漢字家族BLOG版(漢字の語源)

漢字に関する話題など。漢字の語源・ワードファミリー。 現在、荘子「内篇」を素読しています。

丹塗矢とおまる(尾籠な話ですが)

2013年01月04日 04時25分58秒 | Weblog

丹塗矢(にぬりのや)--大物主神と勢夜陀多良比売
 
 「蛇」の話題から連想して、どんどん「漢字」の話からそれてしまっています。それついでに、もうひとつ大物主神に関する伝説を。

 丹塗矢(にぬりのや)伝説をはじめて知ったのは、大学の国文学の講義であったが、そのへんの事情を雑談風に書いてみよう。

 それは大学生となってまもなくのこと。同じ寮に九州出身の人がいた。この人には面白いところがあって、会話の途中で、突然「クソまってこっ!」と言って、はじけるように立ち上がり、サーッと皆の前から消え去るのであった。

 一同「???」

 しばらくすると部屋にもどり、皆の輪に入って会話を続けるのだが、このようなことが続くと、彼の行動に興味がわいてくる。

 まあ、ほどなくして、彼が「クソまってこっ!」という呪文のような言葉を発した後は、どうもおトイレに行っているらしい・・・ということに気づく。ということは、呪文の冒頭の単語の意味もわかった。さいごの「こっ!」というのもわかる。おそらくは、「・・してこよう!」ということであろう。問題は、「まって」だ。類推するに、「まって」の終止形は、たぶん「まる」ではなかろうか?

 ・・・ということで、当時19歳であった私は、「各地の方言には古語が保存されているケースがある」などと、なんとなく感じていたので、国語辞典ではなく古語辞典にあたってみた。

 すると、あるある。語義の説明はわすれてしまったけど、その用例が衝撃的(?)で、今も忘れられない。

 「・・・糞まり散らしき」

 もちろん古文の用例である。おそらくは、スサノオノミコトが大暴れするところの描写ではなかろうか。

 まあ、これで、九州のその人の行動と発言に合点がいった。

 つぎに、この「まる」に出会うのが、大学の講義。不思議なもので辞書で調べて納得がいったその数日後、国文学の講義で次のような一節を聴いた。

 「・・・糞まりたまひしとき」

 今、原文を引いてみると

 勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)、その容姿(カタチ)麗美(ウルハ)しかりき。故(カレ)、美和(ミワ)の大物主紳(オホモノヌシノカミ)、見(ミ)感(メ)でて、その美人(ヲトメ)の大便(クソ)まりたまひし時、丹塗矢(ニヌリヤ)に化(ナ)りて、その大便(クソ)まる溝(ミゾ)より流れ下りて、その美人(ヲトメ)のほとを突きき。
 ここにその美人驚きて、立ち走りいすすきき。すなはちその矢を将(モ)ち来て、床の辺(ヘ)に置けば、忽(タチマ)ちに(ウルハ)しき壮夫(ヲトコ)に成りぬ。
 すなはちその美人を娶(メト)して生みし子、名は富登多多良伊須須岐比売命(ホトタタライススキヒメノミコト)と謂(イ)ひ、亦の名は比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)と謂ふ。


 (1)勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)が、かわや(水の流れる溝の上につくられた、天然の水洗トイレ)で用をたしていた。
 (2)ひめを見そめた大物主神は「丹塗矢」に化けて、上流から流れ下り、ひめのホト(陰部)を突いた。
 (3)ひめは驚き、あわてふためいたが、その矢を持ち帰って床の辺に置いたら、麗しい男性があらわれた。
 (4)生まれたこどもは、富登多多良伊須須岐比売命(ホトタタライススキヒメノミコト)、またの名を比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)という。この方は、のちに神武天皇の皇后となられた。

 なんとも不思議な話だが、「まる」の解釈からはじまって、ここまできた。講義ではここまで詳しくやらなかったかわりに、「丹塗矢」伝説のいろいろな形を紹介してくださったものと記憶している。

 今、ふと思いついたのだが、大昔の貴族が使用していた携帯用便器のことを「御虎子(おまる)」というが、この言葉も動詞「まる」の名詞形ではなかろうか?まあ、たんなる思いつきですが、この答案「おまる」をいただけますか?

