照る日曇る日第706回
この巻では、林達夫、井伏鱒二、横光利一、舟橋聖一、伊藤整、高見順、大岡昇平、松本清張、武田泰淳、吉田健一、吉田秀和、福永武彦、中村真一郎、司馬遼太郎、吉行淳之介、辻邦夫、色川武大、開高健、井上ひさし、大江健三郎、村上春樹、野上弥生子、宇野千代、佐田稲子、河野多恵子、飯田龍太、岡野弘彦、多田智満子、谷川俊太郎、俵万智など数多くの作家や詩人、歌人、批評家の人と作品についてのエッセイが並べられていて、勉強になると同時に、自分がいかに不勉強であり、読んだこともない人々の作品の数が多いことに対して前途茫洋の想いにとらわれてしまう。
前途茫洋といえば確かに茫洋だが、少なくともその名前だけは知っているのだから、せめてここで取り上げられている作品くらいはぜんぶ目を通してから死にたいと思ったりするのだが、たぶんその計画と夢は叶えられずに泉下に没するのであろう。
泉下といえば、大岡昇平の箇所で彼の代表作を往時大流行していたバシュラールの「水と夢」などを振りかざして「水のある風景」として切ってみせたりしているが、これはちと強引すぎる手法で、そういう観念的な操作よりも永井荷風の「四畳半襖の下張」の裁判所における機知とユウモアみなぎる弁論趣旨書のほうがさらに面白かった。
面白かったといえば、松本清張の情熱的な顕彰で、これは私小説を唾棄し、壮大な社会小説を好む著者の面目が躍如していたし、小林秀雄の情緒的で腸ねん転的な酔眼講談批評よりも情理兼ね備えた吉田秀和の名批評を高く評価したり、幼少期の昭和天皇にまともな日本語を教えなかったことが、戦中戦後の重大な局面でいかに国運をあやまらせたかと説く「ゴシップ的日本語論」の方が、圧倒的に刺激的だ。
刺激的といえば、わが敬愛する「言葉は浅く、意は深く」とうたった詩人、堀口大學が歌会始の召人になったとき、「深海魚光に遠く住むものはつひにまなこも失うふとあり」と詠んだところ、当今は「よい歌をありがたう」と挨拶されたという逸話が紹介されていた。
逸話といえば、そのてのあれやこれやには事かかないわが私淑する宮廷の大歌人も、気骨稜々たる在りし日の大學に倣って、せめて生涯にただ一度なりとも、こういう天下を震撼させる一首を詠んでもらいたいものである。
なにゆえに冥土に向けて旅立たぬ天下を揺るがす歌詠めぬゆえ 蝶人