高校生の頃、詩に嵌まっていた。
今は亡きフォークシンガー 高田 渡が、山之口漠の詩に曲をつけ、盛んに歌った。
現代詩人の代表 谷川俊太郎らが書くきれいな詩とは反対方向の、反駁の詩に憧れもした。
過日、高校の1年後輩のSNS投稿に、僕が17歳で出した詩集が載っていて、小さく盛り上がり、大きく赤面した。(写真借用)
これは当時、ブロンズ社から出版されていた、高田渡詩集の装丁から、表紙の紙から全てパクッたものです。
当時のことは、思い出すだに恥ずかしいが、クラスメイトの2人が詩を書き始め、秘かに詩を書いていた妹が、松本隆に認められ、本物の作詞家になった。自分は何ら成長しなかったが、副産物は産んだことは事実。
と、何かの記事で読んだことあるよ。
山之口貘は、過激な言葉を一切使わず、日常生活の描写の中に、厭戦・反戦を歌った詩人ですね。
草野マサムネの愛の歌の中にも、そんなメッセージがあるのかもしれないね。
感性に溢れていましたよね。
汗顔の至りです。
10代の頃、熱中できるものがあった、という思い出は残ります。