株式投資と邪馬台国女王、卑弥呼

"卑弥呼"と"株"。株は49年,古事記は30余年で、邪馬台国=北四国の独自見解です。

やさしい古事記講座(76) 神々の誕生31,イザナギの禊5、宇摩説の解釈

2008-01-09 00:01:32 | 古代史、卑弥呼、神輿太鼓、倭人伝

   参考・前回の直訳コピー

 
 今日は前回の直訳コピーを載せておく。

 次に、水の底に滌(すす)ぐ時に、成り坐す神の名は、底津綿津見(そこつわたつみノ)神。次、底筒之男(そこつつのおノ)命。
 次に、中に滌ぐ時に、成り坐す神の名は、中津綿津見神。次、中筒之男命。
 水上に、滌ぐ時に、成り坐す神の名は、上津綿津見神。次、上筒之男命。

 此の三つ柱の綿津見神は、阿曇連(あづみのむらじ)等之祖(おや)神と、伊都久(いつく)神也。故、阿曇連等は、其の綿津見神之子、宇都志日金拆(うつしひがねさくの)命の子孫(うみのこ)也。

 底筒之男命。中筒之男命。上筒之男命、三つ柱の神は、墨江(すみのえ)之三前(みまえ)の大神也。

 右の件り、八十禍津日神以下、速須佐之男命以前、十四柱の神は、御身を滌ぐに因り生れる所の者也。


  宇摩説の解釈(イザナギの禊4)

 イザナギは海の底にで禊をする。この底とは遠方を意味する。後に、遠くに行くと船が見えなくなる時を海に入る表現がある。つまり、海に潜ると理解しているのだ。この例から、海の底に向かったとは遠方に行った思われたのだ。

 つまり、地球が円形だから端の波の向うを下っている。後に作られた浦島太郎の話は、海の底の龍宮とされるが、「この遠い所に進むと、船が波間の向うで下がっている」。これを、海の底に行ったと理解した知識の発展形といえる。

 したがって、底の地()遠方の地域に、底津綿津見(そこつわたつみノ)神。次、底筒之男(そこつつのおノ)命を任命した、と謂うことである。

 次に、中の地域、これは、瀬戸内海の端、及び、出た地域で、ここに、中津綿津見神。次、中筒之男命を任命した

 水上に見える地域(=瀬戸内海)に、上津綿津見神。次、上筒之男命を任命した。

 以上のような解明となる。これで各地の任命が終った。


 さて、残るのは、綿津見神と、筒之男である。現代人は、綿と書いてあると、布団の綿しか思い浮かばない。そこで、この神の実像が不明となる。これは、例によって、言葉の検索をする事にした。

 綿は、ワタに動きを示すラ行を付けると、変換が多くなる。そこで、「ワタル」を変換してみた。すると、「渡る、渉る、亘る、亙る」、などがある。附加した「ル」を省いても同様である。これを見れば、「海路と交渉」の意味が明確である。

 津・見は先の時に書いたように、「津(根)を見る(神・人)」であろう。これを加えると、底津見神は、遠隔地に、渡り、渉る神となる。つまり、の交渉を任された神となる。この交渉は領土的なものではなく、地域の過不足、不足品などの交渉であろう。

 綿津見が、外交交渉であれば、もう一人は、この神の送迎者になろう。このように解けて、底筒之男を見れば、「」は、先の「綿」と同じで、迷彩用の漢字である事が判る。

 筒は、「津々浦々」のツツである。判り良く言えば、この命は、船頭(船の運転士)と謂うことになる。そして、神と命に分けての記述も、「神・上」と「船頭」を正確に記したものだろう。これに類する状況が後にも出てくる。

 綿津見の子孫、アヅミの連は、学者の解説で、九州の志賀島が本拠と書いている。筒之男は、古事記が大阪の住吉を上げている。実を言えば、この二箇所は、地図を見れば判るが、宇摩(燧灘)から見ると良く似た距離にある。

 この地が、先の「」と「」の分岐点に近かった物だろう。後の三大水軍と呼ばれた地域にも近い。瀬戸内水軍が上津瀬となり、大阪以東は中津瀬、紀伊水軍の端で、志賀島は松浦水軍の端である

 志賀島まで、上津瀬に入っていたと解ければ、「ウマ関(関門海峡)」の意味が良く判る。また、山口県の響灘(日々(神)来)の地名も同様に、良く理解できる。

 なお、運送地域の端は、引継ぎの場所だから、運送では重要拠点となる。

 以上の解明で、宇摩説は、古事記の史実解明だけでなく、後の三大水軍の起こりも、地名の由来も解いた事になる。このように、古事記は史実として解けば、日本の歴史が判るのである。

 重ねて何度も言うが、現在の史学の解説は何処が史学なのであろう。想像・空想などを多く含む文学的解釈を続けて、史学とは程遠いものだ。まあ、文学部の一部に入れられているから当然とも言えるが、、。

 なお、ここでは余談だが、関連で、「ツ」についても調べておいた。

 津は港だが、の語義は多用である。ツクにして、転換すると、「付く、突く、着く、搗く、就く、憑く、点く、尽く、吐く、漬く、筑」などと、でてくる。クを省くと、「ツ」に有った古語の意味が漢字で残るので説明は不要だろう。

 ツの語義は、「二つの物が当たる、遭遇する」意味だったようだ。手を打つのと似ている。つまり、神社の拍手は、この「ツ」の意味から、重要なのであろう。手と手が付くのである。この行為の「和」の意味が判る。

 こうのように、古語辞典にも無い日本語の解明、地名の起源、神社の拍手まで解明出来るのが、宇摩説である。これは、同時に宇摩説が正確な古代の解明をしている事の証明でもある


 こうして、イザナギは全国の支配体制を確立した。つまり、命じられた国固めを終えたのである。ただし、東日本は、分離が余儀なくされたが、これはイザナギの責任とは言いがたい。

 なお、宇都志日金拆(うつしひがねさくの)命はまだ未詳である。古事記の解釈に大きく影響するとは思えない。名前から言えば、「移ろいの日の金(中古)銅矛、斧などの金属回収」を思わせる。再生産の始りか?
 

 禊の最後に、三人の貴子(うまミコ)を生む。全てのケガレを払い、国の体勢を作ったところで、三人の統率者を選ぶのである。これが次回となる。

 これは、先のコピーをもう一度入れておこう。
 
 是に於いて、左の御目(みめ)を洗う時に、成る所の神の名は、天照大御神
次、右の御目を洗う時に、成る所の神の名は、月読(つくよみノ)
次、御鼻(みはな)を洗う時に、成る所の神の名は、建速須佐之男(たけはやすさのおの)命。

 この三人は、イザナギの眼鏡に適った三人であり、必ずしも、実子と限らない。高天原や全国を見て廻った結果、選んだ適任者(ウマシ人)であり、もちろん、「ウケヒ(誓約)」によって、イザナギの子供となったのである。

 この後、三貴子(ミツのうまひと)の任命がある。ここで、日本の当時の統治が判る。これ等も、現実として、解いてゆく事になる。

 なお、三貴子に、ウマシヒト・ウマヒトと振り仮名を入れたのは、著書1で、「ウマヒト=(ウ)マヒト」と説明している。貴はタカと読んでも良いが、「ウマ」の方が良く判る。特に古代では、宇摩志(略)神以来、全国に広がった言葉である

 以上で、宇摩説の解説を終る。今回も、前回の原文に多くのコメントを頂き、参考にさせてもらった。直接ではないが、限られた検討範囲が広がって、宇摩説解釈が、より正確に解けたものと思う。

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