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荘子:人間世第四(6) 名之曰日漸之不成

2011年07月25日 00時19分52秒 | 漢籍
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荘子:人間世第四(6)

 「雖然,若必有以也,嘗以語我來!」顏回曰「端而虛,勉而一,則可乎?」曰:「惡!惡可!夫以陽為充孔揚采色不定,常人之所不違,因案人之所感,以求容與其心。名之曰日漸之不成,而況大乎!將執而不化,外合而內不訾,其庸詎可乎!」


 「然りと雖(いえど)も、若(なんじ)必ず以(ゆえ)あらん。嘗(こころ)みに以て我れに語(つ)げ來(よ)!」と。

 顏回曰わく、「端(タン)にして虛(キョ)、勉(つと)めて一(いつ)にせば、則(すなわ)ち可(カ)ならんか?」と。

 曰わく、「惡(ああ)!惡(いず)くんぞ可(カ)ならんや!夫(そ)れ陽(うわべ)を以て充(み)つると為(な)して孔(はなは)だ揚(あが)りて、采色(サイショク)定まらず、常人の違(たが)わざる所なり。因(よ)りて人の感ずる所を案(おさ)えて、以て其の心を容與(ヨウヨ)せんことを求む。これを名づけて日漸(ニチゼン)のも成らずと曰(い)う。而るを況(いわ)んや大をや!將(まさ)に執(と)りて化(カ)せざらんとす。外(そと)に合うとも内は訾(おも)わざらん。其れ庸詎(いず)くんぞ可ならんや!」と。


 「とはいうものの、お前が行こうとするからには、それ相当のわけがあってのことに違いない。(そのわけとやらを聞こうではないか)ためしに話してごらん」

 顔回は答えた。

 「(権力者と向かいあっても)毅然として自己の端正な態度を失わず、心を虚(むな)しうして名と実に心みだされず、懸命に努力して純一無雑な境地に徹するよう心がけたならば、どうでしょうか?」

 「ああ、そんなことでは到底だめだ! ─ 夫(そ)れ陽(うわべ)を以(つくろ)いて充(み)ちたる為(まね)し、孔(はなは)だ揚(とくいが)るも采色(かおいろ)定(おちつ)かざるは、常(よ)の人の違(こと)ならざるところなり[福永光司] ─ お前はまだ形にとらわれ、外にあるものばかり気にしている。お前は端正な態度で臨むというが、それは内面の貧弱さをごまかす以外の何ものでもない。内面の貧弱さをごまかして態度ばかりを有徳者らしくつくろったところで、当人こそ甚だ得意であろうが、その顔色にはどこか落ち着かぬところのあるものだ。こういう人間は本質的には俗物と何の変わりもない。こういう俗物が権力者の心の動きを推し測って、自己の主張をその心に受け入れさせようとしたところで、何の効果があろうか。これを ─「日に漸(すす)むの徳成らず」─ 長年月の蓄積を要するその日その日の僅かな徳さえも成就させることができないというのである。まして一時的な説得ぐらいで大いなる徳を成就させることなど思いもよらないであろう。
 あの衛君は必ずや自己を固執してお前のいうことなどには教化されず、表面でこそ成る程と調子を合わせていても、内心では深く考えてもみないだろう。到底だめだね。そんなやり方では」

 (この一節の解釈は、ほぼ全面的に a_finger.gif 『荘子 内篇』・福永光司 によりました)

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惡!惡可!
 「上惡驚歎詞。下惡可不可也。」[荘子集解]
 上の「悪」は感動詞、下の「悪」は反語の助辞。


夫以陽為充孔揚采色不定,常人之所不違
 これを衛の君主のことと解するのは郭注以来の旧説。馬叙倫顔回を非難したものとみて、それに従う学者も多い。
 日本のテキストでも、金谷 治は前者をとり、福永光司森三樹三郎は後者をとっている。
 「陽を以て充(み)ちたる為(まね)す」とは、表面だけしかめつらしい顔をして、いかにも徳の充溢した人間らしく見せかけること。
 「常人の違わざるところ」とは、いくら恰好だけ偉そうにしても、本質は世俗一般の人間と同じだということ。


 人の感ずる所を(おさ)えて / 人の感ずる所を(かんが)えて
 【呉音・漢音】アン
 【訓読み】つくえ, かんがえる, やすんずる, あん, あんずる
 【解字】
  会意兼形声。
  安は「宀(やね)+女」の会意文字で、女性を家に落ち着けたさまをあらわす。
  案は「木+音符安」で、その上にひじをのせておさえる木のつくえ。
 【意味】
 ・やすんずる(やすんず)。
  上から下へとおさえて落ち着ける。やすらかにする。おだやかに落ち着く。
 ・かんがえる(かんがふ)。
  あちこちおさえてみることから、よくかんがえる、しらべるの意。


容与其心
 この「與(与)」は、「於」と同じに訓む。[馬叙倫]


日に漸(すす)むの
 日を逐(お)って少しずつ進歩する小さな徳。


將(まさ)に執(と)りて化(あらた)めざらんとす
 以下二句の主語は衛君。


庸詎(ヨウキョ)
 「何以」と同じで、反語の助辞。
 「其れ詎(なに)を庸(も)ってか可(よ)からんや!」



 思慮すること。
 【呉音・漢音】
 【訓読み】そしる、そしり
 【意味】
  (1)そしる。そしり。まぜかえす。文句をつける。悪口。「訾毀(シキ)」
  (2)ぐずぐずごねて、職務をはたさない。
  (3)なげいてうらむ。
  (4)はかり考える。 諮に当てた用法。
  (5)きず。やまい。病気。 疵(シ)に当てた用法。
  (6)もとで。また、財産。 貲(シ)・資に当てた用法。
  (7)なげくことば。ああ。 《同義語》⇒呰・咨。
  (8)疑問・反問をあらわすことば。なんぞ。なんすれぞ。
 【解字】
  会意兼形声。
  「言+(音符)此(シ・ぎざぎざ、ごたごたもつれる)」。

