風の宝石箱

日々想うことを感じたまま 大切にしまっておきたい

やじうま

2012年02月24日 | パパの思い出
昨夜9時ごろだった。消防車のサイレンと鐘の音が県道を走る。2台3台・・・4台?その時私はお風呂に入っていたので、どこかなぁ?と思ったくらいであまり気にしなかった。
お風呂から出てキッチンで水を飲もうとしたら、すりガラスの向こうでパトライトが赤く見える。何やら無線の交信のような聞き取れない声もする。
えっ!火事って?!
慌ててキッチンの小さい窓を開け網戸ごしに外をうかがってみた。正面にある空き地に消防署の自動車が停まっていた。でも、窓が小さいからか、見渡せる範囲には火は見えない、けれど少しきな臭いような煙ってるような感じがした。
部屋の雨戸を開けて見たら、県道の両側にある歩道には野次馬さん達が集まっているのが見えた。風向きでうちの方にすごい煙が流れてきていた。でもやはり火は見えなかった。
もう消えたのかなと、勝ってな想像をして少し安心した。
やたらと着込んで、野次馬さん達のいるところまで出てみた。「ここのおうちの方いませんか」と何度も大きな声が聞こえた。家の人は留守だったのかな?
野次馬さん達の会話は、この家には小学○年生の子がいて、塾に通ってるんだ。もう、この時間なら帰ってるはずだから、留守なら塾の帰りにどこか寄ってるんじゃないか?と、推理している。
ご近所さんっていうのは、よく知ってるんだなぁ~と感心してしまった。
それにしても、寒いのにみんな出てくるんだ(私もだけど)と思った。圧倒的に男性が多い。中には子連れの若いお父さんもしる。パジャマの人までいる。何か、羽織ることも忘れてしまうのか??


火事は笑いごとではない。
怪我をしたり、大切なものが焼けたり、水で濡れたり、家が崩れて、お隣さんにも迷惑がかかる。
ヤジウマなんて不謹慎だと思うけど、「火事と喧嘩は・・・」江戸っ子じゃないけど、ほっとけないのが人の心理。
お隣さんが燃えてても、知らん顔してるひとがいたら、私はぞーっとしてしまう。

実は私は炎が怖い。マッチが擦れない。擦れるかもしれないけど、コワイ。
ライターもさわりたくない。 たとえば、お墓参りとかお線香に火をつけるのも蝋燭に火が点いているのも嫌だ。
理科室でガスバーナーに火をつけ調整したりするのも、怖くて一度もやったことがない。そうゆうのはグループの他の子がやってくれた。

これは、パパのせいだ。
私がまだ保育園のころ近くにあった銭湯が火事になった。夕方だったと思う。
野次馬のパパは、私を連れてその火事を見に行った。
自転車で行ったのか?歩いて行ったのか?は覚えていない。
やはり、大勢の人が集まって火事を見物していた。パパは、あろうことか私を肩車してみていたのだ。
その時とにかく怖くて怖くて怖くて、今でも怖かったことだけはっきり覚えている。
それが、火事の火が怖かったのか?肩車が怖かったのか?両方なのか?はっきりしないけれど。

そのトラウマで、火が怖い! 高所恐怖症! になった。と私は確信している。

母も、「パパは野次馬だったからね、火事だ っていうと、見に行ってたね」と言う。

近所の火事で、そんなパパのことを思い出していた。


    



バターの匂い

2012年02月22日 | パパの思い出
休憩時間に友ちゃんとアッコちゃんと私の三人でバームクーヘンの話で盛り上がりました。
私は、バームクーヘンと言ったら「ユーハイム」。友ちゃんとアッコちゃんは、「ねんりんや」だと言います。
私は、ねんりんやのものは食べたことが無いし、友ちゃんはユーハイムというお店の名前も知らなかったです。
でも、友ちゃんはユーハイムのを食べたことがあるんです。それは私が神戸に行った時、ユーハイムの本店でお土産に買ってきて渡したことがあるんですから。
友ちゃんがいうには、品川にある「ねんりんや」には、串に刺さった(アメリカンドッグのような)バームクーヘンがあって、それがリーズナブルで美味しいので、東京方面に出かけた時には、是非寄ってみて。とのことでした。
品川っていうのが、なかなか寄れない駅なんですね。でも、覚えておこうと思います。
それともう一つ、「マダムシンコ」のバームクーヘンの話に代わって、「最近TVでよく見ますね。シンコさんって綺麗な人ね。インターネットだと4カ月?待ちらしいですよ」とか。なのに、友ちゃんとアッコちゃんはすでに食したとのこと。
二人の感想はというと、
「一度に食べる量としたら、2センチカットの大きさで充分満足できますよ。」とにかく、「甘い」と言うのです。二人とも。
「お砂糖が溶けてしみ込んでるんです。」と。

偶然にも同じ日の昼休みに節ちゃんともバームクーヘンの話になって、「昨日、友達が買ってきてくれて食べたの。まだ冷蔵庫に入ってるけど。」
そこで、お願いしてみました。
「せっちゃん 2センチでいいから分けていただけないかしら?」って。
私は、ユーハイムのバレンタイン限定のバームクーヘン持ってくるから。と、明日、二人で交換してお昼休みに食べることにしました。

日付が変わって今日の昼休。
サランラップに包まれた2cmにカットされたバームクーヘンを頂きました。想像してたより厚みが・・・薄い。私の見た目の正直な感想です。
カットされた断面をみると、しっとりとしみ込んでるのが見えます。
食べて見ました。確かに2cmカットで充分ですね。それも、ブラックコーヒーと共に頂きました。

今でこそ、甘すぎるものが苦手な私ですが、子供のころはというと、お砂糖の入った甘い麦茶とか甘いミルクとか飲んでました。とても今では考えられない事です。
それと、おやつ? お昼? 母が留守の時です。パパがトーストにバターを塗ってお砂糖を乗せてまた軽く焼いて食べさせてくれました。
そのバターの匂い。バターの塩気とお砂糖の甘さ。パパと二人で台所で食べてました。トーストと言っても、トースターなんて無かったのでお餅を焼く網で焼いたパンでした。ところどころ黒く焼けてたパンでしたが美味しかった。
パパが何か作って食べさせてくれたのは、そのバターの匂いのする甘いトーストだけ。











親心

2009年06月27日 | パパの思い出
ママチャリに乗った男性が前からきた。
男性の後ろに女の子の顔がチラチラみえる。
すれ違う時、その二人乗りしている親子を見た。
後ろの荷台に乗っている女の子は、お父さんのお腹に腕を回してしっかりしがみついている。お父さんの背中は大きくて、その女の子からは前が見ない。
だから、お父さんの身体の横から顔を出して前を見ているんだ。

私にも二人乗りの思い出がひとつだけある。
私のパパは通勤もちょっとした用事で出かけるときも、よく自転車に乗って出かけていた。
お祖母ちゃんちへ行く時やお買い物など、きっと何度も私はパパの自転車の前や後ろに乗せられて出かけいたと思う。
でも、今私が記憶しているのは一回だけだ。

それは保育園を卒園してすぐの日曜日だった。
パパの自転車の後ろに乗せられてお祖母ちゃんちへ行く途中の事。
見慣れた、通いなれた道だった。

私が、急に「痛い」って叫んだらしい。
その後、どうやってお医者さんへ連れて行かれたのかは覚えていない。
レントゲンを撮って「骨は折れてませんよ」とお医者さんとパパが話をしてい場面と、次の日かな?母に消毒のためお医者さんに連れて行かれたのを覚えているだけだ。
ガーゼの交換は痛かったなぁ。

そうそう、看護婦さんに「痛いからそーとやってね」って、言って笑われたのを覚えている。

しばらくの間、靴の踵が傷に当たるので靴は履けなかった。小学校入学式にも確かサンダルで行った記憶がある。
その時の傷跡は今でもくるぶしの下にうっすらと残っている。

私が就職したころだったと思う。急にパパがその傷の事を言い出した。
傷跡といっても、年々薄くなって目立たなくなっていたから、たいした傷跡じゃない。私だって全然気にしていない。
他の人なら、場所も場所だから誰も気が付かないはずだ。
でも、パパはずい分気にしている様子だった。

「あの時、自転車の車輪に足が入っちゃって・・・。ものすごい音がして・・・自転車は壊れたけどよく骨にヒビも入らなくてすんだものだ」
と話してくれた。

あの時のパパの自転車が壊れたなんて初めて聞いた。

パパは病んで退職するまで自転車通勤をしていた。
雨の日も風の日も。
真夏も雪降る日も。

孝行したいときに・・・






お茶

2009年04月26日 | パパの思い出
ペットボトルのお茶を買って飲むことに何の抵抗もない私。
自分で茶葉を買うなら、「抹茶入り玄米茶」か「ほうじ茶」を好んで買っていた。煎茶は・・・・・買った記憶がない。

