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大山祇命(オオヤマツミ)は、「日本書紀」ではイザナミがカグツチを生んで死んだので怒ったイザナギに斬られたときに生まれた神ということです。ニニギの天孫降臨の後、オオヤマツミの娘であるコノハナノサクヤヒメと出逢い嫁にしようとしたら、父オオヤマツミはコノハナノサクヤヒメの姉で容姿が醜いイワナガヒメとセットで片付けようとしたのですが、イワナガヒメだけを送り返されて、オオヤマツミは怒り、「イワナガヒメを添えたのは、天孫が岩のように永遠でいられるようにと誓約を立てたからで、イワナガヒメを送り返したことで天孫の寿命は短くなるだろう」と告げたという話があります(wiki「オオヤマツミ」より)。
大山祇命(オオヤマツミ)は、静岡県三島大社の御祭神です。
積羽八重事代主神[つみはやえことしろぬしのかみ]、
御二柱の神を総じて三嶋大明神[みしまだいみょうじん]と称しています。
大山祇命は山森農産の守護神、また事代主神は俗に恵比須様とも称され、
福徳の神として商・工・漁業者の厚い崇敬をうけます。
ということは、大山祇は大国主の長男事代主と同一神ということですが、
本当は怖い七福神の謎でも見たように、
事代主は大国主の分身と考えられますから大山祇も同様に大国主の分身ということなのですよ(#^.^#)
Wiki「オオヤマツミ」によれば、山神社も関係します。
全国に3075社ほど。大山祇神社(愛媛県今治市大三島)の分社や、その地方の山神を大山祇神として崇めた神社が含まれる。比較的小規模な神社が多く、ごく小規模な神社や境内社といった形で祀られる例が多い。地域的には、愛知県311社、静岡県257社、長野県204社、大分県191社、徳島県168社、福島県165社、山形県150社、兵庫県145社、岐阜県132社、山梨県131社などとなっている。
その他、全国で438社ほど(別の神を祀る神社を含む。2007年國學院大學発行『現代・神社の信仰分布』に拠る)が十二様としての大山祇神を祀る。新潟県や群馬県の中山間部を中心に存在する。小規模社が多い。とあり、さらに、大山阿夫利神社(神奈川県伊勢原市)や梅宮大社(京都市右京区)、湯殿山神社(山形県鶴岡市)などでもオオヤマツミが主祭神ととされるそうですから、あからさまにしないようにして、本当はすべて大国主を祀っているということには驚かされます。
オオヤマツミと似た名前のオオヤマクイという神様は比叡山(日枝山)の日吉大社(滋賀県大津市)の祭神ですが、秦氏の松尾大社のご祭神としても有名です。日吉大社には後に大物主神が勧請されており、大物主神を大比叡、大山咋神を小比叡と呼ぶ。山王は二神の総称である。大物主神は西本宮に、大山咋神は東本宮に祀られている。とあります。
能楽「翁」は大国主のサンバだった?で見たように
秦氏は武内宿禰=大国主を祖とする一族ですから、
オオヤマクイも大国主の分身だと分かります。
そして、『秦氏本系帳』に記載がある丹塗矢の神話によると、上賀茂神社(賀茂別雷神社)の賀茂別雷大神は松尾大社の祭神、すなわち、大山咋神とされるという[2]。とwiki「大山咋神」にあります。
これで前回女性天皇は「記紀神話」の呪いだったで見た斎王制度は伊勢神宮と賀茂神社だけにあることが納得できます。
伊勢斎宮・賀茂斎院の二つの斎王制度が両立していた間、都に近い斎院の方が遠い伊勢の斎宮よりも重んじられていたようで、歴代斎院は斎宮に比べて女王が少なく、また生母の出自も高い例が多い。とあり、
伊勢斎宮も賀茂斎院も未婚の皇女が大国主を祀る制度だったのです。
能楽が建国の真相を伝える?で謡曲「三輪」が暴露したように
伊勢神宮も賀茂神社もご祭神は大国主だったのですよ。
実在人物の大国主が真の太陽神として伊勢神宮内宮で祀られており、
外宮に豊受大神として台与が祀られているのです。
女神アマテラスは「日本書紀」で創作された架空の神だということなのですよ!(^◇^)

賀茂斎院跡 葵祭のルーツ 葵祭の斎王行列発祥の地
こうなるとほとんどの男性神が大国主の分身だと分かりますよ。
例えば事代主とも、アジスキタカヒコネとも言われる葛城山の一言主神もすべて大国主をカモフラージュするための神だったのですよ(*^▽^*)
ヤマトに国譲りした大国主ほど祟りが怖ろしい神はいないのです。大国主と一緒に殺された台与も、ヤマト勢が押し寄せてくるタイミングで起こった日食のために殺された卑弥呼もヤマトを怨んで祟る神ですから、大国主と同様に様々な名前で鎮魂の祈祷を行っているのですよ(^_-)-☆