 [★人間世第四()]・[荘子:内篇の素読]



荘子:人間世第四(5) 名實者,聖人之所不能勝也

2011年07月24日 00時17分23秒 | 漢籍
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荘子:人間世第四(5)

 且昔者桀殺關龍逢,紂殺王子比干,是皆修其身以下傴拊人之民,以下拂其上者也,故其君因其修以擠之。是好名者也。昔者堯攻叢枝、胥敖,禹攻有扈,國為虛,身為刑戮。其用兵不止,其求實無已。是皆求名實者也,而獨不聞之乎?名實者,聖人之所不能勝也,而況若乎!


 且(か)つ昔者(むかし)桀(ケツ)は關龍逢(カンリュウホウ)を殺し、紂(チュウ)は王子比干(ヒカン)を殺せり。是(こ)れ皆其の身を修めて、下(しも・けらい)を以て人の民を傴拊(ウフ・いつくしみ)し、下を以て其の上(かみ)に拂(さから)いし者なり。故に其の君は、其の修(おさ)まれるに因(よ)りて以て之を擠(おとしい)れたり。是(こ)れ名を好みし者なり。

 昔者(むかし)堯(ギョウ)は叢(ソウ)・枝(シ)・胥敖(ショゴウ)を攻め、禹(ウ)は有扈(ユウコ)を攻め、國は虛(キョレイ)と為(な)り、身は刑戮(ケイリク)せらる。其の兵を用うること止(や)まず、其の實(ジツ)を求むること已(や)む無(な)ければなり。是(こ)れみな名と實とを求めし者なり。

 而(なんじ)は獨(ひと)り之を聞かざるか?名と實とは聖人すら勝つ能(あた)わざる所なり。而(しか)るを況(いわ)んや若(なんじ)をや!


 それにだよ顔回、と孔子のことばはつづく。
 昔、夏の桀王は忠臣の關龍逢(カンリュウホウ)を殺し、殷の紂王(チュウオウ)は忠臣の王子比干を殺した。
 このふたりの忠臣は、いずれもその身の徳を修め、他人の支配下の人民に情(なさけ)を施し、臣下の身分でありながら上にある君主の心に逆らった。だから彼らの君主たちは、このふたりの臣下の徳行が修まっていればこそ、彼らの賢徳を悪んで罪に陥れて殺してしまったのだ。このふたりは名声を好んで身を滅ぼしたものである。

 また昔、堯帝(ギョウテイ)は叢(ソウ)・枝(シ)・胥敖(ショゴウ)の三国を攻め、禹王(ウオウ)は有扈(ユウコ)を攻めるということがあったが、そのためこれらの諸国は廃墟となり、その君主たちは死刑となった。それというのも、これらの国の君主が兵を用いてやめず、実利を求めてやまなかったからである。これらはいずれも名声と実利を求めたものの例である。

 お前も聞いたことがあるだろう。名声と実利の誘惑には、聖人さえも勝つことができないほどのものだ。ましてお前などは、なおさらだよ。

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 夏王朝の暴君とされる人。殷の湯王に滅ぼされた。


關龍逢
 桀王の忠臣。桀を諫めて殺された。



 殷王朝の暴君とされる人。周の武王に滅ぼされた。


比干
 紂王のおじ。紂を諫めて、胸をさかれた。
箕子(キシ)・微子とならんで殷三仁といわれる。


傴拊(ウフ)
 「傴」は、かがむ。「拊」は、なでる。身をかがめて愛撫する。



 【呉音・漢音】
 【意味】
  (1)「傴僂(ウル・ウロウ)」とは、背が曲がって小さいこと(人)。
  (2)背をまるくかがめる。「傴僂(ウル・ウロウ)」
 【解字】
  会意兼形声。
  區(ク)(=区)は、こまごまと曲がって小さいの意を含む。
  傴は「人+音符區」で、背が曲がって小さい人。



 【呉音・漢音】
 【訓読み】うつ, なでる, つける
 【意味】
  (1)うつ。手のひらでぽんとたたく。「拊掌=掌を拊つ」
  (2)うつ。なでる(なづ)。ぽんぽんと肩をたたいていたわる。「慰拊(イフ)」
   「拊我畜我=我を拊ち我を畜ふ」〔詩経・小雅・蓼莪〕
  (3)手のひらをおしつけてにぎるとって。柄(エ)。
  (4)打楽器の名。演奏のはじめにたたいて調子をとる小鼓。
  (5)つける(つく)。附(フ)に当てた用法。
 【解字】
  会意兼形声。
  付(フ)とは、人の肩に手(寸)をつけるさま。
  拊は「手+音符付」で、手を人の肩にのせて、ぽんとたたくこと。


叢(ソウ)・枝(シ)・胥敖(ショゴウ)
 斉物論篇の第十九節に、堯(ギョウ)が、宗(ソウ)・膾(カイ)・胥敖の三国を征伐しようとした話がみえる。


有扈(ユウコ)
 国名。『書経』にもみえ、今の陝西省にあったといわれる。


虛(キョレイ)
 ・「虛」は住居跡。「」は、子孫を失った祖先の霊・・・とする説あり。
 ・「宣云。地為丘墟。人為鬼。」(莊子集解)




荘子:人間世第四(4) 是以火救火,以水救水,名之曰益多

2011年07月23日 00時58分07秒 | 漢籍
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荘子:人間世第四(4)

 且苟為賢而惡不肖,惡用而求有以異?若唯無詔,王公必將乘人而鬭其捷。而目將熒之,而色將平之,口將營之,容將形之,心且成之。是以火救火,以水救水,名之曰益多。順始無窮,若殆以不信厚言,必死於暴人之前矣!

