ブログ「かわやん」

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 岩井好子さんの死を悼む 夜間中学生の賛歌を胸に

2011年02月09日 11時09分51秒 | Weblog
本日の毎日新聞奈良版ワイドに岩井好子さんの追悼文が掲載されたので、本ブログでも転載する。若干の加筆、訂正をしている。大阪の地方版は2月2日掲載しています。

悼む 夜間中学生の賛歌を胸に
岩井好子さん 元大阪市立天王寺夜間中学教師
すい臓がんのため 今年1月6日死去 ・85歳


 最後まで夜間中学生のことを気にとめ、4年前、背骨を傷めベットで動けなくなる直前まで、教え子が寄せる作文を添削して郵送する日々を送っていた。生徒はほぼ同い年の在日韓国・朝鮮人のオモニ(お母さん)たち。年齢は80歳を超えていた。「この子ら80になっても鉛筆を手放さへん」。手紙の主を時には「この子ら」と、時には「金さん」「朴さん」と親しみを込めた。
1925年大阪市生まれ。10代は水泳選手としてならし、当時の日本記録も持つとも聞いた。44年教員に。69年6月大阪市立天王寺夜間中学開校以降退職まで17年在籍。76年度生徒募集で大阪市などが「他府県居住者」を対象外とした。「私が住む奈良には夜間中学がない。生徒はどうなるの」と正強高校(現・奈良大学付属高校)校舎を借りて自主夜間中学校開校させた。夕食にうどんが出たことから「うどん学校」とも呼ばれ、78年4月に奈良市立春日夜中学開校を生む。この自主夜間中学から公立を迫るスタイルは夜間中学増設運動の先駆けに。川崎、天理、橿原、大阪市生野区で夜間中学が誕生したが、いずれも自主夜間中学の運営をへての開校が続いている。 

 岩井さんの夜間中学運動の先駆性はまだある。卒業生のための識字教室「麦豆学級」を86年から06年まで足掛け21年続けた。卒業生対象の成人基礎学習講座は近年、大阪市、東大阪市、守口市などで運営されているが、25年以上も前に産声を挙げていた。「やるー(やるじゃない)」が口癖。夜間中学生のことを四六時中考えてきた岩井さんらしい言葉だ。夜間中学生賛歌が凝縮されている。(ジャーナリスト・川瀬俊治)
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