行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

創られた伝統から解放されるための虚心

2017-02-17 16:29:27 | 日記
中国の学生に桜の語源や桜にかかわる文化を教えようと思って調べ始めたら、泥沼に首を突っ込んだようになってしまった。これまで春が来れば年中行事のように公園で花見をし、さくらは日本文化の象徴であるかのように吹聴してきたが、実はほとんどわかっていないことに気付いた。



語源にしても、皇室記者時代、神話に出てくる稲の神に嫁いだ「このはなのさくやひめ」と関係があるとは聞いたことがある。『古事記』では「木花之佐久夜毘売」、『日本書紀』では「木花之開耶姫」と表記される。「開(さ)く」から「桜(さくら)」と呼ばれるようになったとする説がある。詳しく調べてみると、白川静『字訓』(平凡社)には、

「さく」は「咲く」、「ら」は接尾語。「さ」を農耕に関する語とし、「さ座(くら)」の意とする説もあるが、簡明に解してよい。

とある。白川説は、語音的には「開く」が「さくら」になったとする神話説にも通ずる。だがある特定の名詞に結びついた動詞についてみれば、当然、先に名詞が生まれて、それから動詞が生まれる。だとすれば「咲く⇒さくら」は成り立たない。もともと「さくら」が花の代表としてあり、それが開くので「咲く」という動詞が生まれた、というのであれば理解できる。どうも順序が逆のような気がする。「このはなのさくやひめ」が宿る木だから「さくら」になったのではなく、さくらに宿るから「このはなのさくやひめ」と名付けられた、と考えるべきではないのか。

語源に関する有力説の一つが、白川氏も触れているように、「さ」は田の神を指し、「くら」は神の「座(くら)」だと説明するものだ。稲の神にかかわるという点では「このはなのさくやひめ」にも通ずる。田植えの始まるころに咲き、わずかの間に散り去る花に、豊作の祈りをこめる人の気持ちも想像できる。どうも「さ(田の神)」+「くら(神座)」のほうが説得力がある。「くら」は「倉」にも通じ、農耕とは深い関係がある。

神事が祭事になり、庶民の楽しみ、遊びに発展していくことは多くの芸能や娯楽に共通している。花見好きの一人としては、素直に咲き散る花を楽しめばよいと思う。もちろん、在原業平が、

「世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」

と詠んだ感傷もあるだろうし、

西行法師が、

「願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃」

と託した信仰もある。さまざまな思いを受け止めてきたからこそ、現代にいたるまで最も愛される花であり続けた。はぎでも梅でも牡丹でもなく、なぜさくらだったのか。色彩、形状、たたずまい、すべてが日本人の心にかなっていたのであろう。詠み込まれ、描き尽くされたすえ、本能的な美感に文化的な審美観が加わった面もあるに違いない。

さくらの散り際が、武士道を連想させ、軍国主義の象徴であるかのようにあがめたてまつられた時代がある。いまでもさくらを、抽象的な「大和魂」のキーワードで解釈しようとする人がいる。だがこの点については、戦前、国語学者で『櫻史』の著書、山田孝雄氏が『中央公論』(1938年4月)に寄せた一文「はな」の中で、「はかなさ」を深読みする見方を戒めている。

山田氏は、よく知られた本居宣長の「しきしまのやまと心を人とはゞ 朝日にゝほふ山ざくらばな」、賀茂真淵の「うらうらとのどけき春の心より にほひいでたる山ざくら花」の歌をたたえながら、「大した理屈はない」と評する。ありのまま詠み、感じることが大事なのだと勧める。押しつけがましい思想を排してこそ、日本人が愛した本当の美がわかると言っている。「伝統」という創られたイメージに目の曇ってしまいがちなわれわれが、常に忘れてはならない警句である。

「はな」の最後にはこう書いてある。

「桜の美は実に多くの花の集合した全体の上にあらわるる美である。・・・国民的感情のあらわれとして、又国民的感情の同感しうるものは花の雲であり、花の霞である」

雑念を排し、賢しらを退け、心を空しくすれば、きっといろいろなものが見えてくるに違いない。語源や魂にこだわるよりも、いかに楽しみ、受け入れてきたかにこそ「伝統」の重みがある。古人が「行楽」と呼んでいたものである。