 且(か)つ苟(いやし)くも賢を悦びて不肖(フショウ)を悪(にく)むことを為さば、悪(いずく)んぞ而(なんじ)を用いて以て異あることを求めんや。

 若(なんじ)は唯(た)だ詔(つ)ぐること無なかれ。王公必ず將(まさ)に人に乗じて其の捷(か)ちを闘わさんとす。而(なんじ)の目は將(まさ)に之に熒(まどわ)されんとし、而(なんじ)の色は將(まさ)に之に平(かわ)らんとし、口は將(まさ)に之に營(あげつら)わんとし,容(かたち)は將(まさ)に之に形づくらんとし、心は且(まさ)に之に成らんとす。是(こ)れ火を以て火を救い、水を以て水を救うなり。之を名づけて益多(エキタ)と曰(い)う。始めに順(したがいて・ゆずれば)窮まり無し。

 若(なんじ)は殆(おそ)らく、信ぜられざるを以て厚言(コウゲン・おもいきりいさめ)せば。必ず暴人の前に死せん!


 それに、もし衛の君主が心から賢者を好んで愚者を憎むような人間だとすれば、今さらお前を任用して目先の変わったことをしようなどと思うはずもあるまい。

 だから、お前は何も言わぬがよい。何か言えば王公の権勢でのしかかってきて(王公の権力をかさにきて)、お前を言い負かそうといどんでくるだろう。こうなれば、お前はたじたじとなり目の色は落ち着きを失い、顔色は変わり、口はもぐもぐと何か言いわけをしようとし、態度は表面ばかりをとりつくろい(へなへなとおとなしくなって)、心は相手の言いなりになってしまうであろう。(そうなるとお前の説得も逆効果で)まるで火を消すために火を加え、水を止めるために水をそそぐ羽目になる。いわゆる「益多(エキタ)」─ 輪をかける(多いうえに多くする) ─ というのがこれだ。最初にこちらが一歩を譲ると、その譲歩は果てしない譲歩となって、遂には取り返しのつかぬことになるものだ。

 もし、お前が相手の信用も得ていないのに、あの乱暴者の前でずけずけものを言えば殺されるにきまっている。

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 =告
 【漢音・呉音】ショウ
 【訓読み】みことのり, つげる
 【意味】
  (1)みことのり。上位の者が下位の者を召して告げることば。
   また特に、天子の命令。
   秦(シン)代以後は天子だけについていう。
  (2)つげる(つぐ)。上位者が下位者につげる。
   「夫為人父者必能詔其子=それ人の父為る者は必ず能く其の子に詔ぐ」〔盗跖篇〕
 【解字】
  会意兼形声。
  「言+音符召(人を召し集める)」。
  人を召し出してつげさとすことば。


 =惑


 =変



 弁解すること。
 ▼「口將營之」




荘子:人間世第四(3) 菑人者,人必反菑之

2011年07月22日 01時11分33秒 | 漢籍
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荘子:人間世第四(3)

 且厚信矼,未達人氣,名聞不爭,未達人心。而彊以仁義繩墨之言,術暴人之前者,是以人惡有其美也,命之曰菑人。菑人者,人必反菑之,若殆為人菑夫!


 且つ徳は厚く信は矼(かた)きも未だ人の気に達せず、名聞は争わざるも、未だ人の心に達せず、而(しか)も彊(し)いて仁義繩墨(ジンギジョウボク)の言を以て,暴人の前に術(の)ぶる者は、是れ人の悪を以て其の美を有(ほこ)るなり。

 これを命(なづ)けて菑人(サイジン)と曰う。菑人なる者は、人必ず反(かえ)ってこれに菑(わざわい)せん。若(なんじ)は殆(おそ)らくは人に菑(わざわい)せら為(ら)れん夫(かな)!


 それに、お前の徳が十分厚く、お前の誠実さが堅固であっても(自己が誠実であり、純粋でありさえすれば、それだけで事が足りると考えるならば大間違いだ)、まだ相手の気心もわからないうちに、仁義道徳のお題目を暴君の前でまくしたてるというのは、他人の悪事を種にして自己の正しさを相手に押売りすることになる。つまり、人の弱点を食い物にして自分の長所をひけらかすというやつだ。

 このように、おせっかいで他人に迷惑をおよぼす人間を、菑人(サイジン)─ いつも周囲の人間を傷つけてまわる男─ という。 

 他人を傷つけてまわって自分だけ無事でありおおせるわけがない。他人に災いを及ぼすような者には、他人のほうでも、必ずあべこべに災いのお返しをするものだ。お前もその独善と、善意の押売りを用心しないと、きっと他人から災いを受けることだろう。

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・・・固と同義。
 【漢音・呉音】コウ
 【訓読み】とびいし, いしばし, かたい
 【意味】
  (1)とびいし。いしばし。
   水中に少しずつ離して並べて、水面上に出ている部分を伝わってわたれるようにした石。
  (2)かたい(かたし)。かたいさま。気まじめなさま。
 【解字】
   会意兼形声。
   「石+音符工(こちらからむこうまで通す)」。


