照る日曇る日第997回

河出から角田光代さんの源氏が出たと思ったら、今度は岩波文庫から最新版の源氏物語シリーズの第一巻が刊行された。まだ新潮社の日本古典集成新装版も読了していないのに、これでは年が年中朝から晩まで「もののあわれ」の世界に入り浸っていなくてはならぬ。困ったことじゃ。
私が昭和43年に初めて買って、途中で投げ出した源氏物語は、山岸徳平校注の「岩波古典文學体系」であったが、注釈が本文から離れたところに散在しているので往生した。
たとえば冒頭の「いづれの御時にか」の「いづれ」がWhenではなくWhichであることは、巻末の補注を見るまでは分からなかった。
この点を大きく改善して、原文の上下左右に赤字も使って注釈をてんこ盛りに入れ、ほとんど「原文そのものを読んだ気にさせる」ところまで進化させたのが、新潮集成新装版であるが、今回の岩波文庫も、章の冒頭にあらすじを、右ページが原文、左が注釈という明快な割り切りを見せるなど、さまざまな創意工夫を敢行し、ライヴァルに追いつき、追い越そうと努力している。
ただ惜しむらくは、系図を章末ではなく、「あらすじ」の次に置いてほしかったと思うのは、私だけではないだろう。
さてこのたび私がこの1冊を読んで感嘆したのは、藤井貞和氏による「解説」である。
例えば、795首あると称される和歌が本文に沿いつつ逸脱して、独自の文学的空間を構築していること。
本筋の紫上系17帖と玉鬘系16帖などの傍系があって、その2系が藤と蔓のように複雑に絡まり合って成立していることで、そのありようについては古来さまざまな議論があること。
源氏は空蝉、藤壺宮、女三宮、朧月夜、浮舟の「5人密通」(5人とも罪障感ゆえに出家する)を柱とする「反秩序の闇の物語」であること。
六条院は紫上のためではなく、明石の姫君が入内するに際して、その里邸とするために急遽「少女」巻で構想されたこと。
六条御息所の守護霊は桐壺の家とその同族の明石の一族を守ろうとする代わりに、そのライヴァルの葵上、紫上、女三宮などに祟ること。
薫の恋が成就しないのは、母との葛藤がトラウマになった「阿闍世(出生の秘密を知る僧)コンプレックス」によるものであること、などなど、
本邦を代表するこの世界文学を俎上に、最新の知見をフルに生かして書き下ろされた、簡にして要を尽くした名解説あるがゆえに、本書はいっそう大きな値打ちを持っているといえよう。
長月の5日に逝きしとう元シュプール編集長山本大介 蝶人