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荘子:斉物論第二(4) 大知閑閑,小知

2008年09月30日 00時04分59秒 | 漢籍
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荘子:斉物論第二(4)

 大 知 閑 閑 , 小 知   。 大 言 炎 炎 , 小 言   。 其 寐 也 魂 交 , 其 覺 也 形 開 。 與 接 爲 搆, 日 以 心 鬪 。 縵 者 、 窖 者 、 密 者 。 小 恐 惴 惴 , 大 恐 縵 縵 。 其 發 若 機 ? , 其 司 是 非 之 謂 也 ; 其 留 如 詛 盟 , 其 守 勝 之 謂 也 ; 其 殺 若 秋 冬 , 以 言 其 日 消 也 ; 其 溺 之 所 爲 之 ,不 可 使 復 之 也 ; 其 厭 也 如 緘 , 以 言 其 老 洫 也 ; 近 死 之 心 , 莫 使 復 陽 也 。

 大知は閑閑(カンカン)たり、小知は間間(カンカン)たり。大言は炎炎(タンタン=淡淡)たり、小言は(センセン)たり。其の寝(い)ぬるや魂交わり、其の覚(さ)むるや形開き、与(とも)に接(まじわ)りて構(コウ)を為し、日々に心を以て闘わしむ。縵(マン)なる者あり、窖(コウ)なる者あり、密なる者あり。小恐は惴惴(ズイズイ)たり , 大恐は縵縵(マンマン)たり。其の発すること機?(キカツ)の若(ごと)しとは、其の是非を司(あげつ)らうものの謂いなり。其の留まること詛盟(ソメイ)の如しとは、其の勝ちを守るの謂いなり。其その殺(サイ)すること秋冬の若しとは、以て其の日々に消ゆるを言うなり。其の溺るるの之(ゆ)くを爲(な)す所は、これを復(かえ)らしむべからざるなり。其の厭(ふさ)がること緘(カン)の如しとは、以て其の老洫(ロウキョク)なるを言うなり。死に近づける心は、復(ま)た陽(よみが)えらしむる莫(な)きなり。

 大知のあるものは、ゆったりとして落ち着いているが、小知のものはこせこせとして、こまごまと穿鑿(せんさく)する。偉大なことばは、あっさりと淡泊であるが、つまらぬことばは、いたずらに口数が多く煩わしい。その寝ているときは魂が外界と交わって夢にうなされ、その目覚めているときは肉体が外界に開かれ身体の感覚がはたらいて心が乱され、落ち着きがなくなる。そのため相互に他と交渉しあってトラブルを惹き起こし、日ごとに心の闘争をくりかえす。
 無頓着なものがあり、深刻なものがあり、こせこせと細かいものがある。小事をおそれるものは、たえずびくびくしているが、真に大きなおそれをもつものは、かえっておおらかで余裕があるように見える。
 その発動が石弓のひきがねを引くようにすばやいというのは、凡人が是非を立てて争うさまをいったものである。その頑固さが神の詛盟(ちかい)をまもるときのようだというのは、その勝利の立場を守り通そうとすることをいったものである。その殺(しぼ)み枯れるさまが秋や冬のようだというのは、凡人が日ごとに衰えていくことをいったものである。このようにして凡人は、いよいよ深みに溺れてゆき、死に近づいた精神は、もとのように蘇(よみが)えらせることは不可能なのだ。
 
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閑閑(カンカン)
 静かに落ち着いてゆとりあるさま。


(間間)(カンカン)
 こせこせして、細かいものを区別するさま。あれこれと穿鑿する貌(かたち)。


炎炎(淡淡)(タンタン)
 あっさりとして、こだわりのないこと。

 炎炎(エンエン)「炎炎、有氣?」(荘子集解)
  「偉大なことばは、もえさかる炎のように美しく・・・」(森三樹三郎)


(センセン)
 くどくどとしつこくものをいう。


其の寝(い)ぬるや魂交わり、其の覚(さ)むるや形開く
 寝ても覚めても心身の平静が喪(うしな)われていること。

 「其の寝(い)ねたるときは魂(ゆめ)に交(うな)され」(福永光司)


与(とも)に接して構(コウ)を為し、日ごとに心を以て闘う
 相互に他と交渉しあってトラブルを惹き起こし、日々に精神を闘争に耗(す)りへらして雑念妄想に苦しめられること。



 ■音
  【ピンイン】[jiao4]
  【漢音】コウ 【呉音】キョウ
  【訓読み】あな、ふかい
 ■解字
  会意兼形声。「穴(あな)+音符告(とどく、行きづまる)」。
 ■意味
  (1)あな。行きづまりの土のあな。
  (2)ふかい(ふかし)。あなのようにふかい。


小恐惴惴(小恐は惴惴)
 「惴(ズイ)」はびくびくと懼れ戦(おのの)くこと


大恐縵縵(大恐は縵縵)
 真に大きなおそれをもつものは、かえっておおらかで余裕があるように見える。
 
 「縵縵」呆然として生きたる心地もしない有様。(福永光司)


其發若機?
 其の発(はな)つこと(ゆはず)・?(やはず)の若(ごと)し


詛盟(ソメイ)
 ちかう。誓約する。ちかい。
 「詛」は「言+音符且(ものを積みかさねる)」で、ことばをかさねて神に祈ったり、ちかったりすること。

其留如詛盟
 「其の留(まも)ること詛(かみ)に盟(ちか)えるが如し」(福永光司)

其守勝之謂也
 「其の勝ちを守(お)しとおさんとするものの謂(さま)なり」(福永光司)


其溺之所爲之,不可使復之也
 「其の溺(まど)いの之(すす)み為(ゆ)く所、之を復(かえ)さしむべからず」(福永光司)

 次の、「死に近づける心は、復(ま)た陽(よみが)えらしむる莫(な)し」とともに、「日に日にその精神を耗(す)りへらしてゆく世俗の人間の狂惑、恰も封緘(ふうかん)されたように物欲に掩われた老いの日の妄想が、施すすべのない”死に至る病”だというのである」(福永光司)



 ■音
  【ピンイン】[xu4]
  【漢音】キョク 【呉音】コク
  【訓読み】みぞ
 ■解字
  会意。血は、皿(さら)の上に、―印をそえて血のたまったさまを描いた象形文字。
  洫(キョク)は「水+血」で、血がからだの血管をめぐるように、田畑をめぐって水を与えるみぞを示す。
  ただしキョクという語は、域(くぎり、わく)と同系で、田畑の外わくをなすみぞのこと。
 ■意味
  みぞ。田畑の外わくをなすみぞ。田畑の通水路。

 「其の厭(おお)われたること緘(とざ)さえたるが如(ごと)しとは、以て其の老いて洫(ものほ)しげなるを言うなり」(福永光司)
 「其の厭(おお)わるること緘(と)ずるが如しとは、以て其の老いて洫(あふ)るるを言うなり」(森三樹三郎)