漢字家族BLOG版(漢字の語源)

漢字に関する話題など。漢字の語源・ワードファミリー。 現在、荘子「内篇」を素読しています。

主要な「漢籍」を登録中(渾沌のブックマーク)

2007年05月21日 02時23分12秒 | Weblog


 「漢籍リンク」の中の、主要な漢籍を、「渾沌のブックマーク」に登録しました。キーワード検索ができますので便利です。
 「漢籍」で検索すると、現在登録されている漢籍すべてが表示されます。


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漢字質問箱バックナンバー


「渾沌のブックマーク」を作成

2007年05月13日 04時12分20秒 | Weblog


「渾沌のブックマーク」
Cosmo Navigator

ホームページを登録し、検索するシステム。アクセス数をカウントし、人気ランクや新着情報なども表示します。

Cosmo Navigator


Cosmo Navigator

 2時間ほどまえかな? 上記のフリーソフトを発見! 早速試してみました。
これは本当に便利ですねえ。
 ためしに、「漢字家族」「教育催眠研究会」「使えるツール」など主なページを登録してみました。
 被リンク元へのリンク(相互リンク)もこちらからさせていただこうと思います。

 作者の KENTさん、ありがとうございます。


渾沌のブックマーク


re:「済」という漢字の由来

2007年05月04日 05時10分16秒 | 漢字質問箱ログ

 [ブログ内検索] [漢字に関する書籍] [漢字源] [中国古典選]
「済」という漢字の由来 投稿者: 事務員  投稿日:2007-05-03 19:09:28

先日職場で書類に済印を押していた同僚が、『済』という漢字を見ながら、水に関係しないことに使われてるのになぜ「さんずい」? とつぶやいてるのを聞いて、『済』の漢字の形はどういうことから形作られたのか知りたくなりました。教えてください。


【済】 【呉音】サイ 【漢音】セイ 【慣用音】ザイ

斉:図解
 確かに「物事がすんでいること」を「み」と表記しますね。また事務的には丸印で「済」のハンコを押したりします。
国語辞典には「む=物事が終わる。完了する」、「み=物事がすんでいること」という説明がありますが、なぜこの「済」という漢字を当てたのかという説明はありません。
 また、漢和字典には、
日本語での特別な意味 ・・・・ すむ。終わる。また、うまくやりすごす。」
 とあります。

 「済」は、

斉・儕・劑・妻・自・此・姉 ・・・ そろって並ぶ

 の家族で、その親字の「斉」は図解のとおり、ヒシ形のものが三つ並んださまを表しています。「三」「たくさん」の意味ですから、「多くの物が頭をそろえた」状態をあらわします。そこで、きちんと並びそろうことを「然」「如」と形容するそうです。
 したがって、親字の「斉」は「物がでこぼこなくそろったさまをあらわす象形文字」であると定義されています。
 さて、ご質問の「済」の字ですが、これは川の水量を調整して水流の強弱をそろえること。
 不順な状態をほどよく調節してそろえる意味から「度(たすける)」の意味をもつようになりました。
 中国の山東省に「水」という川がありますが、この川の名前は、黄河下流の水流を調整するはたらきに着目して名付けられたものだとされています。

■意味
(1)すくう(すくふ)。
不足を補って、平等にならす
困っている者に当てがって、水準の線までそろえてやる。
「救済」「経世済民(ケイセイサイミン)(世の中を調整して人民の生活のでこぼこをなくする)」
(2)なす。
でこぼこや過不足を調整する。ととのえてまとめあげる。
「済美=美を済す」
(3)わたる。わたす。
川や難路を無事に通り切る。また、通す。
(4)セイす。
障害を除いてうまく調整する
「鑿河八十里以済不通=河を鑿つこと八十里以て不通を済す」
(5)やりくり。

 してみると、仕事を「済ませた」ということは、「でこぼこや過不足を調整して、ものごとを処理し、ととのえてまとめあげた」ということですから、そこで処理みを意味する「済」の字の太鼓判を押すことにしたのでしょう。
 事務関係では、実務の他にも、報告書の字句を整えたり、いくつもの文書のつじつまをあわせたり、必要なものをきちんとそろえて書類をきちんとととのえなければ「済」の決はもらえませんよね。
 そういうことで、「すみ」の意に「済」の漢字を当てたのではないでしょうか。


漢字質問箱バックナンバー


墨子の兼愛、孟子の批判

2007年05月01日 23時21分33秒 | Weblog



墨子の兼愛
「博愛」は「人でなしの愛?」


 昨日、『墨子 - 漢字家族』に少々加筆したので、ここにも転載します。

 映画『墨攻』も上映されました。いい映画でしたが、やはり原作を読まないとね。映画は映画としてよくまとまっていました。でも原作の面白さはまた違います。・・・・という私も、原作を数回分しか読んでいないからコメントする資格はありません。是非通読したいと思います。以前、何度かビッグコミックを読む機会ができたときに、「ゴルゴ13」と「墨攻」だけつまみ読みしたことがあります。

 今Wikipedia、の「墨攻」の項を見ると、まず原作の小説があり、それをもとに歴史漫画が描かれたそうで、私がビッグコミックで読んだのはこれのようです。

 酒見賢一氏の歴史小説をもとに、森秀樹氏が歴史漫画化したのだそうです。




孟子からの批判
墨氏兼愛 是無父也 無父無君 是禽獸也(滕文公 第三下)

 墨氏は兼ね愛す、これ父を無(かろ)んずるなり。父を無(かろ)んじ君をを無(かろ)んずるはこれ禽獸なり。

 孟子にしてみれば、人類愛というものは自分の父も他人の父も平等に愛するというもので、平等愛というのは人間の道ではない。

 また、父>兄>弟・・・・と、愛にももランクがあり、父と弟を平等に愛するということはあってはならないことであり、自分の家族と他人の家族を全く同等に愛するということは、人間のすることではない。無差別の愛などというものは犬畜生のものだと、墨子の説を激しく排撃する。

 また、「尽心篇」では、

墨子兼愛 摩頂放踵利天下 為之(尽心 第七上)

 墨子は兼ね愛す。わが頂(あたま)を摩(す)りへらして踵(かかと)までに放(いた)るとも、天下を利することは、これを為す。

 墨子は兼愛の説(人類愛)を実践し、天下の人々のためなら、頭の頂上から踵(かかと)の先までをすり減らしてでも働く。

 なんとすばらしいことではないか。しかし・・・・
 注意すべきことは、この孟子の言い分は、はけっして「ほめ言葉」ではないという点である。孟子にしてみれば、平等に人を愛するということは人間のすることではないし、自分の体を酷使して働くということは「君子」のすることではないのである。

故曰 或勞心 或勞力 勞心者治人 勞力者治於人 治於人者食人 治人者食於人 天下之通義也(滕文公 第三上)

 故に曰く『或るものは心を労し、或るものは力を労す』と。心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治めらる。人に治めらるる者は人を食(やしな)い。人を治むる者は人に食(やしな)わるるは、天下の通義なり。

 君子は精神労働者であって、肉体労働者ではないのである。君子(大人)の仕事と小人の仕事とはきっちりと区別しなければならない。精神労働者は人を支配し、肉体労働者は人に支配される。人に支配される者が、支配者を食わせていくというのは「天下の通義」である。

 それなのに墨子は、世界中の人々は平等でありお互いに愛し合わなければならないなどといって、肉体労働者といっしょになって汗水垂らして働いている。本当にバカなやつらだ。

 というのである。

 孟子が墨子を貶(けな)す理由は、今日の私たちにしてみれば、そのまま「墨子への讃辞」となるではないか。