「菊(きく)」を訓読みだと思っていた大きな錯覚

2017-02-15 20:44:26 | 日記
昨年の11月、広東省・潮汕地区の古い村落に行った時のこと。タイを中心に拠点を置く華僑のふるさとで、各氏族ごとの祖先を祭る祠堂(ツータン)には、親族がタイ国王と一緒に写った写真も飾られていた。毎年、旧暦9月9日の重陽節には、世界各地から親族が帰省し、にぎやかなお祭りとなる。祠堂には、年ごとの重陽節に寄せられた個人からの寄付金リストが張り出されている。





「春節には戻ってこなくても、重陽節は必ずみんなが集まる」

村民はみなそう口をそろえた。かつて新天地を求めて飛び出した華僑の中には、南方で農作業に従事する者もいた。早めの収穫を終え、たくわえを持ってふるさとに集まるという伝統なのかもしれない。最も大きな数字の9は好まれたし、重陽節に不可欠な菊花や菊酒は、魔除けや長寿につながる。一族団らんの機会としては申し分のないお祭りだった。都市部ではすっかりすたれてしまった習慣だ。

菊は潮汕語で【geg】、広東語で【guk】。この二つの方言は中国古語の発音をとどめていると言われるが、日本の菊(kiku)に近いと感じた。調べてみると、日本でも古代は「kuku」と発音していた。恥ずかしながらこれまで知らなかったが、「菊(キク)」は音読みで、訓読みがない。つまり日本にはなく、中国から伝わって初めて名前を得た花だ。だから『万葉集』(8世紀後半)に萩や梅、松、桜は詠まれているが、菊は一首も登場しない。

菊は皇室や宮家の紋章とされ、ベネディクトの『菊と刀』を持ち出すまでもなく、日本文化の象徴のように思われているが、物も名前も中国伝来である。唐の時代に伝わったとされ、平安朝には宮中で、9月9日の重陽節に菊の花を観賞し、菊酒を飲む公事が営まれている。『古今和歌集』(10世紀初め)には人口に膾炙した、

<心あてに折らばや折らむ 初霜のおきまどわせる白菊の花> 凡河内躬恒(みつね)

の一首がある。日本人はこうした渡来文化を吸収したのち、陶淵明(365-427)が残した「菊を采る東籬のもと 悠然として南山を見る」(『飲酒』)を味わう境地を得た。



鎌倉時代に入り、後鳥羽上皇(1180-1239)がことのほか菊を好み、その紋様を衣服や輿、刀剣などに用いたことがきっかけとなって皇室の紋章が生まれた、と諸書が伝える。大和言葉として残る「さくら」が、神事と結びついた古い伝統を担っているのとは好対照をなす。

中国人学生の多くも、天皇家の紋章が菊で、日本の文化を象徴する花であることを知っている。それが中国伝来だと教えたら、さぞ驚くに違いない。蘭(ラン)も音読みで、訓読みがない中国産だ。

「麺」と「めん」の違いからみた日中文化比較

2017-02-13 10:59:39 | 日記
中華料理店は世界各国にあり、それぞれ土地の味覚に応じた変化をしている。だから中国に長く住むと、日本の中華料理が恋しくなるという不思議な現象も起きる。マーボードーフも本場の四川人からみれば完全な偽物、「なんちゃって中華」なのだが、「辛くないマーボードーフ」が無性に食べたくなる。逆に飲食の習慣が影響を受けることもある。しばしばお茶を飲むので、日本に帰ってきても冷たい飲み物を求めなくなってしまった。あと変わったのは主食に対する感覚だ。

「主食」については興味深い日中の違いがある。

昨日の12日は、春節の終わりを告げる元宵節(旧暦1月15日)だった。中国では南方を中心に「湯円(タン・ユエン)」を食べる習慣がある。黒ゴマや砂糖などのあんをひと口サイズの餅で包み、ゆでたものだ。地方によっては肉を使った塩味タイプもある。「団円(トァン・ユエン)=円満」の縁起を担ぎ、個人や家族の幸せを託す。



