人間がいらいらする瞬間とは……。
用事で大阪に行く途中のことだ。電車の社内は意外とすいていた。前に座る御仁がやおらビニール袋からパンを取り出し食べだした。だいたい社内で何かを食べる場合は遠慮して隠しながら食べるものだが、この御仁はそうではない。年恰好は30台後半か。
パンを食べる姿を目にしたくないのに否応なく飛び込んでくる。「しゃーない人や」。
そこまでは我慢できた。というのはパンを食べ終わればその光景から解放されるからだ。
ところが強烈な第2弾があった。
腹が整ったなら、さてというわけか、かばんから郵送用の書類を取り出しそれをたたんで薄灰色の定型封筒に入れだしたのだ。書類は3つ折りだから、折るのに時間がかかり、また封筒には折り方次第で何度も入れなおさないといけない。それが2,3通では終わらない。延々と続く。
私のいらいらも極限に達した。
「このおっさんどうかして」と思わず口の中で叫んでしまった。
人間のいらいらはどう発生するのか。一応社会には一定の規範がありそれをことごとく破られると、いらいらを起こしてしまい、最後はそのいらいらの原因を排除しようとする。
裁判で被告席に座ることになるのはその規範破りの結果ともいえるが、逆に規範がおかしいものでも「自然なもの」として偽装されると、別におかしいと思わなくなる。差別行為であたりまえのように通るのはこの法則が底流に流れている。
今回は公共性にかかわるいらいらと排除意識だ。私の前の御仁は仕事を急いでいたのだろう。社内が仕事場に変わったのだ。偽装されたのは「電車内はかくあるべし」という規範の方なのだ。だからこそ御仁の行為こそまっとうな規範であり、私が叫んだ「どうかして」と思わず声を出すことは普通ではないのだ。
どうもそこまで考えないと堂々と続ける御仁の行為は理解できない。電車は目的の場所まで運ばれるための仮の場所ではなく、御仁の私的空間なのだ。
そう考えると電話内の携帯電話も女性の化粧もわかるし、高齢者に席を譲らない思考もわかる気がする。しかしいらいらする方が時代遅れとられてしまいかねない。
これを解決するにはどうするか。新たな規範を作らないといけない。以前の規範を持ち出して「かくあるべし」と説いても何らの解決の道が図れるわけはない。これは偽装された規範を乗り越える規範を作らないといけないことを意味する。二重規範なのだ。いつも、いまという時代は。
用事で大阪に行く途中のことだ。電車の社内は意外とすいていた。前に座る御仁がやおらビニール袋からパンを取り出し食べだした。だいたい社内で何かを食べる場合は遠慮して隠しながら食べるものだが、この御仁はそうではない。年恰好は30台後半か。
パンを食べる姿を目にしたくないのに否応なく飛び込んでくる。「しゃーない人や」。
そこまでは我慢できた。というのはパンを食べ終わればその光景から解放されるからだ。
ところが強烈な第2弾があった。
腹が整ったなら、さてというわけか、かばんから郵送用の書類を取り出しそれをたたんで薄灰色の定型封筒に入れだしたのだ。書類は3つ折りだから、折るのに時間がかかり、また封筒には折り方次第で何度も入れなおさないといけない。それが2,3通では終わらない。延々と続く。
私のいらいらも極限に達した。
「このおっさんどうかして」と思わず口の中で叫んでしまった。
人間のいらいらはどう発生するのか。一応社会には一定の規範がありそれをことごとく破られると、いらいらを起こしてしまい、最後はそのいらいらの原因を排除しようとする。
裁判で被告席に座ることになるのはその規範破りの結果ともいえるが、逆に規範がおかしいものでも「自然なもの」として偽装されると、別におかしいと思わなくなる。差別行為であたりまえのように通るのはこの法則が底流に流れている。
今回は公共性にかかわるいらいらと排除意識だ。私の前の御仁は仕事を急いでいたのだろう。社内が仕事場に変わったのだ。偽装されたのは「電車内はかくあるべし」という規範の方なのだ。だからこそ御仁の行為こそまっとうな規範であり、私が叫んだ「どうかして」と思わず声を出すことは普通ではないのだ。
どうもそこまで考えないと堂々と続ける御仁の行為は理解できない。電車は目的の場所まで運ばれるための仮の場所ではなく、御仁の私的空間なのだ。
そう考えると電話内の携帯電話も女性の化粧もわかるし、高齢者に席を譲らない思考もわかる気がする。しかしいらいらする方が時代遅れとられてしまいかねない。
これを解決するにはどうするか。新たな規範を作らないといけない。以前の規範を持ち出して「かくあるべし」と説いても何らの解決の道が図れるわけはない。これは偽装された規範を乗り越える規範を作らないといけないことを意味する。二重規範なのだ。いつも、いまという時代は。