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日本ピラミッドの謎?(@_@)?

2024-02-02 20:20:02 | 古代史
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2020-09-28 00:00:14に掲載しましたが、タイトルが似たようなものになっていて混乱するかもしれませんのでオリジナルのタイトルとして再掲いたします。よろしければお付き合いください(;^ω^)

2018-06-12 22:37:32 に掲載した記事に新たな知見を加えて(鬼叫山の後の部分)、全体を整え改訂します。
最後までお付き合いください。

葦嶽山ピラミッド
Report 2010.11.13 平津 豊  Hiratsu Yutaka

「日本ピラミッド」葦嶽山の謎

今回のトピックは題名の日本ピラミッドの話だが、ムー度100%の超古代文明の話ではなく、日本の古代史の謎に関係しているのではないかというヒントがそこにあったので、飛びついた。少し長めの取材旅行だった(いつものようにGoogleMapやネットサーフィンなので、旅費がかからない。でも現場を見てないので思い違いがあったら、是非指摘してくださいね)(*^▽^*)

昭和9年(1934年)に酒井勝軍(1874-1940)という人が書いた「太古日本のピラミッド」の写しを見ることができる。葦嶽山を見て、その山頂に在るとする複様内宮(ふくようないぐう)式のストーン・サークルを持つピラミッドだと叫んだ(口絵参照)(*^▽^*)。その成立年代を「竹内文書」から何と二万三千年前と断定しているようだが、根拠はよく分からない(五九頁)。



ストーンサークルはイギリスのストーンヘンジなどに見られるが、日本では縄文後期(4千年から3千5百年前)の大湯環状列石が知られている。日本にも実は178ヶ所ある、ストーンサークル。しかもその4割があるのは…秋田県ということだが、酒井勝軍も秋田県出身なので、多分小さいころから親しんできたので、オカルトの世界にはまったようだね(*^-^*)

酒井が言うピラミッドの条件の一つである葦嶽山の山頂に置かれた列石はかなり風化して、太陽石も現在は存在しないようなので、複様内宮式の磐境(いわさか)は本当にあったのかちょっと心配だ( ^)o(^ )

もう一つのピラミッドの条件として、ドルメン(供物台)のある拝殿が在ることなのだが、下の案内図にある通り、葦嶽山の北側に巨石群が置かれていて、ピラミッドを遥拝する場所なのだろう。一体どうやって持ってきたのだろうか?大変な作業のようだが。

奥に方位石というのがあって東西の溝が正確に置かれているようなので、どうやって設置したんだろうか?(*^。^*)

そして古代史解明のヒントその1!

その拝殿がある場所が、鬼叫山(ききょうざん)というからムー度満点なんだ( ^)o(^ )

自然物を、精霊が宿る聖なるモノとして祭祀の対象とするのは縄文時代からだが、富士山のような秀麗な山は信仰の対象になるのは分かる。しかし、815mの葦嶽山が祭祀の対象となるには何かがなければならない。頂上を何処から見ても三角形というのは少しだけいいかなと思うが、周辺には同じような山、もっと高い山があって、小さいながらピラミッドだからといって信仰の対象になるはずない!というのが一番の疑問だった!

そこに現れたもう一つのヒントが、何と、登山道の途中のピラミッドを遥拝できる鳥居があって、その神額に、驚くことに「奴国大王」と書かれていることなんだ!そんなに古い神額ではなさそうだが、誰が作ったのだろうか?(*^▽^*)
日本ピラミッド空撮映像

奴国の大王がこの庄原市とどういう関わりがあるというのか?

