田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

母の日だという 五月も半ば 

2011年05月10日 | 日記

5月10日(火)  曇り   湿り気のある暖かさ  やがて雨

春は遅いと云いながらも辛夷が一番、次に梅が咲き、水仙が開き、黄色い艶やかなレンギョが辺りを染め上げ、桜も染井吉野、雅、そしてヤマ桜と春の花が短い間に花を見せてくれた。一番遅い山桜も昨夜の突風で緑が目立つようになった。

今日の日が待ち遠しかったと云うか、4月の20日から今日で二十日、種を蒔いた畑には五月十日に収穫とマジックで書いた札を立てておいた。文字通りの二十日大根、サラダにもならないことを承知で引き抜いてみた。まだ双葉が少しだけ変形して四枚の葉となったただけなので判っていること ・ ・ ・ 信州の寒さ、今年は格別の寒さだったと云うのだから、看板通りにはいかないものだ。

 昼近くになって宅配便で大きな段ボールが届いた。中には母の日だと云う花束が ・ ・ ・ 日曜日から二日あとになっているが素晴らしいバラが勢揃いしている。訳あって遅いのだろうが、妻の日というのを聞いたことはない。今からでも遅くはないと思うが、花よりダンゴと耳に響いてくる。

 昨夜までは9時から田舎暮らしネットワークの会議があることを自覚していた。朝になって集落の役から呼び出しがあり急いで山へ ・ ・ ・ 

9時の予定はどこへ行ったのか ・ ・ ・ 携帯も軽トラの中では不携帯、ゴメンナサイと電話で平謝り、雨も落ちて来たの畑へ急いだ。畑では思っていたとおり、今年の厳寒を乗り越えた数株のイタリアンパセリが見事な緑を見せてくれた。寒さに耐えたお祝いに、彼らがメインとなる料理でも作りたい。

 いただいたネギ苗の絡んだ根を分けていると直ぐ近くに山鳩が来た。しかりと地面をつかみ一歩一歩確認するように歩いてくる。レンズを向けて近寄せると意外にも足指がピーンと伸びる。近づいて来るの見ていると、鶏と同じで首を前に振るごとに足が前に出る仕組みになっているようだ。

瞬間的に振り向き、“ヨケイなことを云うんじゃないよ” と睨みをきかせた。平和の象徴と云う鳩も爪は鋭く目線も厳しい。 

 雨が本格的に降り出す前にネギを二列植えた。下仁田ネギと松本一本ネギ、俺の家の前を通る古道「大内道(おおないどう)」は西は松本、東は下仁田に通じている。東の終点はまだ先で群馬の倉賀野だと云う。ネギたちも倉賀野から川を下り江戸へと運ばれたのだろうか?

調べて見ると松本ネギは江戸時代から松本地方で栽培されていたそうだ。片方の下仁田ネギは明治から昭和に掛けて三度も皇室に献上されたと云う。俺の(家の前の)道を松本ネギが通ったかは定かでないが、秋には大きくなって欲しいものだ。辺りの草をマルチ代わりにしっかりと被せたので少しぐらいの激しい雨には大丈夫だろう。

 夜は社協の編集会議、会報も思考を懲らそうとあれやこれ、震災モードから復興モードと災害ボラの募集を掛けていざ、東日本へっと行きたいところだが、汚泥の運び出しには足腰が持たない。三泊四日のボランティアツアー大枚を自腹でイザ如何。。

コメント
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