添田馨主宰の「Nemesis第10号」を読んで
照る日曇る日 第2127回
主筆による巻頭詩「ダーク・センテンス2」と掉尾の「中島みゆき<歌唱体>の研究1」、生野毅の広瀬大志詩集を巡る随想、アテーナによる映画評、青木由弥子の三島由紀夫論と
今号も粒ぞろいの力編がスクープされているが、私がいちばん惹かれたには伊藤菜乃香の「なりたい」という詩編だったので、その全篇を勝手に引用させて頂こう。
なりたい
わたしは貝になりたい
という詩があるけど
貝は硬くて痛そうなので
わたしはこたつになりたい
刃ではなく
こたつに包んで温めたい
なんなら
自分もぽっかぽかになりたい
角のとれた
誰もが安らいで眠ってしまうような
こたつになれたらいいなぁ
ここまでが前半。冒頭の「わたしは貝になりたい」だが、そういう題名の詩作品があるとは寡聞にして知らないが、1958年に橋本忍の脚本、フランキー堺の主演で放送されたテレビドラマは今でもよく覚えている。この詩が面白くなるのは、その後からだ。
世界中の人々が
こたつになって
こたつで満員電車
こたつ学校
こたつ株式会社
こたつ党
こたつ組合
でいいじゃないの
こたつ人民共和国で
いいじゃないの?
熱すぎたらパチンとスイッチが切れて
寒くなってきたらぽぅっと温め始めて
誰もが心地よい温度は同じだからね
素晴らしい知恵の発明品
誇るべき家電の精神を
見習って
おらっち、高尚なる隠喩だか暗喩だかを、脳味噌を絞ってでっち上げるゲンダイシジンのゲンダイシよりも、こおゆう安気な、あるいは安気を装った安気なものいいのほうが何層倍も好きなんだ。
「天丼の並ください」と口でいうパソコン画面で発注できず 蝶人