庄原といえば、その北部の奥出雲・伯耆との境に『古事記』「国生み神話」で伊弉冉(イザナミ)尊が火の神カグツチを生んだために亡くなられて葬られたという比婆山があった(注1)(^_-)-☆

いや、それだけでなく庄原市は西隣の三次市と同様に、出雲と瀬戸内を繋ぐ要衝であり、三次市は、弥生中期から見られる四隅突出型墳丘墓の発祥地じゃないか?弥生後期には、庄原市にも営まれるようになった。その地の首長墓として大型化し、出雲市の西谷墳墓群の出現に繋がっている。そして、重要な点は、吉備に特有の特殊器台・特殊壺が発見され、吉備との強い繋がりを示していることなのだ。

庄原は日本海の出雲と、後のヤマト王権成立に大きな役割を果たす瀬戸内海の吉備とを結ぶ重要な場所。

ということは?
倭王帥升(すいしょう)は何者だ?で見たように、第18代奴国王スサノヲが帥升(正しくは師升)によって追放された後に、半島南東部の鉄素材を沖ノ島ルートで、出雲から東国の首長間のつながりによって供給して次第に力を蓄えたのが、出雲・吉備を含む東国の旧奴国の勢力だ。首長の権力が強大化することにより、首長墓にそれが反映され古墳時代が起こったと考えている。吉備がヤマト王権成立に指導的役割を果たしたのは、スサノヲの死後、奴国王を引き継いだ弟の天照大神尊(ニギハヤヒ)なのだ。

スサノヲの高天原追放については、例によって「日本書紀」では幾つも説を並べて立て、何が本当なのか分からなくしているが、「古事記」と一致する話が信ぴょう性があるのだと思う(実は「古事記」の方が後に作られたものなのだ、日本神話の正体は?(その1))。

高天原から神々によってスサノヲが「神やらひ」される時の様子だ。たくさんの捧げものをすること、つまり全財産の没収。加えて、髪の毛や手足の爪を剥がされる残酷な刑罰を受けたとある。

「日本書紀」ではスサノヲが高天原を追放された後に、子のイタケルとともに一旦半島に渡り、その後出雲に降り立ち、そこでヤマタノオロチ退治の話になる。しかし、できるだけ真相を暴露したい「古事記」では、スサノヲが半島に行く話は消えているので、直接出雲に降り立ったことになっているのが正解だ。果たして、生きて奴国を脱出できたのだろうか?

しかし、それまで悪事ばかりのスサノヲの唯一の武勇伝が「出雲国風土記」に無いことから、オロチ退治の話はフィクションと考えられる。状況から考えて、スサノヲが生きて脱出できる可能性は低いので殺されたと考えてよいと思う。「日本書紀」の中では、母が死んで葬られた根の国、つまり出雲と伯耆の境の比婆山に行きたいと父イザナギ大王に泣きつき、勝手にしろと追いやられたという話もあり、スサノヲが本当は、殺されたことを示唆するものだったのかも知れない。

スサノヲが師升らに捕まったことを知り、スサノヲの部下のアヅミ族のひとりが脱出する際に「漢委奴国王」の金印を宮殿の保管場所からこっそり取り出して、志賀島に埋めたようだ。イタケル王子とニギハヤヒはムナカタ族の手引きで命からがら逃亡し、ようやく出雲に落ち着き、そこで今後のことを相談したのだと思われる。

まだ若いイタケル王子はムナカタ族とともに、父スサノヲが開発した半島南部の鉄を確保するために、沖ノ島経由で玄界灘を渡ったと思われる。そして入手した鉄素材から農具・漁具や武器を製造する冶金工房を丹後半島で整備し、上述のとおり取り敢えず、奴国再興を決心したニギハヤヒに鉄製武器を供給した模様だ。瀬戸内海航路の重要な潮待ちの場所で、弥生中期後半には塩田が造られている吉備を手に入れようと、鉄製武器の軍団を整えて向かったようだ。吉備を襲撃するに先立ち、葦嶽山に立ち寄って、山頂にストーンサークルを築き、葦嶽山のすぐ横の鬼叫山に巨石を運び祭壇を築き、スサノヲの死を悼み、奴国再興を誓ったのだろう。

