縄文土偶と、岩偶の後の変化を載せておこう。
下図の右側の下にある三角の像が岩偶である。
先に紹介した、愛媛県の上黒岩(かみくろいわ)遺跡の腰蓑だけの女性像から、スカートらしき物を纏った姿に見えるし、腕も掘り込まれている。
顔と髪の毛(腕?)と、鋭い目が刻まれる。先の岩偶から、数千年後の勢作である。
左の人形は、全身像である。下肢にも何か着けていると見える。
この像からも、倭人伝の原始的な倭人の衣料は間違っていると判るだろう。
日本の文化では、女性は、種をまいて、実らせる大地と同じに見られていたらしい。多くの女性の土偶が作られ、お腹に縦の線が明確に付いていて、しかも、ほとんどが、破壊されている。死と再生の儀式に使われたのか?
また、平らな土偶は、病気などになった子供の身代わりであろう。身代わり思想は、後の世まで継承されている。縄文の平らな土偶は何かを託して壊されている。
私は病気になると、土偶で体をさすり、病気を移して破壊する。このことで、もう戻れない。これは、6.30日の祭り、「輪越」の人形に当るだろう。つまり、3000~5000年も前に、今に続く身代わりの思考があった。
このような、祈祷的習慣、民俗を、土偶が教えてくれる。そして、今の日本各地でも、土偶が、紙に変って継承されている。これが宇摩説の解釈で、「土偶は輪越祭りの人形と解いたのは始めて」だろう。
こうしてみると、日本民族は、縄文時代に育んだ文化を、弥生時代に大成して、夢の国を作っていた。だから、縄文時代の土偶の使い方は、後世、現在まで残していたのである。
弥生の理想郷の衰退は、分家の武力による権力掌握である。だから、カルタゴの滅亡だけでなく、日本古代でも、平和思考の理想郷は武力で衰退したのだ。
社会が良くても思想で平和は保てない。
高天原の武力不足の悲哀があった。
なお、高天原は、本家であったから、形式的には伊勢神宮として残っている。が、これが他国だと、世界や、中韓の歴史が示すように、奴隷生活しか残らない。仲良くする事と、武力を持つ事は別なのである。
戦争は誰でも嫌だ。しかし、自国を守る軍備と気構えだけは、独立国で将来の平和を愛する為の最低条件である。
NHK,朝日・毎日などの左翼報道や平和f団体の口車に乗っては成らない。彼らは日本のための行動をしてないのだから、、、。
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