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日向石神社の祇園天王磐座・理解困難な巨石群とは?
2024/02/25 06:00
日向石神社とストーンサークル
2024/02/28 06:00
とても興味ある話題ですので、お待ちしていました。
恐らく二世紀の弥生時代のストーンサークルだと思います。吉備津彦神社の池の小島にもあるようです。【検証7】桃太郎はニギハヤヒだった?(*^▽^*)に記載しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/00/e7c280e30e463bf194da134390b1dc38.jpg)
吉備津彦神社のストーン・サークル(吉備津神社・吉備津彦神社・吉備中山を貫く謎の古代祭祀線 より)
そしてご存じだと思いますが、「日本ピラミッドの謎?(@_@)?」に記載した庄原市葦嶽山の山頂に酒井将軍が指摘した複葉内宮式ストーンサークルがあります。
葦嶽山の中腹に「奴国乃大王」の神額の鳥居があり、葦嶽山を遥拝できるようになっています。
また葦嶽山の傍らにドルメンや多数の巨石が配置された遥拝所の鬼叫山というオドロオドロしい名前の山があります。
本村町に蘇羅比古神社があり、祭神が数多く祀られていますが、神話で大吉備津彦とされたニギハヤヒを隠すためだと推理しています。
この地から吉備の鬼退治に出かけたと、吉備津神社がいくつか途中に存在しますので、推理しています。吉備中山は龍蛇神(ナーガ)奴国王に因む名前です。ヤマト王権はニギハヤヒの子孫狗奴国王卑弥弓呼(ヒコミコの誤記だと思います)とされた記紀の開化・崇神天皇が纏向に王宮を遷し、各地の奴国王に関わる豪族を呼び集め、三世紀末にヤマト王権を成立させたと推理しています。このストーンサークルでお気づきのことがありましたらまたお教えください。どうも有難うございました。
いやーマニアックな話題が次々に出てくると、ニヤリと嬉しくなります。
葦嶽山へは、昭和50年代、まだ看板も何もないころに苦労していきました。雨がちな日でしたが、山中に仲間とテント泊したことを思いだします。鬼叫山を含めて山頂部も行きましたが、人工的なストーンサークルとか方位石とするのは、そのころすでに無理があると思いました。ただひとつ普通じゃないと思ったのは、鏡石前に立つ、上部に盃状穴のある石柱です。政府の弾圧で爆破される前はもっとたくさん立っていたという話もあるので、落下あるいは散逸した石柱の破片とかが確認できれば、もはや神殿と言っていいように思います。大湯ストーンサークル近くにあるクロマンタ山にも上りましたが、やはり特別な印象はなかったのが残念です。吉備津彦神社のように、有力な神社の境内遺跡として守られているストーンサークル以外は、建材に使われたり滑落したりで、建造時のまま残っているものは少ないのかもしれませんね。
ニギハヤヒという視点は、たしかに重要だと思います。物部に関係しているなら、日向石神社の祭神は本来ニギハヤヒですよね。ストーンサークルと言われている巨石群の中に、岩船的な形のものがなかったのか、探すべきでした。😥
またまた、貴重な情報を頂き有難うございます。やはり葦嶽山は思い出深い山でしたのですね( ^)o(^ )
葦嶽山・鬼叫山について、さらネットでいろいろと調べたところ、平津豊氏の論文に巨石群の配置や方角など詳しく載っていましたので今検討しています。
しかし、以下の二点が不明です。
①葦嶽山を仰ぐ奴国乃大王の鳥居は鬼叫山側の登山道だったでしょうか?それとも灰原ルート側でしょうか?
②葦嶽山山頂の天狗岩の方角が気になっています。ひょっとして奴国王の王宮があった須玖岡本遺跡に向いていないのか?と考えていますが、もしもご存じでしたらお教えください(^_-)-☆
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/d9/c2c77238f0e4c75737397c62a2ffe7f9.png)
(国土地理院地図に赤字追加)
それから、おっしゃるとおり、日向石神社は表向きは崇神天皇が祭神ですが、ニギハヤヒの子孫ですので、ニギハヤヒを隠すためだと思います。奈良県三輪山の高宮神社の祭神日向御子神もニギハヤヒの可能性がありますので検討中です。
また天王は牛頭天王スサノヲのことでしょう。第18代奴国王で宮廷楽師師升らのクーデターで殺されたと推理しています(詳細は「倭王帥升(すいしょう)は何者だ?(´・ω・`)」参照)。
そして天王という地名を葦嶽山の南西方向で発見しました。葦嶽山はスサノヲを祀る祭祀場で間違いないと思います(^_-)-☆
ニギハヤヒは奴国を脱出し、伊都国に王都を置いた師升らの倭国に靡いた裏切り者の吉備の勢力を討って、吉備で奴国を再興したので宋史 王年代紀19代王天照大神尊とされました。楯築王墓の被葬者と推理しています。その南の真宮(しんみや)神社にも立派なストーンサークルがあるとのことです。ニギハヤヒが兄スサノヲの鎮魂祭祀を行ったと考えられます(詳細は「王墓山古墳(倉敷市)の被葬者は誰?(^_-)-☆」参照)。
どうも有難うございます。また、記事にしますのでよろしくお願いいたします。
【参考記事】
王年代紀は記紀神話を正した!(^_-)-☆日本神話は不比等が創作したことが分かります。江戸時代まで多くの人は伊勢の神と三輪の神は同じヘビの化身(天照皇大神大国主命)と信じていました。神仏習合、修験道や道教の影響を受けた記紀神話と全く違う神話が語られていたのですよ(^_-)-☆。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/0f/d70ea2006a640cd00a23ab797fe28f04.png)
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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吉備津彦神社のストーン・サークル(吉備津神社・吉備津彦神社・吉備中山を貫く謎の古代祭祀線 より)
そしてご存じだと思いますが、「日本ピラミッドの謎?(@_@)?」に記載した庄原市葦嶽山の山頂に酒井将軍が指摘した複葉内宮式ストーンサークルがあります。
葦嶽山の中腹に「奴国乃大王」の神額の鳥居があり、葦嶽山を遥拝できるようになっています。
また葦嶽山の傍らにドルメンや多数の巨石が配置された遥拝所の鬼叫山というオドロオドロしい名前の山があります。
本村町に蘇羅比古神社があり、祭神が数多く祀られていますが、神話で大吉備津彦とされたニギハヤヒを隠すためだと推理しています。
この地から吉備の鬼退治に出かけたと、吉備津神社がいくつか途中に存在しますので、推理しています。吉備中山は龍蛇神(ナーガ)奴国王に因む名前です。ヤマト王権はニギハヤヒの子孫狗奴国王卑弥弓呼(ヒコミコの誤記だと思います)とされた記紀の開化・崇神天皇が纏向に王宮を遷し、各地の奴国王に関わる豪族を呼び集め、三世紀末にヤマト王権を成立させたと推理しています。このストーンサークルでお気づきのことがありましたらまたお教えください。どうも有難うございました。
いやーマニアックな話題が次々に出てくると、ニヤリと嬉しくなります。
葦嶽山へは、昭和50年代、まだ看板も何もないころに苦労していきました。雨がちな日でしたが、山中に仲間とテント泊したことを思いだします。鬼叫山を含めて山頂部も行きましたが、人工的なストーンサークルとか方位石とするのは、そのころすでに無理があると思いました。ただひとつ普通じゃないと思ったのは、鏡石前に立つ、上部に盃状穴のある石柱です。政府の弾圧で爆破される前はもっとたくさん立っていたという話もあるので、落下あるいは散逸した石柱の破片とかが確認できれば、もはや神殿と言っていいように思います。大湯ストーンサークル近くにあるクロマンタ山にも上りましたが、やはり特別な印象はなかったのが残念です。吉備津彦神社のように、有力な神社の境内遺跡として守られているストーンサークル以外は、建材に使われたり滑落したりで、建造時のまま残っているものは少ないのかもしれませんね。
ニギハヤヒという視点は、たしかに重要だと思います。物部に関係しているなら、日向石神社の祭神は本来ニギハヤヒですよね。ストーンサークルと言われている巨石群の中に、岩船的な形のものがなかったのか、探すべきでした。😥
またまた、貴重な情報を頂き有難うございます。やはり葦嶽山は思い出深い山でしたのですね( ^)o(^ )
葦嶽山・鬼叫山について、さらネットでいろいろと調べたところ、平津豊氏の論文に巨石群の配置や方角など詳しく載っていましたので今検討しています。
しかし、以下の二点が不明です。
①葦嶽山を仰ぐ奴国乃大王の鳥居は鬼叫山側の登山道だったでしょうか?それとも灰原ルート側でしょうか?
②葦嶽山山頂の天狗岩の方角が気になっています。ひょっとして奴国王の王宮があった須玖岡本遺跡に向いていないのか?と考えていますが、もしもご存じでしたらお教えください(^_-)-☆
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それから、おっしゃるとおり、日向石神社は表向きは崇神天皇が祭神ですが、ニギハヤヒの子孫ですので、ニギハヤヒを隠すためだと思います。奈良県三輪山の高宮神社の祭神日向御子神もニギハヤヒの可能性がありますので検討中です。
また天王は牛頭天王スサノヲのことでしょう。第18代奴国王で宮廷楽師師升らのクーデターで殺されたと推理しています(詳細は「倭王帥升(すいしょう)は何者だ?(´・ω・`)」参照)。
そして天王という地名を葦嶽山の南西方向で発見しました。葦嶽山はスサノヲを祀る祭祀場で間違いないと思います(^_-)-☆
ニギハヤヒは奴国を脱出し、伊都国に王都を置いた師升らの倭国に靡いた裏切り者の吉備の勢力を討って、吉備で奴国を再興したので宋史 王年代紀19代王天照大神尊とされました。楯築王墓の被葬者と推理しています。その南の真宮(しんみや)神社にも立派なストーンサークルがあるとのことです。ニギハヤヒが兄スサノヲの鎮魂祭祀を行ったと考えられます(詳細は「王墓山古墳(倉敷市)の被葬者は誰?(^_-)-☆」参照)。
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王年代紀は記紀神話を正した!(^_-)-☆日本神話は不比等が創作したことが分かります。江戸時代まで多くの人は伊勢の神と三輪の神は同じヘビの化身(天照皇大神大国主命)と信じていました。神仏習合、修験道や道教の影響を受けた記紀神話と全く違う神話が語られていたのですよ(^_-)-☆。
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初めまして。
私は歴史には詳しくないのですが、ある出来事がきっかけで吉備津彦神社にご縁があり、2年間毎日お参りしていました。
たまたま目にした記事、とても勉強になりました。
このくらいのコメントしか出来なくて恐縮ですが、吉備津彦神社の事が書かれているとは思わず『備後・吉備』という文字に何か惹かれる物がありました。
お邪魔しました🙇♀️
吉備津彦神社に2年間毎日ご参拝とは、それはすごいですね。差し支えなければメッセージで何か古代史解明のヒントが頂ければ嬉しいです。備後・吉備は二・三世紀は特に面白いとても重要な話が沢山眠っていそうです。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。(^_-)-☆
古い話なので、葦嶽山の古い写真とか資料とか、慌てて探しているところです。何かわかりましたら、拙ブログに書かせていただきますので、よろしくお願いします。
先の方にもコメントしましたが、日本建国時代の秘密満載なのが中国地方なのですよね。ワクワクします( ^)o(^ )
中国というのはナーガの国、龍蛇神国という意味ですから太陽神ニギハヤヒ大王の国、山口県は長門、ナーガの国への入り口だったのですから(詳細は「【刮目天の古代史】日本は古(いにしえ)の中国だった!( ^)o(^ )」https://blog.goo.ne.jp/katumoku10/e/4cd8455a4611c350bbb4e2aabfacd74b 参照)。
例の石組みの配置と方向を検討していますが、概略をお話しすると、葦嶽山の烏帽子岩の方向は300度、冬至の日の入りの方角を見ているそうなのです。
ただ、鬼叫山の供物台の前で遥拝し、祭祀を行うので、ここを基準とすべきだと思います。葦嶽山の山頂方向は215度なので、高千穂の横を通り枕崎市春日鉱山を通過します。金鉱山ですから水銀朱も採れそうです。でもスサノヲに直接関係するのかよく分かりません。鷹岩の方角は205度なので佐田岬半島の付け根の八幡浜から宮崎県青島、日南市を通過して大隅海峡ですから意味不明です。そして烏帽子岩は248度で秋吉台を通過して宗像市大島の中津宮に至ります。でも、これも宗像三女神はスサノヲの娘ではなくずっと後の時代ですのでよく分かりません。
やはり、記事にしましたように奴国王の王宮のあった須玖岡本遺跡の北にある熊野神社がスサノヲの両親伊弉諾・伊弉冉と本人が祀られていますので、烏帽子岩と山頂の間の烏帽子岩寄りの240度のラインを伸ばすとバッチリとなります。
現在不明の天狗岩の場所と鼻の方角が分からないので、外れかも知れませんが、240度方向にあればピンポンなのです。
と言いますのも、当時の人間が超能力者であることは大国主の父の墓と推定した山鹿市茶臼塚古墳から大国主が最初に国造りした豊葦原瑞穂の国の宇佐市安心院町佐田地区の米神山山頂を通る直線が約400km先の豊岡市竹野町猫埼半島のの付け根の小山にある五社大神宮をピッタリ通過するのです。そこの浜には誕生之浦の石碑があったので高野御子と呼ばれた大国主の生誕地だということが分かったのです。五社大神宮は大国主の父日高彦が王宮を置いたところだということが同じ町内の鷹野神社の社殿から判明しました。こういう不思議な直線を霊ラインと呼んでいます。これほどの精度のものは初めてなので当時の人々は超能力者じゃないかと思う訳です(詳細は「【大発見!】大国主命の生誕地か?」
https://blog.goo.ne.jp/katumoku10/e/0aeb8bd0aac643f6b6c76172b8e91351 参照)。
是非、この不思議な現象を解明したいものです。いつもご面倒ばかりおかけして恐縮ですが、ブログをお待ちします。どうぞよろしくお願いいたします(;^ω^)
写真で見る所、月は東を日は西を指しているように見えます。実際見ないとやはりダメです。
日の方が少しわかりにくい所にありそうなので、ガイドさんに聞く必要が有りそうです。
後、巨石の仰角も見ます。
それから、刮目さんの目論見(予想)が有ればとも思いましたが、先入観になってはいけないので聞か無い方がいいでしょう。
その他有りましたら言って下さい。
月の神谷までたしか、ロープで登るところが5カ所くらいあったと記憶しています。これからの季節なら大丈夫だとは思いますが、体調を整えて登ってください。
月の神谷には確か4・5本くらい石柱があって、その上の巨石群とあるところにもいくつかあるようです。すべて同じ方向(裏鬼門)を向いているとのことです(猿田彦TV様の情報)。
また、反対側の日の神谷の石柱は写真では1か所のようですが、熊への下山ルート上のようです。大国主の父日高彦の王宮のあった豊岡市竹野町五社大明神か豊後半島竹野神社方面を向いているのではないかと予想しています。違っているのかも知れません。
石柱の配置なども知りたいので略図で結構ですのでお教えください。どうぞよろしくお願いいたします。くれぐれもお気をつけて、お願いい致しますね!