李承雨さんという韓国の作家がいるが、はじめての翻訳単行本が出た。『生の裏面』(藤原書店)という作品だ。
▼8月30日に刊行されて、日本経済新聞、東京新聞に書評が載るし、毎日新聞の8月の「文芸時評」では「私のおすすめ」の1冊としても紹介された。
▼日本経済、東京とも「世界文学が韓国から出た」と評価された。意味するところは、韓国という歴史的、社会的制約、つまり想像力を狭い創造空間に閉じ込めるのではなく、事実を越えるため緻密な虚構でさらに掘り下げることで自我と対峙することで世界化したということ。つまり1つの普遍化に踏み込んだということなのだ。
▼言語にしろ、風土にしろ、あるいは自然にしろ、何らかの根ざすものがないと言語の志向性と探求性がなくなる。それは土台としてあるが、「特化」したなら閉じ込められたものに堕してしまう。その反対が世界化であり、普遍化ということだろう。
▼李承時さんの作品は実体験ともいえる不幸な幼年時代が出てくるが、私小説ではない。虚構を通じて生を描く。その手法は実に分析的にして知的であるがゆえに、小説化するために様々な技巧が駆使されている。
▼朝鮮半島の分断の悲劇や、民主化闘争などの時代は過去のものではない。常に波のように訪れている。それをテーマとして描くことは1つの世界であり、いまは個人が等身大の世界を描く作品が現れているのだ。
▼無論、個々人は社会的な大きな影を背負いながらも、自己切開をして個々人に現れる「生の裏面」を緻密にして感覚的に描くわけだ。その代表選手が李承時さんかもしれない。フランスでの評価が高いとは深い。現代思想の原水ともいえるフランスで韓国の作家に賛辞を送るのは、韓国が凝縮された思想を放っているともいえるかもしれない。
▼8月30日に刊行されて、日本経済新聞、東京新聞に書評が載るし、毎日新聞の8月の「文芸時評」では「私のおすすめ」の1冊としても紹介された。
▼日本経済、東京とも「世界文学が韓国から出た」と評価された。意味するところは、韓国という歴史的、社会的制約、つまり想像力を狭い創造空間に閉じ込めるのではなく、事実を越えるため緻密な虚構でさらに掘り下げることで自我と対峙することで世界化したということ。つまり1つの普遍化に踏み込んだということなのだ。
▼言語にしろ、風土にしろ、あるいは自然にしろ、何らかの根ざすものがないと言語の志向性と探求性がなくなる。それは土台としてあるが、「特化」したなら閉じ込められたものに堕してしまう。その反対が世界化であり、普遍化ということだろう。
▼李承時さんの作品は実体験ともいえる不幸な幼年時代が出てくるが、私小説ではない。虚構を通じて生を描く。その手法は実に分析的にして知的であるがゆえに、小説化するために様々な技巧が駆使されている。
▼朝鮮半島の分断の悲劇や、民主化闘争などの時代は過去のものではない。常に波のように訪れている。それをテーマとして描くことは1つの世界であり、いまは個人が等身大の世界を描く作品が現れているのだ。
▼無論、個々人は社会的な大きな影を背負いながらも、自己切開をして個々人に現れる「生の裏面」を緻密にして感覚的に描くわけだ。その代表選手が李承時さんかもしれない。フランスでの評価が高いとは深い。現代思想の原水ともいえるフランスで韓国の作家に賛辞を送るのは、韓国が凝縮された思想を放っているともいえるかもしれない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます