風の宝石箱

日々想うことを感じたまま 大切にしまっておきたい

凸凹

2008年10月23日 | ひとりごと
病院の廊下は結構デコボコしている。

ストレッチャーのまま移動するときも、車椅子で移動するときにも、廊下の継ぎ目やエレベーターに乗り移るとき等ガタンと振動し身体に響く。
そういえば、救急隊の人にストレッチャーに乗せられて、ほんの2・3m離れた所に停めてある救急車に乗り込むまでのアスファルトの上もひどくガタガタガタガタとして全身に響いて痛かった。
救急車に乗り込む時も、「少しガタンとしますよ」と2度声を掛けてくれたから、彼等にはソノ衝撃が怪我人や病人にとってどれだけ辛いものか解っているんだ。

いくら年齢をとっても分からないことは沢山ある。
無知だと言われれば、返す言葉も無い。経験したことが無いから理解できないと言ってしまえばそれまでだ。
お医者さんも看護師さんもあらゆる病気や怪我を自分自身で経験した人なんていないだろう。
なのに、患者の「痛み」を解っているように手当てしてくれるのは、経験や知識のほかに「痛みを想像する力」に長けているのかなぁとも思う。それとも天性の才能なのかな?

歩行器(?)を使って廊下を行ったり来たり歩いていたら、F先生にばったり会った。
F先生と顔をあわせるのは1週間ぶりだ。
「ずい分良くなりましたね それだけ動ければ、コレ使わなくても歩けるでしょう?!やってみましょう」と言って、私から歩行器を取り上げた。

歩行器はとてもありがたい道具だ。自分の体重を預けられ、歩くことも楽だし辛い時はその場で立ち止まって一息つくこともできる。
それに、誰かに付き添ってもらわなくても、フロアー内なら一人で動ける。
その歩行器がないと、廊下では手摺りにつかまるしかない。
頼りの手摺りだって病室のベッドまで続いているわけじゃないし。
・・・歩けるでしょう と言われても...............。
何度も立ち止まりながら、なんとか病室の入り口まで来たところで、F先生は歩行器を返してくれた。
「頼りすぎはよくないですよ」と言われた。
また「やりすぎもよくありません」と言って行ってしまった。

確かに、「良くなった」と思う。
でも、この歩き方ではまだまだだ。