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国引き神話は史実だった?(その4)徹底的に隠された神だった?(;´Д`)

2023-11-26 12:35:08 | 古代史
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2023-11-25 19:44:05の記事に八束命に関する大事な情報を書き洩らしたので本文中に紫字で追加しました。よろしければご参照ください(;^ω^)

前回で国引き神話について終わるつもりでしたが、八束命に関して分かってきたことを追加で記事にしました。お付き合いください(^_-)-☆

国引きを終えた八束命が「終え!」といって綱を置いた場所がヒントでした(^_-)-☆
wiki「国引き神話」に「志羅紀の三埼を引いた綱は薗の長浜(稲佐の浜)に、三穂の埼を引いた綱は夜見の嶋(弓浜半島)になった。」とありました。「薗の長浜」が稲佐の浜から砂丘が続いている長い砂浜と見過ごしていましたが、どうも違いました。「長浜」はナーガ(龍蛇神)の浜という意味でした。(その1)で今回発見した「北門の良波」の比定地で見つかりました。対馬市豊玉町仁位(ニイ)の波良(ハロウ)という場所にある「波良波神社(ハラヘノカミノヤシロ)」はその説明の中に「濱殿神社」の場所ともいわれているとあります。つまり、長い浜という地形の意味だけではなく長浜は人物名なのです。ですからその人物はやはり八束命でしょう!

そして、濱殿神社のご祭神が大綿津見神、別名が豊玉彦命なのです。綿津見(わたつみ)は海の神霊を表します。志賀神(しかのかみ)という別名もあります。綿津見神(わたつみのかみ)は記紀神話のイザナギのみそぎにより生まれた三神として登場します(底綿津見神、中綿津見神、上綿津見神)。日本書紀では実在人物ではないように装うため三つの神に分けるのが得意ですが、住吉三神はスサノヲ、宗像三女神はイチキシマヒメ卑弥呼です。後で二女神を大国主の妃、その正体を台与とする誤魔化しが古事記や先代旧事本紀でやられています。これは藤原氏にばれないようにするためのカモフラージュだと見ています。三神には、騙されないようにしましょう(^_-)-☆

日本書紀ではさらに、創作したアマテラス女神の孫のニニギノミコトに高天原から、大国主から奪った地上の豊葦原中国を支配させるための天孫降臨神話を創りました(注1)。そのニニギノミコトの妃が絶世の美女コノハナサクヤヒメということで、大山祇神がその父です。つまり大国主ですから時代が合いませんので、日本書紀の創作です(「大山祇も大山咋も正体は大国主でした」参照)。



ニニギノミコトはおかしなことに出雲ではなく日向の高千穂の峰に降りました(注2)。ニニギノミコトの子は日本書紀では彦火火出見尊(ヒコホホデミ)、古事記では 火遠理命(ホオリノミコト)とされていますが、山幸彦・海幸彦神話の山幸彦のことです。ご存じのとおり兄海幸彦から借りた釣針を失くした弟山幸彦が、塩椎神(しおつちのかみ)に教えられた海神豊玉彦の綿津見神宮(竜宮城)に行き、そこで歓待されて娘の豊玉姫を娶ります。釣針も見つかり、豊玉姫を連れて地上に戻り、兄に返したのですが、兄と諍いが起こるので、豊玉彦に貰った鹽盈珠(しおみちのたま)・鹽乾珠(しおひのたま)を使って切り抜け、結局兄を屈服させて従わせたという話です(注3)。

また、豊玉姫のお産の様子を見ない約束を彦火火出見尊が破ったので、豊玉姫がワニの姿に戻って海に去った話と、さらに妹の玉依姫が残された赤子鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)の面倒を見て、成人して二人が結婚して神武天皇が生まれる話までが日向三代の神話の世界です。現実にはとてもあり得ない話です(注4)。

話しを元に戻して、八束命が濱殿と呼ばれ、長浜が八束命の別名であることの一例を、大分市長浜神社で見つけました。市内の夏祭りの祭礼が長浜神社では7月5・6・7日の三日間だそうで、例年この期間に雨がふるので「雨の長浜様」と呼ばれているそうです。すでに述べたように、師升に祖先スサノヲを殺され、倭国を奪われた恨みがあるので、八束命は復讐の相談のためにスサノヲとゆかりのあるムナカタ族を出雲に呼び寄せたのが国引き神話となったと考えています。大分県大野川沿岸から阿蘇山麓にかけて半島南部の鉄を持ち込み、鉄鏃などの鉄製武器を大量に生産する鍛冶集落を造る戦略だったのです(詳細は「【検証18】倭国大乱の痕跡だ!」参照)。

ところがこの大分市の長浜神社の祭神は少彦名神となっています。しかし、この神が登場するのは八束命の孫の大国主の時代ですから、後で藤原氏によって祭神がすり替えられたと考えられます(詳細は「【吉野ヶ里遺跡】え?日吉神社ご神体が仏像なの?」参照)。すでに述べたとおり、藤原氏は権力を維持するために都合の悪い日本建国の歴史を隠したからなのです。この大分市長浜神社の由緒に「豫州長濱大明神」が登場します。そこで、愛媛県で長濱神社を検索しましたが見当たりません。大洲市に長浜という地名があるので長浜神社を探しましたが、見当たりません。大洲市長浜の住吉神社に祭神が不明の摂社はありましたが確認できませんでした。どなたか「豫州長濱大明神」にお心当たりがありましたらご一報ください(;^ω^)