鬼叫山で、ニギハヤヒらが泣き叫びながら、師升らを呪い、大声で喚きながら復讐を誓った様子が瞼に浮かんでくる( `ー´)ノ

ニギハヤヒは吉備の在地の豪族との抗争の末、吉備を平定し、支配権を握ったのだろう。その伝承が桃太郎の鬼退治の元ネタになったようだ。どうも藤原不比等がニギハヤヒの痕跡を消す工作をしたと思われる。葦嶽山の麓の蘇羅比古神社(庄原市本村町)の名前蘇羅比古(そらひこ)は「そらみつヤマト」と謳ったニギハヤヒを連想させるものなのだ。しかし「日本書紀」に合わせて、地元とどういう関係があるのか分からない日向三代の神話のホオリノミコト(山幸彦)と孫の神武天皇が祭神とされて、さらに十三柱もの配神もオールスターの顔ぶれだから、如何にも本当の祭神蘇羅比古ニギハヤヒを隠すために配祀したようだ(注2)。

さらに、備中国一之宮吉備津神社(岡山市北区吉備津)に残された本当はニギハヤヒの伝承を、凶悪な百済王子温羅(うら)を破った、第七代孝霊天皇の皇子イサセリヒコ(大吉備津彦)の話を創作して書き変えたのだと推理している(【検証7】桃太郎はニギハヤヒだった?)。孝霊天皇は欠史八代の天皇で、実在人物ではないことはすでに明らかにした(古代史の謎を推理する)。

吉備津彦に名前を変えられたニギハヤヒが備後国一之宮吉備津神社(福山市)でも祀られていることから、葦嶽山で祭祀を行って吉備入りしたニギハヤヒの移動ルートが想像できる。ニギハヤヒは出雲の斐伊川を上って奥出雲から西条川で比婆山を経由して庄原に入り、中山峠を通った模様だ。中山という地名は奴国と同じナーガ(龍蛇)神に因む名前の山なのだ。さらに帝釈峡に出て、一気に高梁川方面に向かわず、南下して備後国一之宮(福山)に入ったのだろう。そこで軍勢を一旦整えて海岸沿いで倉敷に出て、足守川上流の鬼ノ城(総社市奥坂)付近の在地豪族を襲撃したのだろう。当時は福山から倉敷は海だったようだから、夜陰に紛れて奇襲したのだろう。温羅との戦闘の模様は備中国一之宮吉備津神社の伝承があるから、大体想像できるよ(【検証7】桃太郎はニギハヤヒだった?(*^▽^*))。



そういえば、古墳が多数あることでも知られている吉備中山の西麓に鎮座する備中国一之宮吉備津神社。同じ中山の北麓に備前国一之宮吉備津彦神社が寄り添うように造られている。両社の祭神の吉備津彦は奴国大王ニギハヤヒだということが分かるのだ。


御領の古代ロマンを蘇らせる会 吉備ドライブ② より


そして備前一之宮は実は吉備津彦神社の他にも二社もあるようで、その一つがなんと、石上布津魂(いそのかみふつのみたま)神社だから吉備津彦の正体が物部氏と関係あることが直ぐに分かる。「日本書紀」にスサノヲがオロチを退治した天十握剣(あめのとつかのつるぎ)がこの神社から奈良県の石上(いそのかみ)神宮に遷され主祭神のひとつ布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)となったという話があり、吉備津彦がニギハヤヒだとばれてしまう。なので、もう一社安仁(あに)神社が後で作られたのだろう。祭神を神武の兄の五瀬命として唯一名神大社とされているからニギハヤヒの話を誤魔化すためだと直ぐに分かるんだ。そういえば鬼叫山の巨石群にも神武岩というのがあるが、これもカモフラージュだよ(^_-)-☆

葦嶽山に日本ピラミッドを作って祭祀を行ったのは奴国の大王ニギハヤヒに決定だ(^◇^)

皇祖神天照大神は女神ではなく物部氏の祖ニギハヤヒのことだった!