会社の休憩室では、「茶器」?ボタンを押すと湯呑み茶碗に一杯分のお茶が注がれるものがある。これが「粉末茶」なので茶殻も出なくて、色もきれいで味もまぁまぁ美味しい。香りはペットボトルのお茶のほうが数段上だが、私は「茶器」のお茶で十分満足している。

お茶通の同僚は、「茶器」のお茶を飲まずに、急須を使って茶葉で煎茶をいれている。ちょうど同じ時間に休憩室に居合わせると私の分も入れてくれるのだが、
どうも、私には、私の胃には、合わない。濃すぎるのかな?

私が子供のころ、食後のお茶は母が入れてくれた。
母が入れるお茶を見ていて父が言ったことがある。
『会社で女の子がお茶を入れてくれる それをみていたら一回入れたお茶っ葉は捨てて毎回新しいお茶っ葉を使うんだよ』『うちは、いつもデガラシだな』っと笑っていた。
もともと父は胃の弱い人だったから、食事も香辛料や刺激物は控えめだった。
お茶もそのせいでデガラシがちょうど良かったのかも知れない。
ただ、勿体無いっていう理由だったかも知れないな。

今でも母はデガラシのお茶を入れている。







ニスとワックス

2006年08月12日 | パパの思い出
先日、フローリングにワックスを塗りました。
多少、むらがあるけど、まぁまぁ出来!

いつだったか、フランス人の、家の床の手入れ方法をTVで紹介してました。
その家主は、木の床にニスを塗ってました。

私が子供の頃、パパは日曜日になると、大工さんのようにノコギリやカンナ‥を使い、
本棚や収納BOX・額縁を器用に作ってくれました。
そして仕上げには、必ずニスを刷毛で丁寧に塗っていたのを思い出します。

・・・後から聞いた話しだと、パパはサラリーマンの前は木工職人だったそうです。
   だから、本棚なんてお茶の子さいさいだったんでしょうね。
   

そう、「木」にはニスを塗ってたんですよね。

何故今、床はワックスなの??

パパは、私や弟のランドセル・グローブにワックスを塗って丁寧に磨いてくれました。
そうやってパパは、「物」は手入れをし大切に扱う事を教えようとしたのだと思います。


何故、木の床にニスじゃないんだろう?

フランス人の「床」は、ニスだったのになぁ~。


「パパ」だったら、ニスを塗ったのかなぁ.。o○




ホタル

2006年07月07日 | パパの思い出
今日は七夕。七夕と言ったら雨と決まっているのが例年なんだけど・・・。曇り空でまだ雨は降り出していない。

仕事を休んだ今日は、午前中に駅前の商店街を歩いて、七夕飾りに気が付いた。
そう、私が子供の頃にはもっと大掛かりな賑やかや飾りが通りを飾っていたものだ。

暇つぶしに買った週刊誌を読んでいたら、「秋篠宮ご一家が蛍観賞を楽しまれる・・・」という記事を目にした。
ホタル 蛍と聞いて思い出した事がある。
それは「パパ」の思い出。
今日はその事を書こう!

私が小学生の頃、3年か4年生のころのはなし。
明日、昆虫を一匹学校へ持って行かなければならない・・・。
昆虫なら何でも良い って事だったけど、大の虫嫌いの私に、
自分で虫を捕まえてくるなんて事はできっこない。
近所に幼なじみの秀ちゃんっていう男の子がいたけれど、頼む事も出来なくって、
夕飯の支度に忙しい母には相手にもされないし・・・。
どうしよう・・・先生に忘れ物をしたってまた怒られる(/_;) 
・・・当時、私は忘れ物の常習犯でしたから(^^ゞ

暗くなって、仕事から帰ってきたパパに話したら、
「虫なら何でも良いのか?」って私に聞くと、近所の川へ出かけて行き、
パパは、いとも簡単にホタルを捕まえてくれた。
すぐさま虫かごに入れて、家に持ち帰り、その夜はホタルのあかりが狭すぎる虫籠の中で静かに飛んでいた。
あくる日、私は少し得意になってその虫かごを大事に学校へ持って行った。

パパって頼りになる(*^_^*)

その頼りになる私の「パパ」は、もういない。
私は、その時パパに「ありがとう」って言ったのかな? 言わなかったような気がする。


風になったパパへ
 『パパ ホタルをどうもありがとう』