風の宝石箱

日々想うことを感じたまま 大切にしまっておきたい

加藤文太郎という人

2007年03月24日 | ひとりごと
小説を読んで登場人物に興味を持つことがしばしばあります。
その人物が実在の人物なら尚更で、もっと知りたいと思うのは・・・恋でもしたような気持ちです。
新田次郎さんの「孤高の人」のモデルとなった 加藤文太郎さん。
その加藤文太郎さんの遺稿集「単独行」という本があると分かったので、図書館で探してみました。
その本は閲覧室ではなく階下の書庫に保管されており、表紙は布製の小豆色で落ち着きのある装丁でした。
あとから分かったのですが、その本は昭和11年に刊行された私家版ではなく、昭和45年に出版された「山岳名著シリーズ」の1冊でした。

登山の記録は、登山の経験も山の知識も無い私にはチンプンカンプンで退屈なものですが、エッセーなどは手元に置いてもっと時間(年月)を掛けてじっくり読んでみたくなり、「新編 単独行」を買いました。

この「新編」には、加藤文太郎さんの写真や手帳に書かれたメモや未亡人の文章などの収録もされています。

この本で、単独行について という見出しで書かれたところを読むと、加藤さんの登山観が分かります。
「我々は何故に山へ登るのか。」
「もしも、登山が自然から知識を得て慰安が求めえられるものとするならば・・・
「他人の助力を受けない単独行こそ・・・もっとも強い慰安求めえられるものではなかろうか。」とあります。

単独行によって得られる強い「慰安」 この考えには私も同感です。


私は昨年の秋、同僚に誘われて「ハイキング」に参加することにしました。お気楽に考えて返事をした後、シマッタ! と早くも後悔。
1時間で4km =・・・・・・・。
そのペースで歩きつづけられるか自信が無く、途中で「止めた!バスに乗る」などと言う事になれば、同僚に迷惑を掛けるし私は友達を失うかもしれないと思ったので。

結果、完歩はできたものの、人と一緒に歩くのは想像以上に疲れるものでした。普段から歩きなれている人達と私達では歩くペースが全然違って、あっという間に引き離されて前を行く人がいなくなってしまう。

前を行く人が見えなくなると、地図を見ながらコースと辿らなくてはならない。
コース途中のチェック地点でも通過の時間制限がありゴールに時間までに帰れば良いというものではなかったので、コースの書かれた地図を見ながら歩くのは、立ち止まって景色を楽しむとか他の参加者や道端で出会う土地の人達とおしゃべりするとかそんな余裕はありませんでした。

休日に、「ぶらり一人旅」を時折楽しんでいる私には、温かな陽射や爽やかな風・ガサッガサッと落ち葉を踏む音やサワサワと音を立てて揺れる木の葉 そんな自然の「癒し」を十分感じるひと時があります。
でも、今回のハイキングは完歩できてホッとはしたけれど、20kmなら歩けるんだ という経験もできたけれど、決められたコースを時間内にゴールするだけの歩き方では「疲れたぁ」としか感想の無い休日の過ごし方としては寂しい物でした。

自然を感じるには、「独り」=「マイペース」が良いと私は思っています。
誰かと一緒だと、「話」をする、私が黙っていても相手が喋りだす。
相手が喋りだせば、話を聞くし相づちも打つ、自然の中で「お喋りは」邪魔だ。
おしゃべりなら、ミスドやスタバ、テーマパークやデパートでいい。
見晴台では景色を眺め、花が咲いていれば立ち止まって見たり・大きな木を見あげたり・触れてみたり・・・耳をすませて鳥の声や水の音を聞いたり、黙って静かにそうゆう事をしたい。
がしかし、私の友人達はみんな話し好きで3分として黙っていられない。
これは何と言う木でどんな花が咲き、どんな実を付け・・・なんてウンチクも、自然の中ではどうでもいい。
理科の課外授業に来た訳じゃない。

ただ「風が気持ちいいなぁ」と感じられたら、それでいい。

私にはきっと「独り」を楽しめる才能があるのだと自負しています。


私のする簡単なブラリ旅でも充分な下準備が必要で、特に私の場合 方向音痴それもウルトラ方向音痴の地図の読めないものには、予習が必要だし、時間的余裕も十分とる。
それでも道に迷うのだから、日本語の通じないところと人の居ないところへは出かけません。

季節を通して、山での遭難事故のニュースがあります。
いくら経験があっても、家族連れや仲間との登山でも安全の保障はないということで、
加藤文太郎さんが言うように、登山は自然との闘争なのでしょう。

加藤文太郎さんの登山は、単独登山ばかりではなく仲間との山登りも楽しんでいたし、難しい場所の登攀にはパーティーを組んでいました。
そんな加藤文太郎さんにも苦しみがあったようで、
その一つが、「一人で山登りはしますが本当は可哀想なほど気の弱い男だったのです。」と、書いています。
これは山の悪天候のために下山が遅れ帰りの汽車に間に合わず休暇を超越して会社を欠勤することになってしまった事に対する気持ちが綴られたものです。
無断欠勤してしまうサラリーマンの苦しみが現れていて、極々普通の真面目な社会人だったんだなぁと親しみを感じました。

加藤文太郎さんの魅力はまだまだありますが、今日はこのへんで。













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