あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

高松雄一対訳「イェイツ詩集」を読んで

2016-08-03 11:34:58 | Weblog


照る日曇る日第884回



アイルランドの詩人・劇作家のイェイツ(1865-1936)の代表作54編が左に原文、右に邦文と横書きで見開きになっている岩波文庫版の詩集です。

最初はケルト薄明の詩人といわれたが1910年代の対イングランド独立武装闘争(多くの処刑者を出した)を経てリアルで社会的な作風に転じたが終生藝術至上主義の詩人として世界的に高く評価されたそうだが、通読してもその真意は良く分からなかった。

記憶に値する詩篇を挙げれば、「私は歌のために上衣を作った。だが馬鹿どもがそれを盗み、(中略)裸で歩く方がもっと勇気のいる仕事だぞ」と結ぶ「上衣」、「叶わぬ恋に苦しみベッドで悶えのたうちまわりながら無知な美女を喜ばせるために書いた詩」に注釈をつける禿げ頭の「学者たち」、「anti-self」という彼の造語、「シェイクスピアの魚は遥かな沖をお游いだ。ロマン派の魚は手繰られる網の中で游いだ。岸に放り出されているこの魚どもは何だ?」と歌う「3つの運動」などだろうか。

ちなみにイェイツのlast romanticsという言葉は有名らしいが、なんとなくピアニストのホロビッツを思わせるなあ。

「選択」と云う詩では、彼はひとは「人生を完成させるか、仕事を完成させるか」2つの道を選ばなければならない、と迫っているのだが、私などはどうせ2つともいい加減に終わることが分かっているので、別にどうでもいいじゃないかと思うのだが、イェイツってきっと生真面目な人物だったのだろう。

もしも権力と全身全霊で対峙した詩人が、この国に生きていたら、「Why should not old men be mad?(「老人どもが怒り狂わずにいられるか?」の冒頭)と叫んだに違いないが、いっぽう最晩年1939年の「政治」の冒頭のように、「あの娘がそこに立っているのに、どうしてスペインの政治(内乱)などを気にしていられる?」とほざいたかもしれない。

彼の墓碑銘は「生も、死も、冷たい目で見ろ。騎馬の者よ、行け!」であった。


 イエーーー、イェイツ! 生も、死も、君のように冷たい目で見たいもんだ 蝶人

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