繩墨
 大工が用いて木の曲直を正すすみなわのこと。転じて法則規範の意に用いられる。
 「其大本擁腫而不中縄墨=其の大本は擁腫して縄墨に中たらず」 【逍遥遊篇】



 の異体字。
 【漢音・呉音】サイ
 【意味】わざわい。進行をとめてさしさわりをおこす、じゃまなできごと。
 【解字】会意兼形声。
  真中の部分は川の流れを止めるせきを描いた象形文字で音は(シ)・(サイ)。
  葘は「艸+田+(音符)サイ」で、作物の生長をとめた荒れ田をあらわす。





荘子:人間世第四(2) 蕩乎名,知出乎爭

2010年07月23日 15時22分26秒 | 漢籍
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荘子:人間世第四(2) 蕩乎名,知出乎爭

 仲尼曰:「譆,若殆往而刑耳!夫道不欲雜,雜則多,多則擾,擾則憂,憂而不救。古之至人,先諸己,而後諸人。所存於己者未定,何暇至於暴人之所行!且若亦知夫之所蕩,而知之所為出乎哉?蕩乎名,知出乎爭。名也者,相軋也;知也者,爭之器也。二者凶器,非所以盡行也。


 仲尼曰(い)わく「譆(ああ),若(なんじ)殆(ほとんど)往(ゆ)きて刑せられん耳(のみ)!

 夫(そ)れ道は雜(ザツ)なるを欲せず。雜ならば則(すなわ)ち多く,多ければ則ち擾(みだ)れ,擾るれば則ち憂(うれ)う。憂うれば而(すなわ)ち救えず。

 古(いにしえ)の至人(シジン)は,先(ま)ず諸(これ)を己(おの)れに存して,而(しか)る後に諸を人に存す。己れに存する所の者, 未(いま)だ定まらず。何ぞ暴人(ボウジン)の行なう所に至るに暇(いとま)あらんや!

 且(か)つ若も亦(また)夫(か)の徳の蕩(うしな)わるる所にして,知の出(い)ずるを為(な)す所を知るや? 徳は名に蕩(うしな)われ,知は争いより出(い)ず。名なる者は,相(あい)軋(きし)るなり。知なる者は,争いの器(うつわ)なり。二者は凶器にして,行ないを尽くす所以(ゆえん)に非(あら)ざるなり。


 これに対して、孔子(仲尼)は言った。

 ああ、そんな調子で衛の国へ行ったら、お前は恐らく死刑にあうだけだ。

 道は純粋なものだから雑(まじ)りけがあってはいけないもので、雑りけがあれば多様になり、多様であれば心が乱れ、心が乱れることは心を憂えさせることだ。自分の心に憂いがあるようでは他人を救うことはできない。

 昔の至人(シジン)─ 道に達した人間・道と一体になった人間 は、まず自分が絶対者となって、しかるのちに他人を絶対者にすることを考えた。自分自身に道 ─ 絶対の境地 の確立されていない人間が、暴君の行為を救い正すことなどできるはずがない。

 それだけではない、(お前は名誉心が旺盛で、己れの賢さを恃む心が強すぎる)お前はまた、絶対者の純粋無雑な徳が何によって失われ、人間の知が何によって生じてきたかをわきまえているか。絶対者の純粋無雑な徳は名にとらわれることによって失われ、人間の知は闘争によってはぐくまれてきた。名(名誉)は善悪競いあう対立に成立し、知(知識)は互いに傷つけ陥れあう闘争の武器である。名にとらわれ、知を恃むところから人類のあらゆる不幸が始まる。名と知とは人類がわれとわが身を斃(たお)す凶器なのだ。人間の行いを完成させるようなものではない。

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 成云、存立也。「存は立なり」・・・ (荘子集解)


相軋
 諸本では「相」とあるが、『釈文』では「札」となっていて、それが原本であったらしい ─ (金谷治)





荘子:人間世第四(1) 顏回見仲尼,請行。

2009年09月27日 17時02分21秒 | 漢籍
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荘子:人間世第四(1) 顏回見仲尼,請行。

 顏回仲尼,請行。曰:「奚之?」曰:「將之衛。」曰:「奚為焉?」曰:「回聞衛君,其年壯,其行獨。輕用其國,而不見其過。輕用民死,死者以國量乎澤若蕉,民其無如矣!回嘗聞之夫子曰:『治國去之,亂國就之。醫門多疾。』願以所聞思其則,庶幾其國有?乎!」

 顏回(ガンカイ)仲尼(チュウジ)に見(まみ)えて、行かんことを請(こ)う。

 曰わく、「奚(いずく)にか之(ゆ)く」と。

 曰わく、「将(まさ)に衛(エイ)に之(ゆ)かんとす」と。

 曰わく、「奚(なに)をか為(な)さんとするや」と。

 曰わく、「回(カイ)の聞けるに、衛の君は其(そ)の年壮(わか)くして、其の行ないは独(ドク・きまま)なり。軽(かるがろ)しく其の国を用いて、而(しか)も其の過(あやま)ちを見(かえりみ)ず。軽(かるがろ)しく民を死に用い、死者は国を以てし、沢(さわ)に量(はか)りて蕉(あさ)の若(ごと)し。民は其(そ)れ如(のが)るるすべ無しと。回(カイ)嘗(か)つて之(これ)を夫子(フウシ)に聞けり。曰わく、『治まれる国は之を去り、乱れし国は之に就(つ)け。医門(イモン・くすしのモン)には疾(や)めるもの多し』と。願わくは聞く所を以て、其の則(のり)を思わん。其の国、癒ゆること有るに庶幾(ちか)からんか」と。


