照る日曇る日 第1927回
今年これまでに読んだ本のなかで、もっとも面白く、エキサイティングな思想書がこれだった。
ともかく読むほどに、あのマルクスが、エンゲルスが、ヘーゲル、カント、ホッブス、スミス、レーニン、イエス、モーセなどの傑物が、頁の上にまるで生きた亡霊のようにスック、スックと立ち上がって来るという、そんな生々しさを感じることができたのは、ひとえに作者の6年越の忍耐と求心力、異常なまでの執着力と熱量の持続力の賜物だろう。
でも思想家の思想の最終的根拠は、その論理的真実や、客観的科学的検証に委ねることはできず、ひとえに彼の大脳前頭葉の内部の確信にしかないことを、私は吉本選手や梅原選手の規模雄大な所論を読むたびに痛感させられてきた。
この柄谷選手においても然り。彼はこれまでの人間社会を駆動させてきた力の根源を、マルクス経済学でお馴染みの生産力と生産関係ではなく、あえてABCD4つの交換様式の発現に求める。
「交換様式A」は「贈与に伴う物神、霊の力、「交換様式B」は「身の安全を保障する代わりに権力の支配下に入る契約の力」、「交換様式C」は「資本、貨幣、胞の力」、そして最後の「交換様式D」こそが本論と次代の本命であり、具体的には「交換様式B」と「交換様式C」の力に抑え込まれるなかで「どこか向こうの方からやって来た高次元でのAの復活」である。と驚くべきテーゼを柄谷選手は打ちだすのであるが、いったい柄谷選手以外の誰がその当否を判定できるだろうか?
「そこで私は、最後に、一言いっておきたい。今後に、戦争と恐慌、つまり、BとCが
必然的にもたらす危機が幾度も生じるだろう。しかし、それゆえにこそ、“Aの高次元で
の回復” としてのDが必ず到来する、と。」(引用終わり})
恐らくそれは今度の事態の推移によってしか証明できないだろうが、私がこれをけっして狂人の寝言とは思わず、「待てば海路の日和あり」と楽観できるのは、他の凡百の思想家よりも柄谷選手の天気予報に絶大なる信を置いているからに他ならない。
ちなみに拙著『佐々木眞詩歌全集』の全詩集の最後587頁「お花畑にひと」はおらっちだと思っていたが、もしかすると柄谷選手かも知れないぞ。
ミンミンがミンミンミンと鳴いておる耳はまだまだ大丈夫だぞ 蝶人