行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

「身体性」を取り戻す学びの場に

2018-03-01 10:41:30 | 日記
日本で過ごす冬休みが終わり、昨日、羽田から上海に入った。これから汕頭の大学に戻り、新学期に備える。

東京を離れる前夜、学生時代の友人と同窓会を開き、意外なことを指摘された。どういうわけか、私が近所の中野図書館に行くたび、フェイスブックで友人たちに通知されているのだという。中国はFBが使えないので、必要な時だけ有料のVPNを使って壁越えをする。ほとんど機能していないも同然だったFBが、壁のない日本でとんでもない情報発信をしていたことになる。自分以外の人間が勝手に動いていたような感覚だった。

つながる社会(connected society)も、度が過ぎると監視社会を招く。私にとっての盲点だった。FBについては、過剰な関係の深化、拡大に戸惑っている日本人が多くいることも知った。私はこれを、身体性の欠如による不安だと読み取った。

図書館ではひたすら「身体性(embodied)」をテーマに関連文献を読み漁った。人間の知能と人工知能(AI)の線引きをするものとして、遺伝によって受け継がれた歴史的な存在としての身体は、無視することができない。身体性は生命の意味を語るうえでも無視できない。AIがかつてないほどホモサピエンスに近づいている今、人間とは何かを改めて考える必要に迫られている。身体性は必須のキーワードだ。

デカルトが残した「我思うゆえに我あり」の至言は、人間の理性的な働きに対する確固たる信念を語るものではあっても、我々が身体を用いながら思考している側面は切り捨てられている。唯一神への絶対的な信仰は逆に、神が創造した人間を生物界における至上の存在に持ち上げた。

『方法序説』には次のように書かれている。

「私をして私であらしめるところの精神は身体と全く別個のものであり、なおこのものは身体よりはるかに容易に認識されるものであり、またたとえ身体がまるで無いとしても、このものはそれがほんらい有るところのものであることをやめないであろうことをも、私は知ったのである」(岩波文庫、落合太郎訳)

デカルトの思想はあくまでも脳の働き、つまり理性を「万能の道具」と位置づけ、生物的な作用を機械と同然にみなした。動物の器官を機械になぞらえ、人間は言語を持つがゆえに、他の動物とは一線を画するとした。機械に精神と物質の二元論はその後の科学を大きく発展させた功績はあるとしても、人類が進化の過程で備えた身体性に十分な注意が払われなかったのも事実だ。

人間は、環境の中に生まれ育ち、環境の一部として思考し、感情を抱く。環境とは線的に対峙するのではなく、空間的に一体化し、相互作用の中で人は生かされている。我々の祖先は、厳しい自然と向き合い、溶け合い、働きかけ、多くの知恵を身につけてきたはずだ。そこから天人合一という思想が生まれた。「困難を乗り越える」、「恋に落ちる」などの表現に、具体的な行為が伴っていることは、我々が脳内で身体を用いながら想像していることを物語る。

インターネット社会において、個々人が、インターネットという仮想空間における神経細胞に擬せられる。みなが平等に、並列につながっているように見えるが、身体性を失った個体は、接地の機会を失い、根無し草のように漂浪する。ひとたび風が吹けば、個性は置き去りにされ、一方向に流れる危険をはらんでいる。個々人の独立や自由を取り戻すためにも、唯一無二である身体性の復権が不可欠である。

例えば、人との出会いを考えてみる。相手に応じ、状況に応じ、握手をすることも、お辞儀をすることもある。握手は親しみの表明であり、手を触れあうことによってさらに親密の情が深まる。お辞儀は敬意の表現であり、頭を下げる行為によってさらに相手への敬意を深める効果をもっている。つまり、身体を用いることによって、思考や感情が影響を受ける。行動によるフィードバックが行われる。身体もまた言語や感情の一部であり、相互性を伴うコミュニケーションにとって重要な意味を有している。

私たちはメディアから一方的に情報を受けているのではなく、身体による思考、感情を通じて情報の意味を自ら進んで読み取り、独自の世界を築いている。それは中央集権ではない、並列の相互作用システムの中で機能する脳の働きにかなった合理的なモデルだ。混沌や無秩序に陥り、一つの権力にからめとられる事態を回避し、平衡感覚を作り出すことが、身体性の課題ととして残される。従来の直線的なメディア論、コミュニケーション理論はすでに役立たずなのだ。

新学期は、学生たちとこのテーマを語り合う。教室という時間、空間を、身体をもって共有する中で、相互作用の意義を再認識するのが眼目である。

(上海虹橋国際空港にて)