが残した『パリ日記』(月曜社、3990円)-毎日―の最後のくだりがすごい。「日記は読書日記でもあり、大知識人ユンガーの思想的遍歴を辿る上でも貴重な資料となっている。訳者は七年前に脳梗塞(こうそく)で倒れ、介護ベッドで翻訳を完成したが、出版社が後込(しりご)みしたために三〇部だけ自費出版。本書はその再刊である」。訳者山本尤の執念がこの書を生んだ。
 ユンガーは一九九八年に一〇三歳で没した人だが、第一次大戦の苛酷な体験を『鉄鋼の嵐の中で』で肯定的に描いてデビュー、反ナチの立場で描いた『大理石の断崖の上で』で知られてもいる。第二次大戦下ではパリの参謀本部で軍とナチ党の確執を巡る関係資料収集の任務を行い、一九四一年二月から一九四四年八月までパリで暮らした。この書を鹿島茂は「占領下のパリの詳細を知りたいと思う者にとって長らく翻訳が待たれていた第一級の資料である」と評価している。
 ユンガーはさまざまな作家と出会う。コクトーは「正午、シャルル・フロケ通りのモランのところ。そこでガストン・ガリマールとジャン・コクトーにも会う。(中略)コクトー。好感のもてる人物だが、同時に、特別の、何とか快適に住める地獄に留まっている人物が抱くような苦しげな悩みを抱いている」。セリーヌは。「彼【セリーヌ】はわれわれ兵士がユダヤ人を射殺しないこと、絞首刑にもしないし、絶滅させることもしないことに奇異の念を抱き、驚いていると言う。(中略)こうした人間はただ、一つのメロディーしか聞く耳をもたない。しかしそのメロディーは異常なまでに迫力のあるものである。彼らは鋼鉄の機械であって、解体されないかぎり自らの道を辿(たど)る」。そのほかポール・モラン、マルセル・ジュアンドー、ブノワ=メシャンなどの記述がある。しかし作家だけではなく、最も親しかったのが古書店主であり、頻繁に登場するのが女性である。鹿島が引用した文はで「私は女性との精神的な出会いに喜びを見いだすためにこの歳(とし)まで生きて来たといわねばならなかった」。パリジェンヌをこよなく愛したのがユンガーなのだ。本書には戦争の残忍さを聞いたユンガーやヒットラー暗殺計画も知る。計画関与は免れたが、日記での記述は実に生々しい。訳者が病に倒れて7年、ここに多くの方に読まれる書として登場したことに敬意を表したい。

 林壮一『オバマも教えないアメリカ』(新潮新書、735円)-毎日―は現地で高校教師を務めた経験をもつ著者が取材したアメリカのもうひとつの姿だ。登場人物が苦しみの底で、どこか幸せを握りしめるーと評者は書いている。アメリカを否定も肯定もしないが、著者は子どもにはアメリカ国籍を持たせようとしたと紹介している。アメリカえお否定しはしなかったというメッセージだろう。


 室謙二『天皇とマッカーサーのどちらが嫌い』(岩波書店、2205円)ー朝日ーもアメリカを描いた本でもある。前述した本でも子どもにアメリカ国籍をとらしたと書かれていたが、室の朝日の紹介記事(著者に会いたい)でもこう答えている。「アメリカには、非アメリカ的アメリカを維持する態度があった。非日本的な日本人としてそのまま日本に暮らすよりも、アメリカで暮らす方がずっと楽だったんです」。日本からもアメリカからも独立した人間の自由な精神のありようを描いたのが本書だと紹介されている。日本に住み続けているわれわれの陥穽をこの本で知ることができるかもしれない。

 開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社、2310円)ー朝日は、大半が3・11以前に書かれた。受動的な存在を否定するところにこの本の大きな主張がある。書評では「中央と地方」「戦後成長」をキーワードに書かれているとある(評者上丸洋一)。福島県の女性のインタビューが引用されている。「出稼ぎに行って、家族ともはなれて危ないとこ行かされるのなんかよっぽどいいんじゃない」。あわせて書評では水上勉のエッセ「『原発の若狭』のこと」の文が引用されている(『原発切抜帖』所収)。

 デイビッド・ヒューム『道徳・政治・文学論集 完訳版』(名古屋大学出版会、8000円)ー読売ーで紹介された所収エッセーは是非読んでみたい。「厚顔と謙虚さについて」「人間の本性の尊厳ないし卑しさについて」。前者は才能をこれみよがしに見せる厚顔人士に対してそれを隠す自然な傾向がある謙虚人士をあげる。最後に厚顔人士は恥は恥を呼ぶことで空しく装うのであるという。後者は賢明や有徳は知恵や美徳の質の度合いにかかわるものではなく、或る人との比較作業から生まれると説き、賢人はいないと断定することは実際に何も言っていないことに等しいと。高い知恵をもつ人は必ずいると山内はヒューム流に言う。無政府状態の日本をもう一度文明社会にと。評者山内昌之は菅首相に絶望しているらしい。静かに日本の政治を反省する本、そして勇気を与えてくれる本として紹介している。
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