この湯円は主食かどうかという議論がある。私はてっきりデザートのような感覚でいたので、初めて聞いたときは意外だった。だがもち米が原料であれば、堂々と主食の仲間入りができる。主食はでんぷん質を多く含むエネルギー源を指すのだ。食べ物の話は尽きない。

中国人が日本に来て驚く食事の一つは「餃子ライス」である。中国の餃子は北方の代表的な主食。大半はゆでる水餃子で、小麦粉で作った皮はかなり厚い。これを山盛りにして食べる。日本人はその量に圧倒される。



日本の食卓に上がるのは皮の薄い焼き餃子で、おかずとして出される。中国人からすると、餃子ライスは主食+主食のあり得ない取り合わせだ。めんも主食だから、ラーメン+餃子+こめの主食3点はもっとあり得ない。私も現地文化の影響を多分に受け、その違和感を共有しつつある。



中国語の麺(簡体字では「面」=ミェン)は小麦粉で作った食品全般を指し、一般的なメンのほか、餃子、饅頭(マントウ)、面包(パン)までが含まれる。メンの形をしていても、小麦粉で作られていなければ厳密には麺の仲間に入らない。それぞれの気候風土に応じ、同じ原料を使い分けただけなので、形式よりも中身が大事なのだ。

中国のこめは日本と同じ水分の多いジャポニカ米のほか、南方では細長くぱさぱさしたインディカ米もある。こめをすってメン状に伸ばした米粉(ビーフン)や粿条(グオ・ティアオ)もあるが、麺とは言われない。あくまで米食なのだ。私の住む広東省の潮汕地区は粿条の本場で、スープに入れるものから炒めもの、揚げ物まで様々な食べ方がある。日本人にとってのこめと同様、なくてはならない食べ物だ。

一方、日本語でメンといえば「粉を練ったものを細長く切った食品」(『広辞苑』)のことで、ラーメンやそば、うどん、スパゲッティの総称だ。原料よりも形状が重んじられている。冷や麦やそば(蕎麦)の漢字に、かろうじて跡形が残っているだけだ。メン文化そのものが輸入品で、すでにできあがった形に目が向くのはやむを得ない。こめが圧倒的な主役の座を占めているので、それ以外はわき役でしかない。米食の比率は年々減っているようだが、伝統行事ではもちを含め、神事と深く結びついたこめを抜きには考えられない。だから形が全く異なるこめと餃子の組み合わせに違和感がない。

人間関係にも似たようなところがある。初対面の際、日本人はまず名刺を差し出す。学生でさえ自分の名刺を持つことが当然になっている社会は珍しい。相手の名刺を手にすると、目線も合わせず、名刺を押しいただくよう子細に眺め、そこに書かれた組織名やロゴ、肩書や連絡先などをひと通りチェックする。会話はそこから始まる。ここでつまづくと最後までぎこちない場になってしまう。個人の中にではなく、その背景にあるものが重んじられる。

中国ではまず握手をし、相手の目を穴のあくほど見つめながら、強い第一印象を残す言葉をひねり出す。会議でも、宴席の場でも、自分の存在感をアピールする発言を繰り返しながら、相手の発言に耳を傾け、果たして信用のできる人間なのか、もう一度会う価値のある人間なのかをじっくり見定める。殻を脱し、自分をさらけ出すことが、関係を築くための第一歩となる。そのうえで、また会いたいと思う者には名刺を渡すなり、携帯の連絡先を交換するなりが行われる。このステップがなければ、もう忘れられた存在だと覚悟しなければならない。

日本では組織を離れると、音信不通になるケースが多いが、人と人がつながる中国人社会は、むしろそういうときこそお互いが助け合い、関係はむしろ深まる。目に見えない、とらえどころのない組織など信用しない。目の前にいる人を見る。人間関係は一対一がぶつかり合う真剣勝負の場となる。組織に足を突っ込み、タコツボから顔をのぞかせているような関係にはならない。

