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あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

夫馬基彦著「按摩西遊記」ふたたび 

2019-02-24 11:05:58 | Weblog

照る日曇る日 第1204回


全編を通じて技巧の限りを尽くした達意の名文にうならされる。
まずは奇妙なタイトルで戸惑うが、この本は五十肩に悩む著者が実際に中国に旅行して按摩をしてもらう話、でもある。

しかし著者が出かけるのは中国だけではない。「肩が痛い」とこぼしながらサイゴンやニューヨークにも足を運び、NYではなんと滞在中に9.11同時テロ事件に遭遇する。チャイナタウン近辺のユダヤ人たちと水を得た魚のように付き合う作者は、さながら国産のウディ・アレンのようである。

インドで黄疸で死にかけたこともある著者は、かつてべトコンのテト攻勢に巻き込まれて九死に一生を得たベトナムを30年ぶりに再訪する。そして思い出の土地をさまよいながらその地で知った旧友の消息を訪ね歩くのだが、読者はその執拗な探究心にいささか辟易しつつも、この旺盛な探究心こそが著者のレーゾン・デートルであることを知るだろう。それはワールドトレードセンターの崩壊直後も現場に肉薄する野次馬根性にも共通する著者の「さが」である。

自分の周囲に存在する人間たちとその生き方への強烈な好奇心は、この作家の特徴のひとつで、身近な生活圏からモデルをピックアップして、そのモデルと自己との相関関係を微細に描き出す、現代では珍しいいわゆる私小説的な作品を著者は好んで書いてきた。

しかしこれは私だけの偏見かも知れないが、その限りなく実在に近いモデルを小説の中で取り扱う際、著者は必ずしもそのモデルのプライバシーに細心の注意を払ってきたとはいえないように感じる。著者の以前の「籠脱け 天の電話」にしても、自分の小説の芸術的価値を優先するあまり、モデルの人格的尊厳を毀損する傾向が多少とも感じられたので、私は愉快な気分で読み終えることができなかった。

しかし、幸いにも今度の「按摩西遊記」では、著者のまったく新しい地平が、周到な力技で切り開かれていることに私は驚いた。
若き日の世界放浪がこの作家の基盤を作ったことは間違いがない。著者は自己の懐旧の地を再訪することによって、若き日の自己に再会し、初老に達した自分と対峙させ、現在の自分の生のありようを鋭く追及している。
そこでは時間と空間の隔たりはたちまち解消され、作者自身もいくたびも解体され、いうならば瞬間ごとに再構築されている至福のときにあるといえよう。

そして本書のもっとも感動的な箇所は、この本のいちばん最後に登場する。
このくだりを読みながら、私は、なぜか「メタボリズム(新陳代謝主義)」という言葉を思い出した。人間の体は60兆個の細胞でできており、そのうち1秒ごとに1000万個が死滅して新しい細胞に生まれ変わっている。ミクロで見れば人間は2ヶ月余りでまったく新しい存在に再生していることになるというのである。

2006年に公刊された本書が世に出てから既に13年を閲したが、未だ新作誕生の声を聞かない。本日長逝された鬼怒鳴門氏、文芸誌に連載2本を抱える瀬戸内寂聴氏より20歳も若い畏友の奮起一番を、期して待ちたいと思う。

  如月に鬼怒鳴門氏逝く九十六日本人より日本人な人なりき 蝶人