いくら八百万の神様がいると言っても、宮司さんには申し訳ないですが(;´Д`)
事績のよくわからない実在人物だったとも思えない神様たちを
日本全国各地で、何でそんなに丁寧に祀らなければならないのか
皆さん、不思議だったのではないでしょうか?
でも日本書紀のトリックが分かると謎が簡単に解けてしまうから面白い!( ^)o(^ )
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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大山祇命(オオヤマツミ)は、「日本書紀」ではイザナミがカグツチを生んで死んだので怒ったイザナギに斬られたときに生まれた神ということです。ニニギの天孫降臨の後、オオヤマツミの娘であるコノハナノサクヤヒメと出逢い嫁にしようとしたら、父オオヤマツミはコノハナノサクヤヒメの姉で容姿が醜いイワナガヒメとセットで片付けようとしたのですが、イワナガヒメだけを送り返されて、オオヤマツミは怒り、「イワナガヒメを添えたのは、天孫が岩のように永遠でいられるようにと誓約を立てたからで、イワナガヒメを送り返したことで天孫の寿命は短くなるだろう」と告げたという話があります(wiki「オオヤマツミ」より)。
大山祇命(オオヤマツミ)は、静岡県三島大社の御祭神です。
積羽八重事代主神[つみはやえことしろぬしのかみ]、
御二柱の神を総じて三嶋大明神[みしまだいみょうじん]と称しています。
大山祇命は山森農産の守護神、また事代主神は俗に恵比須様とも称され、
福徳の神として商・工・漁業者の厚い崇敬をうけます。
ということは、大山祇は大国主の長男事代主と同一神ということですが、
本当は怖い七福神の謎でも見たように、
事代主は大国主の分身と考えられますから大山祇も同様に大国主の分身ということなのですよ(#^.^#)
Wiki「オオヤマツミ」によれば、山神社も関係します。
全国に3075社ほど。大山祇神社(愛媛県今治市大三島)の分社や、その地方の山神を大山祇神として崇めた神社が含まれる。比較的小規模な神社が多く、ごく小規模な神社や境内社といった形で祀られる例が多い。地域的には、愛知県311社、静岡県257社、長野県204社、大分県191社、徳島県168社、福島県165社、山形県150社、兵庫県145社、岐阜県132社、山梨県131社などとなっている。
その他、全国で438社ほど(別の神を祀る神社を含む。2007年國學院大學発行『現代・神社の信仰分布』に拠る)が十二様としての大山祇神を祀る。新潟県や群馬県の中山間部を中心に存在する。小規模社が多い。とあり、さらに、大山阿夫利神社(神奈川県伊勢原市)や梅宮大社(京都市右京区)、湯殿山神社(山形県鶴岡市)などでもオオヤマツミが主祭神ととされるそうですから、あからさまにしないようにして、本当はすべて大国主を祀っているということには驚かされます。
オオヤマツミと似た名前のオオヤマクイという神様は比叡山(日枝山)の日吉大社(滋賀県大津市)の祭神ですが、秦氏の松尾大社のご祭神としても有名です。日吉大社には後に大物主神が勧請されており、大物主神を大比叡、大山咋神を小比叡と呼ぶ。山王は二神の総称である。大物主神は西本宮に、大山咋神は東本宮に祀られている。とあります。
能楽「翁」は大国主のサンバだった?で見たように
秦氏は武内宿禰=大国主を祖とする一族ですから、
オオヤマクイも大国主の分身だと分かります。
そして、『秦氏本系帳』に記載がある丹塗矢の神話によると、上賀茂神社(賀茂別雷神社)の賀茂別雷大神は松尾大社の祭神、すなわち、大山咋神とされるという[2]。とwiki「大山咋神」にあります。
これで前回女性天皇は「記紀神話」の呪いだったで見た斎王制度は伊勢神宮と賀茂神社だけにあることが納得できます。
伊勢斎宮・賀茂斎院の二つの斎王制度が両立していた間、都に近い斎院の方が遠い伊勢の斎宮よりも重んじられていたようで、歴代斎院は斎宮に比べて女王が少なく、また生母の出自も高い例が多い。とあり、
伊勢斎宮も賀茂斎院も未婚の皇女が大国主を祀る制度だったのです。
能楽が建国の真相を伝える?で謡曲「三輪」が暴露したように
伊勢神宮も賀茂神社もご祭神は大国主だったのですよ。
実在人物の大国主が真の太陽神として伊勢神宮内宮で祀られており、
外宮に豊受大神として台与が祀られているのです。
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賀茂斎院跡 葵祭のルーツ 葵祭の斎王行列発祥の地
こうなるとほとんどの男性神が大国主の分身だと分かりますよ。
例えば事代主とも、アジスキタカヒコネとも言われる葛城山の一言主神もすべて大国主をカモフラージュするための神だったのですよ(*^▽^*)
ヤマトに国譲りした大国主ほど祟りが怖ろしい神はいないのです。大国主と一緒に殺された台与も、ヤマト勢が押し寄せてくるタイミングで起こった日食のために殺された卑弥呼もヤマトを怨んで祟る神ですから、大国主と同様に様々な名前で鎮魂の祈祷を行っているのですよ(^_-)-☆

いくら八百万の神様がいると言っても、宮司さんには申し訳ないですが(;´Д`)
事績のよくわからない実在人物だったとも思えない神様たちを
日本全国各地で、何でそんなに丁寧に祀らなければならないのか
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