メンのようにみえるかどうかではなく、それが何でできているのか、果たして腹がいっぱいになるのかを気にする。形式ではなく実質なのだ。

外見や肩書にこだわる日本人は集団主義であり、環境の変化には極めて保守的な反応を示す。島国にあって、外来文化を人との接触からじかに受け入れるのではなく、物や書物を通じて間接的に模倣し、学んできた歴史がある。また、名刺を神聖化する日本人の姿は、こめを神のようにあがめるさまに似ている。不可知の権威を認め、感情的な畏敬の念を抱く。原料を見定める中国人は、見えない神は信じない。理性を重んじ、あくまで目の前の人物の中身にこだわる。

主食の話から大きく脱線したが、いかに外部の環境を認識し、いかに自分の態度を決めるのかという文化においては、相通ずるところがあると感じる。

中国人がテーブルの箸を横向きから縦に置くようになった理由とは。

2017-02-08 23:55:16 | 日記
何年も前のことだが、ある北京のレストランで、私が中国人と韓国人との3人で食事をした。丸テーブルではなく、四人掛けの四角いテーブル。高級の部類に属する店だったので、きれいに磨かれた食器が整然と並べられていた。各人とも、箸は自分用の「私筷」と取り箸の「公筷」の二組が縦向き、つまり対面の相手に箸先を向けて置かれていた。そこで韓国人が言った。

「韓国では相手に向けて箸を置くのは無礼になるので、いつも横向きに置き換えることにしている」

そして私は、

「日本も韓国と同じだけれど、中国には中国の習慣があるのだから、いつもそれに従っている。きっと縦向きの理由があるに違いない」

と、間をとりなすような言い方をした。ナイフとフォークを使う西洋の影響を受けたのか。長い宴席文化の歴史を持つ国なのだから、もっと深い意味があるのかもしれない。いつも疑問に思っていたが、深く考えたことはなかった。同席した中国人もマナーの由来については知らないと言った。

ところが先日、知人から携帯のウィー・チャットで、箸の置き方に関する日中比較を論じた文章が送られてきて、思いもよらない箸の置き方の変遷を知ることとなった。私が日中文化に関する新講座を受け持つことになり、その知人に、何かいい知恵があったら貸してほしいとお願いをしておいた。

さすがに食を重んじた国だけあって、食事の風景を描いた絵が多数残されている。これが箸の置き方を時代考証をする助けになる。





上の2枚は唐代の壁画に描かれていた食事の風景である。箸が横向きに置かれており、日本人は遣唐使によってこの習慣を受け入れたことがうかがえる。漢字の音読みと同様、本家には途絶えてしまった文化を継承している一例である。では、いつ、どうして中国は箸を縦向きに変えたのか。







上の3枚は文人の宴席を描いた宋代の『文会図』。いずれも箸は縦向きに変わっている。唐から宋にかけて、箸の置き方について一大変化が起きたわけだ。以下は私の推測である。

中国の王朝は唐(618-907)と宋(北宋960-1127、南宋1127-1279)の間に、五代十国と呼ばれる時期を迎える。五代の王朝が相次ぎ交代し、地方では十国が鼎立した戦乱の時代だ。北方騎馬民族のの侵攻もあった。肉食を主とする民族の習慣が入り込み、箸とナイフが一緒に並べられたかもしれない。礼はすたれ、実用の便が優先されて置き方は縦になる。こんな変化があったのではないか。

そうしてみると、箸の置き方に中国の歴史が刻まれていることになる。とかく漢族中心の文化史が語られるが、中国、特に中原、北方では少数民族の影響が随所に残されていることを思い起こさせてくれる。礼の衰退とみるか、文化の多層性とみるか。箸をつつき、盃を交わしながら考えればよい。


八方美人と八面玲瓏の違いは顔とメンツの違い

2017-02-07 13:10:38 | 日記
言語の違いによる文化比較論は精緻を極め、専門化、細分化による弊も多い。本来の目的である相互理解の促進からはほど遠いのが現状だ。最も身近である言葉を通じ、大局的な視野に立ったコミュニケーションの強化、深化が進められてもよい。