 顏回(ガンカイ)は孔子に面会して、旅に出たいと願い出た。

 「どこへ行くんだね」

 「衛(エイ)の国に出かけようと思います」

 「何をしようというんだね」

 「私の聞くところによりますと、衛の君主は年も若く、独断のふるまいが多くて、浅はかな考えで国じゅうを動かしておいて自分のあやまちに気づかず、かるがるしく民を使役して死にいたらしめ、国じゅうに死者が満ちあふれています。おびただしい死者の数は一々数えることができないので、沢を単位にして計算するほどであり、その屍体は刈り取られて積み上げられた麻のように累々と重なっているということで、民衆はまったく身の置きどころがないということです。

 以前、私は先生から教えていただいたことがあります。

『治まっている国からは立ち去り、乱れている国ならそこへ行け。乱れた国に行けば、医者の門に病人がむらがるように、救いを求める人々が集まってくるだろう』と。

 何とかこのおことばに従って、その実行の方法を考えていきたいと思います。そうすれば、きっと衛の国の病気もなおることでしょう」と。

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顏回(ガンカイ)
 ・前521~前490 春秋時代、魯(ロ)の人。字(あざな)は子淵(シエン)、顔淵とも呼ばれる。
 ・孔子の第一の弟子。非常に貧しかったが、学問を好み、一を聞いて十を知り、怒りをうつさず、同じあやまちを二度とくりかえさないといわれ、孔子の門人の中で徳行第一とされていた。
  三二歳で孔子より先に死に、孔子を大いに嘆かせた。
  後世、亜聖と呼ばれた。→「曲肱之楽(キョクコウノタノシミ)」

  曲肱之楽
   貧しいながらも道を行う楽しみ。
   顔回が、ひじをまげてまくらとしたという故事。


仲尼(チュウジ)
 ・孔子の字。(この問答は虚構)


量乎澤若(さわにはかりあさのごとし)
 ・死者が多くて数えきれず、沢のくぼみ一ぱいを単位として量る。(馬叙倫の説)


(ショウ)
 ・生(シ)、すなわち麻である。(章炳麟の説)




荘子:養生主第三(6) 指窮於為薪,火傳也,不知其盡也

2009年08月04日 16時50分18秒 | 漢籍
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荘子:養生主第三(6)

 老聃死,秦失弔之,三號而出。弟子曰:「非夫子之友邪?」曰:「然。」「然則弔焉若此,可乎?」曰:「然。始也吾以為其人也,而今非也。向吾入而弔焉,有老者哭之,如哭其子;少者哭之,如哭其母。彼其所以會之,必有不?言而言,不?哭而哭者。是遁天倍情,忘其所受,古者謂之遁天之刑。適來,夫子時也;適去,夫子順也。安時而處順,哀樂不能入也,古者謂是帝之縣解。」

 指窮於為薪,火傳也,不知其盡也。


 老聃(ロウタン)死す。秦失(シンイツ)之を弔えり。三たび号(ゴウして・な)きて出ず。

 弟子曰わく、「夫子(フウシ)の友に非ざるか」と。

 曰わく、「然り」と。

 「然らば則ち、弔(とむら)うこと此(か)くの若(ごと)くにして可(よ)きか」と。

 曰わく「然り。始めは吾れ其の人と以為(おも)いしも、今は非(しか)らざるなり。向(さき)ほど吾れ入りて而弔いしに、老いたる者は之に哭(な)くこと其の子に哭(な)くが如く、少(おさな)き者は之に哭(な)くこと其の母に哭(な)くが如きあり。彼れ其の之(こ)のひとびとを会(あつ)めたる所以(ゆえん)は、必ず言うことを?めずして言わしめ、哭(な)くことを?めずして哭(な)かしむるもの有りしならん。是(こ)れ天を遁(のが)れ情(まこと)に倍(そむ)き、其の受くる所を忘れたり。古(いにしえ)は之を天を遁(のが)るるの刑(つみ)と謂(い)えり。適(たま)たま来るは夫子の時(とき)のめぐりあわせなり。適(たま)たま去るは夫子のめぐりあわせに順(したが)えるなり。時に安んじて順(したが)うことに処(やすら)げば、哀樂も入る能わざるなり。古(いにしえ)は是(こ)れを帝(テイ)の縣解(ケンカイ)と謂(い)えり。

