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荘子:逍遥遊第一(7) 至人無己,神人無功,聖人無名

2008年09月09日 00時07分33秒 | 漢籍
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荘子:逍遥遊第一(7)

 故 夫 知 效 一 官 , 行 比 一  ,  合 一 君 而 徴 一 國 者 , 其 自 視 也 亦 若 此 矣 。 而 宋 榮 子 猶 然 笑 之 。 且 舉 世 而 譽 之 而 不 加 勸 , 舉 世 而 非 之 而 不 加 沮 , 定 乎 内 外 之 分 , 辯 乎 榮 辱 之 境 , 斯 已 矣 。 彼 其 於 世 未 數 數 然 也 。 雖 然 , 猶 有 未 樹 也 。 夫 列 子 御 風 而 行 , ? 然 善 也 , 旬 有 五 日 而 後 反 。 彼 於 致 福 者 , 未 數 數 然 也 。 此 雖 免 乎 行 , 猶 有 所 待 者 也 。若 夫 乘 天 地 之 正 , 而 御 六 氣 之 辯 , 以 游 無 窮 者 , 彼 且 惡 乎 待 哉 !故 曰 : 至 人 無 己 , 神 人 無 功 , 聖 人 無 名 。

 故に夫(か)の知は一官に効(いさおし)あり、行いは一郷を比(した)しませ、徳は一君に合(かな)い、而(ざえ)は一国に徴(め)さるる者の、其の自(みずか)ら視ることまた此(か)くの若(ごと)し。而(しこう)して宋栄子(ソウエイシ)は猶然(ユウゼン)としてこれを笑う。

 且(か)つ世を挙(こぞ)りて、これを誉(ほ)むるも勤(はげみ)を加(ま)さず、世を挙(こぞ)りてこれを非(そし)るとも沮(くじけ)を加(ま)さず、内外の分を定め、栄辱の境(キョウ)を弁ず。斯(こ)れのみ。彼れ其の世に於(お)けるや未だ数数然(サクサクゼン)たらざるなり。

 然りと雖(いえど)も猶(な)お未だ樹(た)たざるものあるなり。夫(そ)れ列子(レッシ)は風に御(ギョ)して行き、?然(レイゼン)として善(よ)し。旬有五(ジュンユウゴ)日にして後(のち)反(かえ)る。彼れ福を致す者に於いて未だ数数然たらず、此れ行(ある)くことを免(まぬか)ると雖も、猶お待(たの)む所の者あるなり。

 若(も)し夫(そ)れ天地の正に乗じて六気の弁に御し、以て無窮に遊ぶ者は、彼且(は)た悪(いずく)にか待(たの)まんとするや。

 故に曰わく、「至人(シジン)は己(おの)れなく、神人(シンジン)は功(いさおし)なく、聖人(セイジン)は名なし」と。


 だから、その知識は一つの官職に任ぜられて功績をあげるにふさわしいというだけ、その行為は一つの郷(むら)を感化して睦(むつ)みしたしませてゆくというだけ、そのすぐれた徳と秀でた才能が一国の君主の思し召しにかない、召し出されて知遇を受けるというだけの、あの人々(世間でいう秀才たち)が、自分のことをふりかえるとき、この蜩(ひぐらし)・学鳩(こばと)・斥?(うずら)がおのれの小さき飛翔を至上のものと思うその卑小さと似ているのである。

 そこで、(無抵抗主義・反戦主義の思想家)宋栄子(ソウエイシ)は、ニタリニタリと、(世間の価値づけに一喜一憂する、善良なる常識人である)彼らを冷笑するのである。そして、世間のすべての人々に誉められても、そのためにさらに励むということもなく、世間のすべての人々に誹(そし)られても、そのためにがっかりするということもなく、世間の毀誉褒貶に心を動かされず、おのれに本質的なもの(内)と然らざるもの(外)とを見分け、人間にとって何が真の栄誉であり、何が真の恥辱であるかを明らかにするだけの主体性を、いちおうは持った人間である。そしてその意味では宋栄子は世俗を超える(あくせくしない)人間である。しかしそれはあくまで、それだけのものであって根本の確立したものではない。宋栄子は世俗を笑いながら、なお世俗にこだわるところがある。彼の足はなお世俗を離れていないのである。真の超越者は現実を飛翔するのである。

 列子は風にうち乗ってかけめぐり、軽やかですばらしい。(風が変わる)十五日がたって、はじめて戻ってくる。彼は世間的な幸福の追求に汲々(キュウキュウ)としていない。これは自分で歩くわずらわしさから解放されているという点では宋栄子よりもすぐれているのであるが、まだ頼みとするものを残している。列子の飛翔はなお風に依存し、彼の超越はなお外に在るものにとらわれている。つまり彼の超越はまだ真に自由自在な絶対の境地には達していないのである。

 ところが天地の正常さにまかせ自然の変化にうち乗って、終極のない絶対無限の世界に遊ぶ者ともなると、彼はいったい何を頼みとすることがあるだろうか。彼は、大自然の生成変化の極まりなきがごとく、一切の時間と空間を超えた絶対自由の世界に逍遥するから、何ものにも依存することなく、何ものにも束縛されることがない。

