漢字家族BLOG版(漢字の語源)

漢字に関する話題など。漢字の語源・ワードファミリー。 現在、荘子「内篇」を素読しています。

我-義-宜-雁-岸-顔-言 ・・・ かどばっている の家族 ただいま入力完了!!!

2010年07月27日 01時06分54秒 | Weblog

 [ブログ内検索] [漢字に関する書籍] [漢字源] [中国古典選]
我-義-宜-雁-岸-顔-言 ・・・ かどばっている 投稿者:nothing

 「漢字家族」更新 - 我-義-宜-雁-岸-顔-言 ・・・ かどばっている の 家族 入力完了!

 ただいま入力完了!!!



漢字家族携帯サイトURL




中国古典選(朝日選書)
漢字質問箱バックナンバー
漢籍リンク集--諸子百家(原典・典籍・出典)


艤 まで入力済み。我-義-宜-雁-岸-顔-言 ・・・ かどばっている の 家族

2010年07月26日 05時45分47秒 | Weblog

 [ブログ内検索] [漢字に関する書籍] [漢字源] [中国古典選]
我-義-宜-雁-岸-顔-言 ・・・ かどばっている 投稿者:nothing

 「漢字家族」更新 - 我-義-宜-雁-岸-顔-言 ・・・ かどばっている の 家族 入力中!

 現在は、 まで入力済み。



漢字家族携帯サイトURL




中国古典選(朝日選書)
漢字質問箱バックナンバー
漢籍リンク集--諸子百家(原典・典籍・出典)


「義」-かどめ正しい まで入力済み!

2010年07月24日 17時55分52秒 | Weblog

 [ブログ内検索] [漢字に関する書籍] [漢字源] [中国古典選]
我-義-宜-雁-岸-顔-言 ・・・ かどばっている 投稿者:nothing

 「漢字家族」更新 - 我-義-宜-雁-岸-顔-言 ・・・ かどばっている の 家族 入力中!

 現在は、 (「備考」あり) まで入力済み。



漢字家族携帯サイトURL




中国古典選(朝日選書)
漢字質問箱バックナンバー
漢籍リンク集--諸子百家(原典・典籍・出典)


荘子:内篇(人間世篇)もくじ

2010年07月24日 07時25分45秒 | もくじ
 [ブログ内検索] [漢字に関する書籍] [漢字源] [中国古典選]
荘子:内篇の素読(もくじ)

荘子集解:清 王先謙
人間世篇

  人間世篇第四(1)
 顏回見仲尼,請行

  人間世篇第四(2)
 蕩乎名,知出乎爭

  人間世篇第四(3)
 菑人者,人必反菑之

  人間世篇第四(4)
 是以火救火,以水救水,名之曰益多

  人間世篇第四(5)
 名實者,聖人之所不能勝也

  人間世篇第四(6)
 名之曰日漸之不成


  養生主篇もくじ
  斉物論篇もくじ
  逍遥遊篇もくじ


我、峨、餓、鵝、娥・蛾・俄まで入力済み。

2010年07月24日 06時54分47秒 | Weblog

 [ブログ内検索] [漢字に関する書籍] [漢字源] [中国古典選]
我-義-宜-雁-岸-顔-言 ・・・ かどばっている 投稿者:nothing

 「漢字家族」更新 - 我-義-宜-雁-岸-顔-言 ・・・ かどばっている の 家族 入力中!

 現在は、 まで入力済み。



漢字家族携帯サイトURL




中国古典選(朝日選書)
漢字質問箱バックナンバー
漢籍リンク集--諸子百家(原典・典籍・出典)


「漢字家族」更新-我-義-宜-雁-岸-顔-言 ・・・ かどばっている の 家族 入力中!

2010年07月23日 23時47分50秒 | Weblog

 [ブログ内検索] [漢字に関する書籍] [漢字源] [中国古典選]
我-義-宜-雁-岸-顔-言 ・・・ かどばっている 投稿者:nothing

 「漢字家族」更新 - 我-義-宜-雁-岸-顔-言 ・・・ かどばっている の 家族 入力中!

 現在は、、まで入力済み。



漢字家族携帯サイトURL




中国古典選(朝日選書)
漢字質問箱バックナンバー
漢籍リンク集--諸子百家(原典・典籍・出典)


荘子:人間世第四(2) 蕩乎名,知出乎爭

2010年07月23日 15時22分26秒 | 漢籍
 [ブログ内検索] [漢字に関する書籍] [漢字源] [中国古典選]
荘子:人間世第四(2) 蕩乎名,知出乎爭

 仲尼曰:「譆,若殆往而刑耳!夫道不欲雜,雜則多,多則擾,擾則憂,憂而不救。古之至人,先諸己,而後諸人。所存於己者未定,何暇至於暴人之所行!且若亦知夫之所蕩,而知之所為出乎哉?蕩乎名,知出乎爭。名也者,相軋也;知也者,爭之器也。二者凶器,非所以盡行也。


 仲尼曰(い)わく「譆(ああ),若(なんじ)殆(ほとんど)往(ゆ)きて刑せられん耳(のみ)!

 夫(そ)れ道は雜(ザツ)なるを欲せず。雜ならば則(すなわ)ち多く,多ければ則ち擾(みだ)れ,擾るれば則ち憂(うれ)う。憂うれば而(すなわ)ち救えず。

 古(いにしえ)の至人(シジン)は,先(ま)ず諸(これ)を己(おの)れに存して,而(しか)る後に諸を人に存す。己れに存する所の者, 未(いま)だ定まらず。何ぞ暴人(ボウジン)の行なう所に至るに暇(いとま)あらんや!

 且(か)つ若も亦(また)夫(か)の徳の蕩(うしな)わるる所にして,知の出(い)ずるを為(な)す所を知るや? 徳は名に蕩(うしな)われ,知は争いより出(い)ず。名なる者は,相(あい)軋(きし)るなり。知なる者は,争いの器(うつわ)なり。二者は凶器にして,行ないを尽くす所以(ゆえん)に非(あら)ざるなり。


 これに対して、孔子(仲尼)は言った。

 ああ、そんな調子で衛の国へ行ったら、お前は恐らく死刑にあうだけだ。

 道は純粋なものだから雑(まじ)りけがあってはいけないもので、雑りけがあれば多様になり、多様であれば心が乱れ、心が乱れることは心を憂えさせることだ。自分の心に憂いがあるようでは他人を救うことはできない。

 昔の至人(シジン)─ 道に達した人間・道と一体になった人間 は、まず自分が絶対者となって、しかるのちに他人を絶対者にすることを考えた。自分自身に道 ─ 絶対の境地 の確立されていない人間が、暴君の行為を救い正すことなどできるはずがない。

 それだけではない、(お前は名誉心が旺盛で、己れの賢さを恃む心が強すぎる)お前はまた、絶対者の純粋無雑な徳が何によって失われ、人間の知が何によって生じてきたかをわきまえているか。絶対者の純粋無雑な徳は名にとらわれることによって失われ、人間の知は闘争によってはぐくまれてきた。名(名誉)は善悪競いあう対立に成立し、知(知識)は互いに傷つけ陥れあう闘争の武器である。名にとらわれ、知を恃むところから人類のあらゆる不幸が始まる。名と知とは人類がわれとわが身を斃(たお)す凶器なのだ。人間の行いを完成させるようなものではない。

line


 成云、存立也。「存は立なり」・・・ (荘子集解)


相軋
 諸本では「相」とあるが、『釈文』では「札」となっていて、それが原本であったらしい ─ (金谷治)