 窮(つ)くることを薪(たきぎ)を為(すす)むるに指(ゆびさ)すも、火は伝わるなり。其の尽くるを知らざるなり」と。


 老聃(ロウタン)が死んだ。老秦失(シンイツ)は弔問に出かけたが、(極めて形式的に)作法どおり三度の号泣をすますと、さっさと外に出てしまった。

 これを見た、老子の弟子が、いぶかしく思ってたずねた。

 「あなたは先生の友人ではないのですか」と。

 「そうだ」

 「それなら、あんな型どおりの弔い方ですまして、よろしいのでしょうか」

 秦失(シンイツ)は答えた。

 「そうだ。あれでよいのだよ。以前わしは老?(ロウタン)という男を、誠にすぐれた人物だと考えていたが、今はそうではない(考えを改めた)。

 さきほどわしが部屋に入って弔問したとき、老人たちは、まるでわが子でもうしなったかのように哭(な)いているし、若者たちは、その母でもうしなった時のように哭(な)いて、とても見られたざまではなかったのだよ。老?がこんな連中を会(あつ)めたのは、きっと、お弔いを求められもしないのにかってに弔い、哭(な)いたりすることを求められもしないのにかってに哭泣しているものであろうが、要求しなくとも周囲の人々が自然と集まってそういうことをするように、平素から仕向けておいたからに違いない。人間の死とは、全く天(自然)の道理ではないか。それを君たちがかくも哭(な)いたり、喚(わめ)いたりするというのは、天の道理を遁(に)げまわり、人間存在の実相に背いて、天から受けた自己の生命の本質の何たるかを忘れたからで、要するに老?(ロウタン)の哲学がほんものでなかった証拠だよ。昔はこれを天の道理を逃げまわる刑罰(真理逃避の罪)と呼んだものだ。あの先生がたが、たまたまこの世に生まれてきたのは、彼が生まれるべき時にめぐり合わせたからであり、たまたまこの世を去ったのは、あの先生がたが死すべき自然の道理に順(したが)ったまでではないか。何事も時のまわり合わせに任せて、生まれたからといって喜んだりせず、何事も自然の道理に順(したが)って死が訪れてきたからといって嘆き悲しまず、一切を自然のまにまに振舞ってゆけば、哀しみも楽(よろこ)びも心を紊(みだ)す余地はないであろう。昔はこのような境地に立ち得た人間を絶対の自由者 ─ 天帝の縛(いまし)めから解放された人間 ─ と呼んだものだ。

 いったい、薪というものは火にくべると燃えて尽きてしまうものだが、薪は燃え尽きても火そのものは薪の存在する限り、つぎつぎに新しい薪に伝わって決して無くなるものではない。それと同じく、人間の生命も個々の人間に関する限り一度は滅び失せるものではあるが、生命そのものは永劫に尽きることのないものだ。個々の事象にとらわれるところに人間の惑いと悲しみがある。君たちの悲しみ嘆いているのがその惑いであり、君たちを悲しみ嘆かせるところに老?の哲学の疑わしい点があるのだ。

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老聃(ロウタン)
 ・戦国時代の思想家。姓名は李耳(リジ)、字(アザナ)は伯陽。老子のこと。
 ・『老子』(二巻)は、周の老子の著作と伝えられる。


縣解(ケンカイ)
 ・=県解。さかさにつりさげられているものが解きはなされる。

縣(県)(かける・かかる)
 ・【解字】 会意兼形声
  は、首という字の逆形で、首を切って宙づりにぶらさげたさま。
  (ケン)は「+糸(ひも)」の会意文字で、ぶらさげる意を含み、中央政府にぶらさがるひもつきの地方区のこと。
  は「心+音符」で、心が宙づりになって決まらず気がかりなこと。また(宙づり)の原義をあらわすことも多い。


指窮於為薪,火傳也,不知其盡也
 ・この一節の解釈は、学者によって異なるが、ここでは 『荘子』(中国古典選・福永光司) に従った。




荘子:養生主第三(5) 天也,非人也

2009年07月31日 01時41分04秒 | 漢籍
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荘子:養生主第三(5)

 公文軒見右師而驚曰:「是何人也?惡乎也?天與?其人與?」
 曰:「天也,也。天之生是使獨也,人之貌有與也。以是知其天也,也。」
 澤雉十歩一啄,百歩一飲,不畜乎中。神雖王,不善也。


 公文軒、右師(ウシ)を見て驚きて曰わく、「是(こ)れ何人(なんぴと)ぞや。悪(いずく)にか(カイ・あしきられ)せられたるや。天か、其(そ)れ人か」と。
  曰わく、「天なり、人に非(あら)ざるなり。天の是(こ)れを生ずるに独(ドク・かたあし)ならしめしなり。人の貌(かたち)は与(あた)うるものあり。是(こ)れを以て、其(そ)の天にして人に非ざることを知るなり」と。
  沢雉(タクチ・さわのきじ)は十歩に一啄(イッタク・ひとたびついばみ)し、百歩に一飲(イチイン・ひとたびみずのむ)するも、中(ハンチュウ)に畜(やしな)わるることを(もと)めず。神(シン・こころ)は王(さかん)なりと雖(いえど)も、善(たの)しからざればなり」と。


公文軒(コウブンケン)が(足切りの刑にあった)右師(ウシ)を見て、びっくりしていった。
 「まあ、なんという人間だ。どこで一体そのような一本足にされたのか。天のせいかね、それとも人のせいかね」

  すると右師は答えていう。

 「天命でこうなったのだよ。人のせいではない。天がわしを生むときに、一本足になるように運命づけたんだよ。だいたい人間の顔かたちというものは、すべて天から授かった(先天的な)ものだ。だから全く天のせいで、人のせいではないことがわかるではないか」

  沢べにすむ野生の雉(きじ)は、十歩あゆんでやっとわずかの餌(えさ)にありつき、百歩あゆんでやっとわずかの水を飲むというありさまだが、それでも樊(かご)のなかに飼われることは望まないだろう。樊(かご)のなかでは、たらふく餌を貰って気力は充ち溢れても、(山野を自由に遊び回る楽しみも味わえないから)いっこうに楽しくないからである。

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(カイ)
 ・【漢音】カイ、【呉音】ケ
 ・「兀」(ゴツ)に同じ。
   足(足首)を切断する刑罰。この場合は「独ならしむ」とあるから、片足を切ったということであろう。

