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荘子:人間世第四(1) 顏回見仲尼,請行。

2009年09月27日 17時02分21秒 | 漢籍
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荘子:人間世第四(1) 顏回見仲尼,請行。

 顏回仲尼,請行。曰:「奚之?」曰:「將之衛。」曰:「奚為焉?」曰:「回聞衛君,其年壯,其行獨。輕用其國,而不見其過。輕用民死,死者以國量乎澤若蕉,民其無如矣!回嘗聞之夫子曰:『治國去之,亂國就之。醫門多疾。』願以所聞思其則,庶幾其國有?乎!」

 顏回(ガンカイ)仲尼(チュウジ)に見(まみ)えて、行かんことを請(こ)う。

 曰わく、「奚(いずく)にか之(ゆ)く」と。

 曰わく、「将(まさ)に衛(エイ)に之(ゆ)かんとす」と。

 曰わく、「奚(なに)をか為(な)さんとするや」と。

 曰わく、「回(カイ)の聞けるに、衛の君は其(そ)の年壮(わか)くして、其の行ないは独(ドク・きまま)なり。軽(かるがろ)しく其の国を用いて、而(しか)も其の過(あやま)ちを見(かえりみ)ず。軽(かるがろ)しく民を死に用い、死者は国を以てし、沢(さわ)に量(はか)りて蕉(あさ)の若(ごと)し。民は其(そ)れ如(のが)るるすべ無しと。回(カイ)嘗(か)つて之(これ)を夫子(フウシ)に聞けり。曰わく、『治まれる国は之を去り、乱れし国は之に就(つ)け。医門(イモン・くすしのモン)には疾(や)めるもの多し』と。願わくは聞く所を以て、其の則(のり)を思わん。其の国、癒ゆること有るに庶幾(ちか)からんか」と。


 顏回(ガンカイ)は孔子に面会して、旅に出たいと願い出た。

 「どこへ行くんだね」

 「衛(エイ)の国に出かけようと思います」

 「何をしようというんだね」

 「私の聞くところによりますと、衛の君主は年も若く、独断のふるまいが多くて、浅はかな考えで国じゅうを動かしておいて自分のあやまちに気づかず、かるがるしく民を使役して死にいたらしめ、国じゅうに死者が満ちあふれています。おびただしい死者の数は一々数えることができないので、沢を単位にして計算するほどであり、その屍体は刈り取られて積み上げられた麻のように累々と重なっているということで、民衆はまったく身の置きどころがないということです。

 以前、私は先生から教えていただいたことがあります。

『治まっている国からは立ち去り、乱れている国ならそこへ行け。乱れた国に行けば、医者の門に病人がむらがるように、救いを求める人々が集まってくるだろう』と。

 何とかこのおことばに従って、その実行の方法を考えていきたいと思います。そうすれば、きっと衛の国の病気もなおることでしょう」と。

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顏回(ガンカイ)
 ・前521~前490 春秋時代、魯(ロ)の人。字(あざな)は子淵(シエン)、顔淵とも呼ばれる。
 ・孔子の第一の弟子。非常に貧しかったが、学問を好み、一を聞いて十を知り、怒りをうつさず、同じあやまちを二度とくりかえさないといわれ、孔子の門人の中で徳行第一とされていた。
  三二歳で孔子より先に死に、孔子を大いに嘆かせた。
  後世、亜聖と呼ばれた。→「曲肱之楽(キョクコウノタノシミ)」

  曲肱之楽
   貧しいながらも道を行う楽しみ。
   顔回が、ひじをまげてまくらとしたという故事。


仲尼(チュウジ)
 ・孔子の字。(この問答は虚構)


量乎澤若(さわにはかりあさのごとし)
 ・死者が多くて数えきれず、沢のくぼみ一ぱいを単位として量る。(馬叙倫の説)


(ショウ)
 ・生(シ)、すなわち麻である。(章炳麟の説)