また、(その1)で「北門の良波の国」に比定した対馬市豊玉町仁位和多都美神社の境内社波良波神社の横に濱殿御子神社(はまどのみこじんじゃ)があり、御祭神が彦火火出見尊と豊玉姫とありましたから、ニニギミコトと濱殿が一致します。由緒書には「濱殿とは、大綿津見神の別の名である。御陵は、仁位の浜地区に鎮座する濱殿神社の地にあったと伝えられており、本殿付近から古代の箱式石棺が発見されている。その御子神という意味で、娘である豊玉姫命と彦火火出見尊が其々祀られている。」とありますので、濱殿つまり八束命は対馬で亡くなったようです。(2023.11.26 紫字追加)

それで、出雲の長浜神社に戻ります。この神社の通称が妙見神社なので驚きました。奴国の初代王天御中主が妙見菩薩と習合します。平安時代の「延喜式神名帳」には記載がないとwiki「天御中主神」にありますが、日本書紀の一書にこの神が高天原に登場するので、平安時代初期に成立した「新撰姓氏録」に天御中主神を祖神とする氏族が載っています。本当の皇祖神ナーガ(龍蛇神)のはずです。中世になって道教の最高神天帝と習合し、北極星ですから北斗七星への信仰が起こり、さらに仏教の妙見菩薩に習合する妙見信仰になります。幕末の復古神道で天御中主神が最高神とされます。「【刮目天の古代史】楯築遺跡は帥升の墓か?」で述べたように、水天宮でも天御中主神が祀られていますが、幕末からとwiki「天御中主神」に説明されていますが、水神は龍神ですから最初から初代奴国王(龍蛇神)として祀っていたのではないかと思います。天御中主神を表す妙見菩薩が八束命の本地仏ですから、八束命は龍蛇神国の中興の祖と位置づけられる、多くの人々の尊崇を集めた、日本で最も重要な神様のひと柱と考えられます。ですから藤原氏が必死になって隠したのだと考えています。八大龍王としても祀られていますが、八束命に所縁のある人々が藤原氏に気付かれないように祀っているのかも知れません。

次回は、弥生後期後半の出雲地方で最も重要な遺跡のひとつである西谷墳墓群について考えて見たいと思います。


(注1)史実は、天武天皇の皇后で持統天皇とされた鵜野讃良(ウノサララ)の孫軽皇子(天武天皇皇子で鵜野の子の草壁の子)を即位させたことの正統性のために考えた神話だったのです。皇后というのも持統天皇というのも全部ウソです。詳しくは「日本の古代史が謎な理由?」参照)

(注2)宮崎県とされていますが、この話のもとネタは初代天御中主の子天村雲尊が孫の天爾聞尊(アメノニニギノミコト)に早良平野から周辺の糸島平野・福岡平野を平定させるために三種の神器を渡した故事から来ていることを突き止めています(詳細は「【検証21】天孫降臨と草薙剣の謎?」参照)。天爾聞尊の降臨地高千穂は早良平野と糸島平野の間にある高祖山(たかすやま、416m)の日向峠のことでしょう。

(注3)「海幸彦が隼人の阿多君の始祖であり、祖神ホデリ(火照)の末裔が、阿多[6]・大隅[7](現在の鹿児島県本土部分)に居住した隼人とされる[8][9]。」とありますが、隼人は熊襲や土蜘蛛と同様に日本書紀の創作と考えられます。
つまり、wiki「隼人」によれば、「隼人が文献上多く登場してくる7世紀後半 - 8世紀代の墓の遺構については、現地九州南部ではほとんど検出されておらず、確実に「隼人の墓」と位置づけられる墓制は、現状では不明といわざるを得ない[39]。」とあります。

そこで、「阿多」は縄文海人ムナカタ族の祖神阿田賀田須命(アタカタスノミコト)に因む名前と考えられます。愛宕神、愛宕権現も同様で、卑弥呼の弟赤坂比古(和邇氏の祖)と考えています。海幸彦との諍いから服従するまでの話は、まだ子供だった大国主の父久々遅彦(魏志倭人伝の狗奴国の官狗古智卑狗、古事記の天之冬衣神)が倭国王難升米に討たれて、卑弥呼の父先代赤坂比古狗奴国を裏切り、全財産を没収して大国主少年を追放した話が「因幡の白兎」とされたと突き止めていますので、これが海幸彦が山幸彦との抗争の話に対応します。そして、大国主が成人して卑弥呼の死後に弟赤坂比古を傘下にして列島の大部分を手に入れた史実が霊力のある玉で兄を屈服した話になったのではないかと考えています。

(注4)しかし、史実を考える冷静な立場でこれらの神話を考えると、編纂者は初代天皇がワニの近親婚で生まれた一族だと貶める話なのですから、このような神話を教えられた日本人が、これが本当に、天皇が編纂した正史なのかと疑わないのは、天皇の起源となる神話という洗脳によるものなのでしょう。でも、日本神話が政治的に創作されたものと気づかないと、困ります。現政権が本当に日本の未来と日本国民のためにやってくれているのか考えることもできない想像力の低下が起こっているようです。このままでは日本は終わりますよ(;´Д`)






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