 「自己の自由を絶対とする者には、王侯の尊位も千金の重利も、破れ草履にすぎないであろう。そして足切りの受刑者にもこの自由は与えられているのである。養生とは山海の珍味に飽くことでも、錦繍(キンシュウ)の衾(しとね)を重ねることでもなくて、この己れの内にある自由を生きることである。一切の不自由を不自由として逞しく受け容れる自由、そこにこそ生を養う真の秘訣がある、と荘子は右師の言葉に借りて明らかにするのである」(福永光司)


(ハン・かご)
 ・かご。細い枝をそらせ、からませてあんだ鳥かご。
 ・【解字】
   会意。上部は「林+交差のしるし」からなり、枝を×型にからみあわせることを示す。
□□は、それと左右の手をそらせたさまを合わせた字で、枝を(型や)型にそらせてからませること。


(もとめる)
 ・もとめる(もとむ)。祈りもとめる。
□□に当てた用法。
□□□「所以有道=有道をむるゆゑんなり」〔呂氏春秋・振乱〕




荘子:養生主第三(4) 吾聞庖丁之言,得養生焉

2009年07月25日 16時26分15秒 | 漢籍
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荘子:養生主第三(4)

 良庖?更刀,割也;族庖月更刀,折也。今臣之刀十九年矣,所解數千牛矣,而刀刃若新發於。彼節者有間,而刀刃者無厚;以無厚入有間,恢恢乎其於游刃必有餘地矣。是以十九年,而刀刃若新發於。雖然,?至於族,吾見其難為,?然為戒,視為止,行為遲。動刀甚微,?然已解,如土委地。提刀而立,為之四顧,為之躊躇滿志,善刀而藏之。」

 文惠君曰:「善哉!吾聞庖丁之言,得養生焉。」


 (リョウホウ)は?(とし)ごとに刀を更(か)う。割(さ)けばなり。「族庖」(ゾクホウ)は月ごとに刀を更(か)う。折ればなり。今臣の刀は十九年なり。解(と)くところは数千牛なり。而(しか)も刀刃(トウジン)は新たに(といし)より発せしが若(ごと)し。彼(か)の節(セツ・ほねのつぎめ)なる者には間(すきま)有りて、刀刃(トウジン)なる者には厚みなし。厚(あつ)み無きものを以て間(すきま)有るところに入るれば、恢恢乎(カイカイコ・ひろびろ)として其の刃(やいば)を遊ばす(つかいこなす)に必ず余地あり。是(こ)れを以て十九年にして、刀刃(トウジン)新たに(といし)より発せしが若(ごと)し。然(しか)りと雖(いえど)も、族(ゾク)に至る毎(ごと)に、吾(わ)れ其の為(な)し難(がた)きを見て、?然(ジュツゼン)として為(ため)に戒(いまし)め、視(み)ること為(ため)に止(とど)まり、行(や)ること為(ため)に遅く、刀を動かすこと甚(はなは)だ微(ビ)なり。?然(カクゼン)として已(すで)に解(と)くれば、土の地に(お)つるが如(ごと)くなれば、刀を提(ひっさ)げて立ち、之(これ)が為(ため)に四顧(シコ)し、之(これ)が為(ため)に躊躇(チュウチョ)して志(こころざし)を満たし、刀を善(ぬぐ)いて之(これ)を(おさ)む」と。

 文恵君曰わく、「善(よ)い哉(かな)。吾(わ)れ庖丁の言を聞きて、生を養うを得たり」と。


 「良」すなわち、腕のよい料理人は一年くらいで牛刀を取り替えますが、それでも刃こぼれがきます。「族庖」すなわち、月並みな料理人になりますと、一月(ひとつき)ごとに牛刀を取り替えますが、それは牛刀を骨に打ち当てて折ってしまうからです。ところで私の牛刀は、新調してから今まで十九年になり、料理した牛の数は数千頭になりますが、たった今砥石(といし)で研(と)いだように刃こぼれ一つありません。あの牛の骨節には間隙(すきま)がありますが、この牛刀の刃さきには厚みがありません。その厚みのない刃を間隙(すきま)のあるところに入れてゆくのですから、「恢恢乎」すなわち、ひろびろとして、刃を使いこなすのに必ず十分なゆとりがあります。十九年も使いつづけて、研(と)ぎたての牛刀のように刃こぼれ一つないのは、このためでございます。とは申しますものの、「族」すなわち、牛の体の筋や骨の族(むらが)り集まっているところにぶつかりますと、その仕事の難しさを見てとって、「?然」おっかなびっくり、しっかりと心をひきしめて緊張し、視線を一点に集中し、手のはこびを遅くし、牛刀の動かし方も極めて微妙になります。
 やがて「?然」(パサリ)と音がして、肉が離れてしまうと、土の塊(かたまり)が大地に落ちるように肉の山が地上に横たわります。私はほっとして牛刀を提(ひっさ)げたまま立ち上がり、ぐるりと四方を見回し、しばらくはその場を去りがたく、しばしためらった後、会心の笑みをうかべて牛刀をぬぐい、これを大事にしまうのでございます」

 文恵君は言った。「いかにも見事だ。わしは庖丁の話を聞いて、養生(ヨウセイ)の道、すなわち与えられた自己の人生を全うする根本原理を会得した。」

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族庖(ゾクホウ)
  ・ありふれた腕まえの料理人


(といし)
  ・【漢音】ケイ、【呉音】ギョウ
  ・といし。刃物をとぐ石。
  ・会意兼形声。「石+(音符)刑(=形。形をつける)」。刃物の形を整えるといし。


恢恢(カイカイ)
  ・ひろく大きいさま
  ・ゆったりして余裕があるさま


?然(ジュツゼン)
  ・気がかりでひやひやするさま


?(カク)
  ・ばらりと解けるさま
   一説に、骨から肉を切り離すときの音の形容


(イ)
  ・おちる(おつ)。ためておいてある。だらりとおちて、そのままである。
  ・会意。「禾(まがってたれたいね)+女」で、しなやかに力なくたれることを示す。
   単語家族
    (イ・だらりとしおれてたれる)・(イ・力が抜けてだらりとする)・(エンン・力をぬいてたおやかな)・(エン・たおやかな女性)と同系。


