行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

過酷な政治闘争を経てとうとう「核心(中核)」の呼称を得た習近平

2016-10-28 01:13:06 | 日記
中国共産党の第18期中央委員会第6回全体会議(6中全会)が27日、閉幕し、コミュニケが公表された。
http://news.xinhuanet.com/politics/2016-10/27/c_1119801528.htm(中国語)

注目すべきは以下の二か所である。

「本会議は、党内の厳格な統治の成果を高く評価し、第18回党大会以後、習近平同志を中核(核心)とする党中央が自ら行動し、率先垂範し、全面的党を厳格に統治する政策を堅固に推進し、思想面での党建設と制度による党の統治を密接に結び付ける方策を堅持し、集中して党風紀を整頓し、腐敗を厳しく処罰し、党内の政治環境を浄化し、党内の政治生活に新たな気風を生み、党内や国民の支持を得て、党と国家の事業の新たな局面を引き開く上で重要な後ろ盾を提供した」

「本会議は次のように呼びかける。習近平同志を中核とする党中央に全党員がしっかりと団結し、全面的に本会議の精神を深く貫徹し、政治意識、大局意識、核心意識、順守意識を堅固に打ち立て、党中央の権威と党中央の集中統一指導を揺るぎなく維持し、全面的に党内を厳格に統治する政策を引き続き推進し、協力して清廉な政治環境を作り、確かな党の団結によって人民を指導し、中国の特色ある社会主義事業の新たな局面を切り開く」

言うまでもなく、初めて登場した「習近平同志を中核とする党中央」がキーワードだ。メディアは「習近平への権力集中がさらに進んだ」といったお決まりの文句を並べるだろうが、それは取材なしでも書ける「管理人記者の後付け記事」だ。椅子に座って、来る者を裁いているだけに過ぎない。

反腐敗キャンペーンを通じ、習近平の権威は高まっており、その結果としての「中核」であって、因果関係が逆である。メディアは、共青団や江沢民派といった架空の派閥闘争を描き、党内の分裂や軋轢、対立を書き立ててきたことの反省もなく、場当たり的にニュースを取り繕っている。だから結局、後付けしかできない。習近平は、かつての共産党が堅持しながら胡錦濤時代に崩壊していた、総書記を中心とする集団指導体制を取り戻そうとしている。6中全会では特に、周永康前常務委員ら前例のない最高指導部を摘発した実績を背景に、高位の者が率先して範を示すことを強調した点が重要だ。

私は月刊誌『FACTA』の4月号で、連載「底知れぬ習近平」の3回目として「我こそは『中核』中央にならえ!」と題する原稿を書いた。



歴史の流れの中で政治をとらえる必要がある。以下、主な部分を抜粋する。

「中央にならえ」の号令を受け、今年に入り地方指導者が習近平を「中核」(中国語では「核心」)と呼ぶ事例が相次いでいる。周永康の影響力が強かった四川省で、党中央組織部出身の王東明・同省党委書記が「習近平総書記というこの中核を断固として守る」と発言したのを皮切りに、各地の省トップが同様の決意表明を行い、「すでに全国で半数を超えた」とあおる官製報道まで流れた。

「中核」は単なる言葉の遊びにとどまらない権力闘争の歴史を反映している。

鄧小平は天安門事件で直面した内外の危機に際し、「どんな集団指導にも一つの中核が必要だ。中核のない指導はよって立つものがない。第一代集団指導の中核は毛主席だった。毛主席の中核があったから、文化大革命でも共産党は崩壊しなかった。第二代は実際に私が中核だ」と宣言。民主的な態度を取って保守派と対立した胡耀邦、趙紫陽の両総書記失脚後も、「党の指導は安定していた」と述べた(『鄧小平文選』)。第三代の中核として江沢民を位置付け、危機を乗り切ることに主眼があった。

第四代の胡錦濤総書記も鄧小平がレールを敷いたものだったが、鄧小平の死後、胡錦濤への政権委譲は江沢民が恣意的に介在した。江沢民は胡錦濤に総書記の座を譲った後、2年間近く中央軍事委主席のポストに居座り、引退後も「重要事項は江沢民に相談する」との密約を結ばせた。常務委員9人の中にも自分の腹心を多数送り込み、胡錦濤の手足を縛った。

「第三代中央集団指導の中核」と公認された江沢民は内部会議で、「中核は闘争の中で形成されるもので、誰かが中核になりたいからといっても、永遠になれるものではない。これは一つの歴史の法則と言ってよい」(『論国防和軍隊建設』)と述べ、胡錦濤には「中核」の呼称を使わせなかった。結局、胡錦濤政権は「不作為の10年」という汚名を負わされることになった。

以上の文脈に従えば、習近平は政治闘争で江沢民派を排除し、「歴史の法則」にのっとり、「闘争の中で形成される」中核の存在に近づいたと言える。習近平に中核の名が冠せられるのも不思議はない。江沢民が鄧小平の権威に頼っていたことと比べれば、習近平こそ闘争の中で勝ち取ったというにふさわしい。(了)

以上

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