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あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

松岡達英著「昆虫の生活」を読みました。

2006-10-11 21:56:09 | Weblog
ボクはチョウが大好きなので、お庭にエノキを植えました。エノキはオオムラサキ、ゴマダラチョウ、テングチョウ、ヒオドシチョウなどの食草です。

ボクは特にわが国の国蝶オオムラサキを遠方から我が家に呼び寄せたかったので、この樹を植えたのですが、残念ながら今日までその美しい姿を見せていません。

ところで松岡達英さんの「昆虫の生活」はボクちゃんのようなよいこには絶対に欠かせないよい本です。

ボクはコムラサキの食草もエノキだと固く信じて毎日お空を眺めていたのですが、松岡さんの本によればエノキではなく、なんとイチョウだったのでびっくりしました。

ついでにご紹介しますと、アカタテハはカラムシ、ヒメアカタテハはヨモギ、キタテハはカナムグラ、各種のヒョウモンチョウはスミレ、キアゲハはにんじん、モンシロチョウは大根、キャベツ、ジャコウアゲハはウマノススクサ、カラスアゲハはキハダやコクサギ、オナガアゲハもコクサギ、ルリタテハはホトトギスやシオデ、コミスジはハギやクズ。ルリシジミはクララ、ベニシジミはスイバが食草です。

そんな貴重な情報がてんこもりの「昆虫の生活」は、いままで幻冬舎が出したなかで一番よい本だと思い○。

Bomb,Bomb,Bomb

2006-10-11 21:54:13 | Weblog


ボム、ボム、ボム!

北の国の地下で何かがはじけた。

ボム、ボム、ボム!

これはくたびれ果てた世界からの新しい弔鐘か?

ボム、ボム、ボム!

それとも新しい終わりの時代を告げる夜明けの歌か?

ボム、ボム、ボム!

金沢八景では季節はずれの花火が上がった。

ボム、ボム、ボム!

卓ちゃんの田んぼでは、今日もウシガエルの腹が裂けた。

ボム、ボム、ボム!

亮ちゃんのベランダでは、今日もサボテンの花がはじけた。

ボム、ボム、ボム!

健ちゃんのミニ万博は、今日も千客万来だ。

ボム、ボム、ボム!

耕ちゃんの心臓は、今日も元気に血液を運んでいる。

小澤征爾の音楽

2006-10-11 21:50:04 | Weblog


小澤氏は音楽そのものよりは、主として彼の類まれな人間性の魅力でここまで到達された方なのだと思います。

 病が癒えてまた楽壇に復帰されましたが、ウイーンでも日本でも今後彼の芸術が飛躍する可能性は残念ながらないのではないでしょうか。

 私も昔から彼のライブやCDには接してきましたが、数少ない例外を除いて心からの感銘を覚えたことはありません。

 とりわけウイーンオペラでのWagnerやモーツアルトやウインナワルツ等の演奏は思わず耳を疑うレベルのものが多く、かつてのトロント響、サンフランシスコ響との現代音楽や新日フィルとのブルックナーの交響曲第2番の演奏などがただただ懐かしいだけです。

 それよりも気になることは、これほど無残な演奏が多い割合には国内での評価がかつてのカラヤンのように異常に高すぎる!?ことです。

もしかすると日本の聴衆はくだらない演奏に対して「ぶー」をいう代わりに「ブラボー」を叫ぶ奇妙な風習があるのではないでしょうか? 私にはまったく理解できません。

 もうひとつ小澤氏の指揮を観察していますと、例えばオペラとか、ウイーンフィルとのブラームスの交響曲4番とかブルックナーの9番ライブ(余りにも悲惨な就任記念演奏!)にしても、いつも音楽の自然な流れをさえぎるような、わざと引き止めてぎくしゃくさせるような不自然な振り方をされています。

これはもしかすると、彼の恩師である有名な斉藤秀雄氏(有名な英語学者斉藤秀三郎の子)の指揮法の機械的な「たたきパターン」の悪しき面のあらわれではないかと、最近ひそかに考えている次第です。

ちなみに私は斉藤秀三郎氏の英和と和英辞典が大好きでときどきパラパラ眺めていますが、例えば、Love is like a pityという決まり文句を「可哀相だた、惚れたってことよ」と訳しています。

またうろ覚えですが、たしか漱石の「猫」だか「三四郎」の中にもほとんど同じような粋な日本語訳が出ていたと思います。二人とも落語好きの江戸っ子だったのですね。

葉っぱの王国

2006-10-11 08:53:57 | Weblog
 ラゾーナ川崎、表参道ヒルズ、六本木ヒルズなど大型商業施設が続々誕生しているが、それらに共通するコンセプトは、「町の中に町を作る」ことであろう。

 既存の街づくりでは不可能な衣食住有休知美の諸要素を広大な用地のなかで人為的に結集させ、近隣からの集客を図ろうとする彼ら。そこではレストランやセレクトショップやコンサートホールや美術館や高級ホテルが効率よく組み合わされて顧客の購買意欲をいやがうえにもかき立てようとたくらまれている。

 とりわけ注目に値するのは、それらコンクリートと鉄とガラスの建築物の内部と外部と周辺部に植物や樹木をとりこもうとする傾向である。安藤忠雄が設計した表参道ヒルズでは周辺のケヤキの高さを超えない低層建築が指向されたし、このビルの屋根は緑の植生が行われている。

 他の多くの高層建築でもアトリウムの内部には様々な樹木が繁茂しているし、ビルの最上部のならず壁面にも植物をはりめぐらせビルの温度を下げるとともに都市の二酸化炭素を吸収させることを通じて地球の温暖化を抑えようとしている。

 こうした「町の中の町」における緑化現象の進行は、まだまだ遅々としているが、これを大手町のビルの地下でひそかに行われている米の栽培(パソナ)や大都市のあちらこちらで行われている都市農業(ワタミ)の進展などとあわせて観察すると興味深いものがある。

 1つのビルの内部での植物含有度が増大するということは、金属や鉱物含有度が後退するということであり、猫も杓子も鉄筋コンクリートになびきはじめた建築素材様式が、木質住宅の反騰を含めておしかえされつつある証左とも考えることができよう。住まいの中で絶滅寸前まで追いつめられた木や草や茎や種子や花たちが、絶対多数と思われたコンクリートと鉄とガラスを押し返し、反転攻勢に転じる転回点がじょじょに迫っているのではないだろうか。
 
 しばらく時が流れれば、無味乾燥で非人間的で冷酷非情で、新築されたその瞬間から空虚な廃墟そのものに転化している超高層ビルジングたちは、その内部に引き入れられひそかに繁殖していく樹木やつたやつるやこけや微生物などによって侵食されるだろう。

 そして衰弱した人間たちが退去した廃墟の主人公となった植物たちは急速に繁茂するだろう。ビルの窓ガラスをつきやぶって飛び出した巨大な縄文杉のかたまりは、お互いの手と手をしっかりと握り合い、新宿を、渋谷を、六本木を、東京を、そして広大な関東平野をすべて草むした原始林に変えるだろう。

 かくして世界最大の超モダン都市は、葉っぱの王国になるのである。

 その頃熱帯と化した列島の大草原では、あの巨大なステゴザウルスが勝利の雄たけびをあげているだろう。

 ギュワーン、ギュワーン、ギュワーン!

 ああ、せめてその姿をこの目で見てから死にたいものだ。



「葉っぱの王国」展 10/6―12(木)まで池袋で開催中
http://gallery-countach.com/schedule/ken_sasaki.html