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あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

シリーズ偽主婦の友社版「誰もが泣いて喜ぶ愛と感動の冠婚葬祭その他諸々満載挨拶スピーチ実例集!」

2017-10-17 20:42:24 | Weblog

蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話 op. 265


第7回 「7回忌法要での友人の追悼の辞」


大槻君が亡くなってから、もう6年が過ぎたとは、まことに歳月の流れは飛ぶが如くに早いものです。
*1さきほどこの会場に来る前に、大槻君が眠っている寿福寺を訪ねてみました。頼朝亡き後、妻の政子が宋から栄西を招いて開山したこの臨済宗のお寺には、三大将軍の実朝もしばしば訪れ、やがて鎌倉五山の第三位、七堂伽藍、塔頭(たっちゅう)十四を数える大寺となりました。朱塗りの総門を潜り抜け、源氏山を後ろに控えた社殿に向かって、磨り減った石畳の参道をゆっくり歩いてゆきますと、山門の向こうに柏槙(びゃくしん)の大木が悠然と枝を拡げ、歴史のある禅寺らしい佇まいが印象的でした。
*2伝統あるパリの美術学校ボーザールを首席で卒業した新進気鋭の画家大槻君は、この閑静な寿福寺境内にアトリエを構え、アヴァンギャルドな抽象絵画を精力的に描き続けました。
彼の作風は20世紀初頭、イタリアのミラノに誕生した前衛運動「未来派」の影響を受けつつ、そこに彼独自の東洋的なニヒリズムを加味したじつに斬新かつ独創的なものでありました。
*3大槻君のアトリエの壁には「未来派宣言」の起草者である詩人フィリッポ・トマゾ・マリネッティの「うなりをあげる自動車は『サモトラのニケ』よりも美しい」という有名な言葉が殴り書きしてありましたが、一方では大槻君の愛読書は寿福寺ゆかりの栄西禅師の著作『喫茶養生記』や西田幾多郎博士の『善の研究』でありました。
このことは、大槻君の芸術観が、西欧の超モダニズムと東洋的な神秘主義、激しさと安らぎ、速度と停滞、行動と迷走、生命と死、混沌と明澄……それらお互いの対極にある反対物を一挙に止揚する、アウフヘーベンすることにあったのではないかと推察するに十分なものがあります。
かつて西田幾多郎は「絶対矛盾の自己同一」という命題を掲げましたが、夭折した大槻君の遺作に向き合っておりますと、なぜかこの得体の知れない「絶対矛盾の自己同一」という言葉が口を衝いて出てくるのであります。
フランスの詩人マラルメは「万巻の書は読まれたり」と呟きましたが、死んだ大槻君もそのことはよく分かっていたのではないでしょうか。
*4よく分かった上で、1万8千年前のラスコー洞窟の壁画以来、現世人類が営々と積み重ねてきた絵画創造の歴史をもういちどゼロからやり直そうと蛮勇を振るっていたところに非情な死が襲ったのではないか。
私は親友の死について今はそのように考えております。
○ アドバイス
1) 前途有望な新進画家が筆を絶ってから6年が経過して、きょうは親しかった友人たちが画家ゆかりの鎌倉に集まった。逝去直後の悲しみは時の流れが徐々に癒してくれた。7回忌ともなれば、服装、あいさつのトーンもかなり日常的なものに変化させて構わないし、それは極めて自然な成り行きでもある。
2) かつて天才の異名をほしいままにした故人の華々しい経歴が改めて語られる。故人の親友である話者は、画家の死後もずっと彼の生涯と作品の意味についてじっくりと考えつづけてきた。そして7年目の結論が親愛の情を込めてゆっくりと語られる。以って瞑すべしであろう。
3) 「未来派」の運動は短期間に幕を閉じたが、動く物体の速度やダイナミズムを表現する若き芸術家のエネルギーは、ダダやシュールリアリズムの源流となり、戦後のポップアートや20世紀美術に決定的な影響を及ぼした。
4) 親友の遺業への愛情あふれる理解が胸を打つ。これも弔辞の新しい形ではないだろうか。


  ハルキよりイシグロが先に取ったけどノーベル賞は文学ではない 蝶人