 そこで、「至人には私心がなく、神人には功績がなく、聖人には名誉がない」というのである。つまり絶対者は世俗を遙かなる高みに超えるから世俗的な自我にとらわれることも、世間的な価値に左右されることも、人間的な言葉によって栄誉づけられることもないのである。

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效(効)
 ■音
  【漢音】コウ 【呉音】ギョウ
  【訓読み】きく、 しるし、かい、いたす、ならう
 ■解字
  会意兼形声。交は、人が足を交差させた姿。
  平行線をたどれば、どこまでも結果が出ない。交差してしめあげたところに結果が出る。
  効は「力+音符交」。実際の結果を出すよう努力すること。
  效は「攴(動詞記号)+音符交」で、二つのものを交差させて、てらしあわすこと。もとは別字。


比(字形)

 ■解字
  会意。人が二人くっついてならんだことを示すもの。
 ■意味
  したしむ。特定の仲間とくっついてしたしみあう。



 「而讀為能。能而古字通用」(郭慶藩)
 (而は、古音が近くて能に通用した)
 「而」は「能」と同じで、才能の意。



 ■音
  【呉音・漢音】チョウ
  【訓読み】めす、もとめる、 きざす、 きざし
 ■解字
  会意。「微の略体+王」で、隠れた所で微賤(ビセン)なさまをしている人材を王が見つけて、とりあげることを示す。
 ■意味
  (1)めす。隠れている人材をめし出す。「徴召」
   「徴為常侍=徴して常侍と為す」〔枕中記〕
  (2)もとめる(もとむ)。人民などから取りたてる。また、要求する。
   「徴兵」「徴歌=歌を徴す」
   「吾以羽檄徴天下兵=吾羽檄を以て天下の兵を徴す」〔漢書・高帝〕
  (3)物事の表面に出たところを見てとる。手がかりを得る。
  (4)きざす。物事のけはいが表面に少し浮かび出る。
  (5)きざし。物事の起こるのを予想させるしるし。「徴候(=兆候)」



 ■音
  【漢音】キョ 【呉音】
  【訓読み】あげる, あがる, あげられる, あげて, こぞって, ことごとく
 ■解字
  会意兼形声。与は、かみあったさまを示す指事文字。
  與(ヨ)は「両手+両手+音符与」からなり、手を同時にそろえ、力をあわせて動かすこと。
  擧は「手+音符與」で、手をそろえて同時に持ちあげること。
 ■単語家族
  舁(ヨ・力をそろえてかごをかつぎあげる)・與(=与。同時にそろえて働く)などと同系。
 ■意味
  (1)あげる(あぐ)。あがる。手をそろえて持ちあげる。転じて、高く持ちあげる。また、高く上にあがる。
  (2)あげる(あぐ)。事をおこす。「挙兵=兵を挙ぐ」「挙行」
  (3)あげる(あぐ)。多くの中からすぐれた人や物をもちあげる。「推挙」
   「挙賢才=賢才を挙ぐ」〔論語・子路〕
  (4)あげる(あぐ)。問題点やめぼしいものをとりあげる。「列挙」「検挙」
  (5)あげる(あぐ)・あげられる(あげらる)。任官試験を受ける。試験に受かってとりたてられる。「挙進士=進士に挙げらる」
  (6)あげる(あぐ)。都市を占領する。「三十日而挙燕国=三十日にして燕国を挙ぐ」〔戦国策・斉〕
  (7)行動。ふるまい。「壮挙」
  (8)あげて。こぞって。…じゅうをあげてみな。全部。「挙国=国を挙げて」
   「挙世皆濁=世を挙げて皆濁る」〔楚辞・漁父〕
  (9)ことごとく。みんな。


樹(字形)

 ■音
  【呉音】ジュ、ズ 【漢音】
  【訓読み】き、たてる、たつ、うえる
 ■解字
  会意兼形声。右側の字は、太鼓(タイコ)または豆(たかつき)を直立させたさまに寸(手)を加えて、⊥型にたてる動作を示す。樹はそれを音符とし、木をそえた字で、たった木のこと。
 ■意味
  (1)き。たってはえているき。たちき。
   切ったきを材という。
  (2)ついたて。たてて中を見えなくする小塀(こべい)。
   「邦君樹塞門=邦君は樹もて門を塞ぐ」〔論語・八?〕
  (3)たてる(たつ)。たつ。うえる(うう)。┻型にじっとたてる。また、たつ。木をうえる。去声に読む。


旬有五日
 十五日。は十日(→ 漢字家族本編で解説する予定)。有は又と同義。
 十五日は、一年の整数360日を二十四気で割った数、つまり一気の期間。
 天候は一気(十五日)ごとに変化するとされる。
 つまり、十五日で風が変わり、地上に舞い戻ってくるということ。



 ■音
  【漢音】メイ 【呉音】ミョウ
 ■意味
  な。内容を「実」というのに対して、それをあらわすことばのこと。
  転じて、称号・ことば・文字・表現など。