最近、気になったのが日本語の「八方美人」だ。これを中国語に訳そうとして悩んだ。日中の辞書を引くと「八面玲瓏(れいろう)」とある。「玲瓏」は細工が精巧細微なさまや、利発な人間を形容する。八面玲瓏は時に、「世渡り上手」への風刺も含むが、元来、どこからみても曇りのない、非の打ち所がない状態を指す表現だ。八面玲瓏は日本語でも用いられ、中国語の原義と同じ意味だ。だれに対してもいい顔を見せる八方美人とはずれがある。

人物評としてみれば、八面玲瓏は人間関係を上手に処理する交際術を備えた練熟の人物、プラスイメージを持っているのに対し、八方美人は類義語がお調子者や阿諛追従に近いマイナス評価しかない。八方美人は中国語にないので、和製四字熟語であろう。中国語に訳すには、「両面性」「無原則」とでもするしかない。外からどう見えるかではなく、実際にどうあるかに重きを置いた表現となる。

一切スキを見せず、万人にいい顔など凡人にはできない。だから取り繕って無理をする人物に虚偽を感じ、見下げる心もちが八方美人の語感にはある。だが世渡り上手を軽蔑するのは、原理原則を重んじる国民性なのか、と問われればだれも首をかしげるしかない。メディアは八方美人的な論調にあふれ、そうした人間もまたあまりにも多い。世渡りの達人に求められるのは、八方美人との評が立つことさえ避けるほどのバランス感覚だ。背景には、良くも悪くも人目を過剰に気にする文化が存在している。

八面玲瓏には、無理であっても理想を求める心情が含まれている。理想であることが虚偽のいかがわしさをオブラートに包んでいる。無原則な人間を揶揄するのに、わざわざ美人や玲瓏な玉を持ち出す手間はかけなかったのだ。どう見られるかという受け身ではなく、どう見せるかという文化の違いもある。韓国語に詳しい中国人に聞くと、韓国語には漢字にすれば「八方美人」となる言葉があるが、「才色兼備の美人」の意味もあり、プラスイメージだという。

社会に生きる以上、人目を気にするのは人間の定めである。問題は、どのように気にするか、である。日本語には「顔をつぶす」「顔を立てる」「顔色をうかがう」など、顔に関する豊富な表現がある。面子を重んじる中国には、「面子にこだわる」の意だけで「愛面子」「要面子」「講面子」があり、「面子を与える」は「看面子」「給面子」「留面子」、面子をつぶす場合は「駁面子」「掃面子」「裁面子」「傷面子」などと枚挙にいとまがない。

日本人の「顔」は恥の文化とかかわるので、露骨に「見て」も、「見せる」のもいけない。目立たないように顔を立てなければならない。露骨な振る舞いは空気が読めない行為として排斥される。中国人のメンツはむしろ、だれがだれのメンツを立てたのか、みんなにわかるように表現しなければ意味がない。状況を踏まえて人のメンツを立てられる人物には、非常に高い評価が与えられる。その逆もしかりで、メンツをつぶす行為には忘れがたい恨みや憎しみがついて回る。いい加減な空気は入り込む隙間を与えられていない。



こんな試論を学生とたたかわせるべく、新学期から日中文化コミュニケーションの新講座を開設することにした。汕頭大学長江新聞輿伝播学院(ジャーナリズム・コミュニケーション学部)では、教師が自分の開きたい講座を申請し、意義があると上層部に認められれば認められる。定員も教師が指定できる。声を上げれば答えが響いてくる。声を出さなければ忘却される。新講座は範囲が広いので、学部長の判断で、全学の学生に公開することとなった。私は、お互いにしっかり顔の見える授業を望み、最小の30人にしぼった。文科系から理科系まで300人の申し込みがあった。いい加減な授業はできない。顔色をうかがうのでもなく、メンツを考えるのでもなく、まっすぐな目と真剣に向き合いながら、真理を探究する逃げ場のない勝負をする。だから一時帰国の目的は図書館通いである。