 尾籠(ビロウ)な話になってしまいましたが、この「尾籠」(ビロウ・おこ)の由来については、漢字の用例として次にお話いたしましょう。それでは本日はこれにて、マル。

 → 盃中蛇影(盃中の蛇影)<故事成語>
 → 蛇足(画蛇添足)<故事成語>

大物主神は蛇神さま

2013年01月03日 04時07分59秒 | Weblog

大物主神と倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)
 
 大物主神といえば、『古事記』「三輪山」伝説が有名。

 活玉依毘売(イクタマヨリヒメ)は容姿端正であった。ここにある若者がいた。これも姿恰好当時無類であった。
 ある夜、その若者が突然音もなくやってきた。両人ともお互い感じ入って結婚して共に住んだ。まださほど時も経っていないのに、女は妊娠した。父母はそれを不思議に思い尋ねた。娘は、貴く立派な若者が毎夜来て共に住んでいたら身篭ったと答える。
 そこで父母はその男の素性を知ろうとして、娘に赤土を床の前にまき散らし、閉蘇紡麻(へそを:糸巻きの紡いだ麻糸)を針に通して、男の衣の裾に刺せと教える。
 その通りにして夜明けに見ると、針につけた麻糸は鉤穴より出ていって、あとに残った麻糸は三勾(三巻き)だけだった。これで若者が鉤穴から出た様子が分かり、糸をたよりに辿ってゆくと、三輪山に到着して、大神神社に留まった。それで神の子だと分かった。それで、麻糸が三勾(三巻き)残ったことから、そこを名づけて「三輪」というのだ。

 さて、この大物主神は「蛇」神さまであるという話。こちらは『日本書紀 巻第五・崇神天皇』から。

 倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)、大物主神(おほものぬしのかみ)の妻と為る。然れども其の神常に昼は見えずして、夜のみ来(みた)す。倭迹迹姫命は、夫に語りて曰く、「君常に昼は見えたまはねば、分明(あきらかに)に其の尊顔を視ること得ず。願はくは暫留(しましとどま)りたまへ。明旦(くるつあした)に、仰ぎて美麗しき威儀(みすがた)を覲(み)たてまつらむと欲ふ」といふ。大神対(こた)へて曰(のたま)く、「言理(ことわり)灼然(いやちこ)なり。吾明旦に汝(いまし)が櫛笥(くしげ)に入りて居らむ。願はくは吾が形にな驚きましそ」とのたまふ。
 爰に倭迹迹姫命は心の裏で密かに異(あや)ぶ。明くる朝を待ちて櫛笥(くしげ)を見れば、遂(まこと)に美麗な小蛇(こおろち)有り。その長さ太さは衣紐(したひも)の如し。即ち驚きて叫ぶ。時に大神恥ぢて、忽(たちまち)に人の形と化りたまふ。其の妻に謂(かた)りて曰はく「汝、忍びずして吾に羞(はじみ)せつ。吾還りて汝に羞せむ」とのたまふ。仍(よ)りて大空を踐(ほ)みて、御諸山に登ります。爰に倭迹迹姫命仰ぎ見て、悔いて急居 〔急居 此をば莵岐于と云ふ〕 則ち箸に陰(ほと)を憧(つ)きて薨(かむ)りましぬ。乃ち大市(おほち)に葬りまつる。故、時人、其(こ)の墓を号けて、箸墓と謂ふ。是の墓は、日は人作り、夜は神作る。

 (1)倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)は、大物主神の妻となった。
 (2)姫は、夜だけの訪問なので姿が見えないから、朝まで留まってください、明るい日の光の下でその美しいお顔を見たいと懇願する。
 (3)神はそれも道理だとして、「明朝お前の櫛入れの中に入っている。但し姿を見て驚くな」と言った。
 (4)翌朝姫が櫛入れを開けたら「美しい小蛇」がいた。驚きの声を上げたら、たちまち人の姿になって妻に、「お前は我慢できずに私に恥をかかせた。今度は逆にお前に恥をかかせてやろう」と言った。そして、天空を踏みとどろかせて三輪山に登って行った。
 (5)そこで倭迹迹日百襲姫命は天空を去っていく神を仰ぎ見て後悔し、床にどすんと尻餅をついた。そして箸でホト(陰部)を突いて亡くなられた。
 (6)人は埋葬された墓を「箸墓」と命名した。この箸墓は昼は人が造り、夜は神が造った。

 大物主の神については、もうひとつ有名な「丹塗矢」(丹塗の矢)伝説があります。勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)とのお話ですが、長くなりましたので、つづきはまた明日。

 → 盃中蛇影(盃中の蛇影)<故事成語>
 → 蛇足(画蛇添足)<故事成語>

蛇の和名について、ちょっとヘビーかな?

