20日発売の月刊誌『FACTA』で集中連載が始まった。タイトルは「底知れぬ習近平」。文字通り、うかがい知れない力とその裏返しとしての弱さを持った政治家を分析するのが主テーマである。彼が政権を担当するであろう10年間、つまり2022年まで、しっかりそれを見届けようと思う。それが非常に困難な問題を抱えて台頭する大国の実像を見極めることにつながる。
FACT「底知れぬ習近平」 ①「知りすぎた政商」獄中抹殺
https://facta.co.jp/article/201602013.html
台湾総統選での民進党勝利、GDP成長の減速、いずれも中国が直面している困難な現実を象徴している。だがメディアが追っているのはその表層に過ぎない。表に現れた結果はあらかじめ想定の範囲内である。だが深層には少しずつ目に見えない変化が生じ、大きな時代のうねりを生む力になっていく。歴史はそうして作られていく。だれもが予想できるようには動いていない。だから目を曇らせず、耳を研ぎ澄まし、感じ取る独立した思考と想像力が必要となる。
もし「中国はダメになっていく」という報道に期待し、安堵し、「やっぱりそうか」と思うようになっているのだとしたら、日本は間違いなく誤った自滅への道を歩むだろう。事実、現実を直視できない者は、正しい方向に向かう思考の力も持ちえない。仮にダメになろうとしているように見えても、当事者は必死に困難に向き合っていることを忘れてはいけない。多くの助けも求めている。その困難を乗り越えた後は、強さを身につける。人も国も同様である。
困難を持った者に対して、救いの手を差し伸べようとする「忍ばざるの心」は生まれないものだろうか。古人はそれを惻隠の情と呼んだ。多くの宗教はそれを「愛」として語っている。博愛、慈愛、仁愛。孫文生誕150周年にあたり、「孫文と梅屋庄吉」について資料をまとめている。
ちょうど150年前の1866年11月12日、中国広東省香山県(現中山市)で一人の男児が産声を上げた。隣接する珠海市を抜ければ南シナ海に出る。列強の刃に侵されつつあった祖国をいったんは離れ、彼は12歳で太平洋を横切りハワイに向かった。医師から革命家に転じて中国の王朝体制を倒し、共和制に道を開く革命を指導させた偉人、孫文である。人々は彼を中国建国の父と呼ぶ。
2年後の1868年11月26日、広東から南東へ海を約2000キロ渡った日本の長崎県で、もう一人の男児が誕生した。恵まれた家庭環境で自由奔放に育ち、目の前にある海にどんどん漕ぎ出していった。上海、フィリピン、朝鮮、シンガポール、そして香港・・・。向こう見ずな行動で2回、命を失いかけ、何度も家産を傾ける大失敗を重ねた。だが飽くなきチャレンジ精神と類まれなる行動力によって成功をものにした超人、梅屋庄吉である。
果てしのない大海を挟み、偉人と超人は全く違った道を進んできた。だが、国境を乗り越える壮大な夢を持ち続け、たゆまぬ努力を積み重ねてきた。あたかもある日やってくるであろう出会いの準備をするかのように。
そこにあるものは何かを考えている。「愛」という言葉以上にふさわしいものはないような気がしている。本当に信仰、主義、国境を超える力は政治や経済といった一部の利益ではなく、心を結びつける力なのではないか。そこに一視同仁の愛がある。徹夜を続けた意味があった。
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