(おさむ)
  ・おさめる(をさむ)。しまいこむ。入りこんで出てこない。
  ・かくす。かくれる(かくる)。




荘子:養生主第三(3) 臣之所好者,道也,進乎技矣

2009年07月24日 23時39分50秒 | 漢籍
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荘子:養生主第三(3)

 文惠君曰:「譆,善哉!技蓋至此乎?」庖丁釋刀對曰:「臣之所好者,道也,進乎技矣。始臣之解牛之時,所見無非(全)牛者。三年之後,未嘗見全牛也。方今之時,臣以神遇,而不以目視,官知止而神欲行。依乎天理,批大郤,導大?,因其固然。技經肯綮之未嘗,而況大?乎!

 文惠君(ブンケイクン)曰わく、「譆(ああ)、善(よ)い哉(かな)。技(わざ)も(けだ)し、此(ここ)に至(いた)るか」と。
 庖丁は刀を(お)いて対(こた)えて曰わく、「臣の好むところのものは道なり。技(わざ)を進(こ)えたり。始め臣の牛を解(と)きし時、見るところ牛に非ざるものなかりき。三年の後にして未だ嘗つて全牛を見ざるなり。今の時に方(あた)っては、臣は神(こころ)を以て(あ)いて、目を以て視(み)ず。知(カンチ)止(や)みて「神欲」(シンヨク)行なわる。天に依りて、大(タイゲキ・おおいなるすきま)を批(う)ち、大?(タイカン・おおいなるあな)に導き、其の固(もと)より然(しか)るところに因(よ)る。技(わざ)の肯綮(コウケイ)を経(ふ)ること未だ嘗つてあらず。而(しか)るを況(いわ)んや大?(タイコ・おおいなるほね)をや。


 それを見た、文恵君
 「ああ、みごとなものだ。技も奥義を極めると、こんなにもなれるものか」
と感嘆の声をあげた。
 すると庖丁は牛刀を置いて文恵君に対(こた)える。
 「私の求めるところはでございまして、以上のものでございます。私が牛をはじめて料理した時分には、目にうつるものはただ牛の姿ばかり、(どこから手をつけてよいのか見当さえもつきませんでしたが)それが三年目にやっと、牛の全体像が目につかなくなり、牛の体のそれぞれの部分が目に見えるようになりました。
 そして現在ではもはや、形を超えた心のはたらきで牛をとらえ、目で視て(形に頼って)仕事をすることはなくなりました。
 「知」すなわち、あらゆる感覚器官にもとづく知覚は、その動きをひそめ、「神欲」すなわち、精神のはたらきだけが動いているのです。
 「天理」すなわち牛の体にある本来自然の(すじめ)に従って、「大(タイゲキ)」すなわち骨と肉の間にある大きな隙間(すきま)に刃(やいば)をふるい、骨節の大きな?(あな)に刃を導き入れて、牛の体の本来のしくみに従って処理するのです。
 だから私が技(うで)をふるえば、骨と肉の微妙にいりくんだ部分に刃をあてることはありませんし、まして「大?(タイコ)」すなわち、大きな骨に刃をあてることは決してありません。
 
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(けだし)
 ・けだし。文の初めにつき「おもうに」の意をあらわすことば。
  全体をおおって大まかに考えてみると。
 ・【解字】会意兼形声。
  (コウ)は「去+皿(さら)」の会意文字で、皿にふたをかぶせたさま、かぶせること。
  は「艸+音符盍」で、むしろや草ぶきの屋根をかぶせること。
 ・【単語家族】
  (かぶせる)・(コウ・ふさぐ)・(コウ・口をふさいでぶつぶついう)などと同系。
  (エン・かぶせておおう)・(エン・かぶせておおう)などとも縁が近い。


(おく)
  ・おく。すてる(すつ)。つかんだものを放しておく。
   「保釈」「釈箕子之囚=箕子の囚を釈く」〔史記・周〕


(グウ・あう)
  ・あう(あふ)。AとBとがひょっこりあう。転じて、思いがけずに出あう。
  ・グウす。相手と関係しあう。また、ある態度で相手にのぞむ。
   「待遇」「礼遇」「殊遇(特別のもてなし)」


(カン)
  ・人体のいろいろな役目をする部分。
   政府の官職になぞらえたことば。
    「器官」「五官(目・耳・鼻・口・皮膚の五器官)」「官能」


神欲(シンヨク)
  ・精神のはたらき


(すじめ)
  ・すじめ
  ・【解字】
   会意兼形声。
   は「田+土」からなり、すじめをつけた土地。
   は「玉+音符里」で、宝石の表面にすけて見えるすじめ
   動詞としては、すじめをつけること。


(【慣用音】ゲキ、【呉音】キャク、【漢音】ケキ)
  ・くぼみ。中央がくぼみ、両辺の間があいた所。すきま。
  ・漢方医学では、骨と肉とのあいだ。


大?(タイカン)
  ・骨節にある大きな穴


?(ほね)
  ・【漢音】コ、【呉音】ク
  ・大きな骨