2013年01月02日 00時44分49秒 | Weblog

蛇の和名について

 「巳(シ・み),蛇(ダ,ジャ・へび)-漢字家族」に、の漢語としての解説を紹介しましたが、その訓読みについて、つまり、なぜ、「巳」(シ)の訓が「み」なのか、ということについては、そのままになっていました。

 南方熊楠「十二支考(蛇に関する民俗と伝説)」によると、

 (1)蛇類は、水を好み、水中あるいは水辺に棲む。
 (2)水辺に棲んで人々に怖れられることから、ミヅチと呼ばれた。
 (3)ミヅチとは「水の主」の意である。
 (4)巳(シ)「み」と訓ずるのは、
  「みづち」のあたまの「み」をとったもの。
  これは、子(シ)を、ずみのあたま)
  卯(ボウ)を、さぎのあたま)
  と呼ぶのと同じ用法である。
 (5)蛇(ジャ)=和名(わみょう)は、「へ
  蝮(フク)=和名(わみょう)は、「は
  であることから、へび類の最も古い総称は「み」であると推測される。
 (6)本居宣長の説によると、「ミヅチ」「ツチ」は尊称である。
  したがって、「ミヅチ」とは、「蛇の主」の意味である。

  ということは、要するに「み」という訓読みが、そもそもをあらわす語幹であるということか。

 他にも、蛇のことを、へみ・くちなわ・おろち・へび・へんび・・・と呼ぶ例をあげながら蛇の生態等について詳述しています。出典となる資料は膨大で、一読すれば彼の博覧強記ぶりに今更ながら舌をまくことでしょう。元旦から読むにはちょっとヘビーかな?
 
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謹賀新年

2013年01月01日 00時29分59秒 | Weblog

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謹賀新年 投稿者:渾沌 投稿日:2013年1月1日

 明けまして、おめでとうございます。

  本年も何卒よろしくお願い申しあげます。
  2013年 癸巳 元旦



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巳(シ・み),蛇(ダ,ジャ・へび)-漢字家族に記事を追加!

2012年12月30日 15時17分33秒 | Weblog
巳(シ・み),蛇(ダ,ジャ・へび)-漢字家族に記事を追加

 (ウ)

禹:yu3.png
 後足をふまえて尾をたらした、頭の大きい大とかげを描いたもの。もと大とかげの姿をした黄河の水の精。からだをくねらせた竜神のこと。のち、それが儒家によって人間の聖王に転化された。
 「禹」は、左の篆書の字形を見てもわかるとおり、その上部はハブのような顔であり、下部には、両足を踏み出した間に、長い尾がとぐろを巻いてのぞいている。
 虫歯のことを歯(ウシ)といい、そのの字は「歯+音符」からなっている。
 つまり、「禹」(ウ)が(へび)であることを、歯の「齲」ということばが暗示している。

 「禹」とは、迂曲(ウキョク)の(太い曲線をなして曲がる)と同系のことばであった。

【禹に関する民話】----
 ある時、黒い竜が大あばれをして天地をうちこわし、大洪水が起こってすべてが濁流に呑まれてしまった。鈍重なサンショウウオがその収拾を命ぜられたが、いっこうにラチがあかず、洪水はますます荒れ狂うばかりである。ついに俊敏なトカゲもしくはヘビの精が出てきて、永年にわたる奮闘のすえ、とうとう洪水を治めて山々はおちつき、河川は河道に戻って海に注ぐようになった。鈍重なサンショウウオはその責任を問われて、処罰された。それゆえに今でも深い水底にひそんで顔を出さないのである。

【民話をもとにした説話】----
 堯(ギョウ)の時代に洪水が起こり、まず鯀(コン)にそれを治めさせたが、九年に及んでも実績があがらない。人々が舜(シュン)を推挙したので、堯は舜に位を譲った。舜は禹に命じて洪水を治めさせた。かくて共工を幽州に流し、驩兜(カントウ)を崇山に放ち、三苗を三危に竄(しりぞ)け、鯀を羽山に殛(はりつけ)にす・・・・帝いわく「ああ禹よ、汝(なんじ)水土を平らげよ、これを務めよや!」(『書経、舜典』
 ・・・というわけで、禹が鯀の失敗のあとを受けて、治水に乗り出したのである。

【原文】『書経、舜典』)----
 流共工於幽州,放歡兜於崇山,竄三苗於三危,殛鯀於羽山,四罪而天下咸服


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蛇足ですが、巳(シ・み),蛇(ダ,ジャ・へび)

2012年12月23日 12時36分21秒 | Weblog


 巳(シ・み),蛇(ダ,ジャ・へび)-漢字家族

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龍・竜・辰(リュウ・シン・たつ),その1をアップ

2011年12月30日 02時22分56秒 | Weblog

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