【参考記事】
「日本ピラミッド」葦嶽山の巨石探索1-12
2015年12月7日から2016年1月12日まで12回連載されています。日付はトビトビで辛いですが、内容豊富です(#^.^#)

日本の葦獄山のピラミッドはオーパーツ?古代文明の名残りか?
2016/2/10 2017/5/27 世界の不思議


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(注1)もう一か所、安来市伯太町に比婆山に比定される場所がある。その隣の米子には宗形神社があり、九州の宗像大社の本家だという説があるようだ。

刮目天は宗像大社の伝承「ムナカタの子はスミヨシ。その子はウサ」から、住吉大神(スミヨシ)は海を治める奴国の大王スサノヲと同一であり、スサノヲの母イザナミは卑弥呼と同族の宗像海人族と考えている。したがって、庄原市の比婆山よりも水運の便の良い比婆山久米神社奥宮がイザナミの陵墓である可能性が高いと考えている。しかし、九州の宗像大社か伯耆の宗形神社のどっちが本家かは分からないが、発祥地、つまり元祖は九州の鐘ヶ崎だろう。卑弥呼は元祖宗像のイチキシマ姫かな(^_-)-☆

(注2)蘇羅比古神社(そらひこじんじゃ)の御祭神は、天津日高日子穗穗手見命と神倭伊波禮毘古命。品陀和気尊・倭健命・大倭根子日子賦斗邇命・志那都比古神・志那都比賣神・宇迦之御魂神・大山祇神・手力男神・須佐之男神・奧津比古神・奧津比女神・大国主神・陣具大神を配祀する。神社と古事記 より)

奧津比古神は山神社の祭神ですから、大山祇神のこと。大山祇も大山咋も正体は大国主でしたでみたとおり、奧津比古神は大国主の分身です。ですからペアの奧津比女神は、稲荷神社の祭神宇迦之御魂神の正体の台与ということです。

志那都比古神・志那都比賣神もペアですから大国主と台与のことだと思います。『古事記』において、イザナギとイザナミによる国産み、島産みが終わった後、神産みの十番目に生まれた風の神。神名の「シナ」は「息が長い」という意味。風は神の息から起きると考えれら、風は稲作に欠かせないものであるが、台風などの暴風は人に大きな被害をもたらす。そのため、各地で暴風を鎮めるために風の神が祀られるようになった。「神社と古事記 シナツヒコ」にありました。息長氏は台与の実家です。縄文海人ムナカタ族の一族ですよ。

庄原にニギハヤヒの足跡として吉備津彦神社(庄原市川西町977)や吉備津彦を祀る意加美神社(庄原市総領町稲草179)と備後国二之宮吉備津神社(庄原市東城町久代1749)がありました。帝釈峡の南にも吉備津神社(神石郡神石高原町永野2563)を見つけました。ニギハヤヒが根拠地とした可能性もあります。イタケルらから鉄素材の供給を受けて、葦嶽山付近の谷で冶金工房を造り、鉄製武器を製造したのかも知れません。付近に鍛冶屋床やタタラ原という地名も残っているようです。
(2020.10.2 追加)

王年代紀は記紀神話を正した!(^_-)-☆神話は藤原不比等が創作したのですよ( ^)o(^ )





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2 コメント

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Unknown (百畑キクリ)
2024-02-04 14:30:38
前略、キクリの注目点にフォーカスして頂いたようであり、有難い内容です。(勝手に思っています)
 当然のことながら、真実は一つしかなく、ルートは違っても同じ結論にたどり着くべく展開をして行けたらと改めて思います。
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Re:Unknown (刮目天 一(はじめ))
2024-02-04 14:44:37
キクリさん、お久しぶりです!
大コメント有難うございます。
そうですよ!私と同じレイライン愛好家ですからね!
いや、葦嶽山の方位石の正確な方向が知りたいので、お教えいただけると嬉しいですよ。そうだ、キクリさん、米神山の月の神谷と日の神谷の石柱の方角も是非教えて下さい。
どうぞよろしくお願いいたします。
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