宇摩郡土居町の『土居町誌』に面白い記録がある。
井守神社(土居町中村)。祭神、大山積命。高オカミ神。大雷。配神、水波能売神。
大宝元年。越智玉澄が、井の上に、三島大神を勧請。
天暦六年。御井神を合祀して、井守大明神と称える。
往古の出湯にて、天智帝の湯座、衣掛け岩などの伝承。その後冷泉となった。
ここに、温泉があったと書かれている。また、天智天皇の湯座などから、この伝承は時代が一致する。此処は、伊予だから、この温泉に来ても、「伊予の石湯」に来た記録は正しいことになる。
今は道後で一致しているが、彼の地に、このような、民間伝承が無い。常識となっている道後を、信じるか、宇摩郡土居町を信じるかは自由だが、史実は土居町だと、私は思う。
熟田(にきた)も、本当は宇摩郡、石湯(例え温泉でも)も宇摩となる。つまり、斉明天皇は、二ヶ月余りも、宇摩郡に居たことになる。しかも、三月二十五日の記録も土居町に伝承がある。
『宇摩に残る伝承--5--』で書いた村山神社の記録は、別にもあって、この中に。及び、地域の別の伝承でも、二十五日の記録が残されている。
どうも、体調が悪い。少ないが、此処で止めて、これらは明日にしよう。
三島 明
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