きのむくままに

或る日の出来事

初夏の京① 葵祭

2011-05-23 | Weblog

 

 

 

京都三大祭り「葵祭・路頭の儀」に始めて行ってきました。

 

京都御所 建礼門前(前方の門)を10:30行列が出発する。

左右の白幕内は 有料観覧席です。

早めに行って 場所取り、意外と少ないな と感じました。

 

快晴でしたが 爽やかな気持ちのいい風があって 行列をゆっくり観ることができました。

大勢のカメラマンも行列を待っています。

 

 

                                                                   2011.5.16 京都新聞より

 

葵祭についてインターネットで調べて見ました。

 

上賀茂、下鴨両神社の例祭で、祇園祭、時代祭とともに京都の三大祭に数えられています。


平安時代には、祭りと云えば葵祭と云われるくらいに盛況だったようで、源氏物語や枕草子など平安文学にもたびたび登場します。

 


<起源>


古墳時代後期の欽明天皇(540~571年)のとき、凶作に見舞われ飢餓疫病が蔓延したため、

天皇が上賀茂神社と下鴨神社に勅使を遣わし“鴨の神”の祭礼を行ったのが始まりとされています。

 


<名前の由来>


内裏神殿の御簾、御所車(牛車)、勅使・供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、

すべて(フタバアオイ ウマノスズクサ科カンアオイ属)の葉と桂の小枝で飾ることに由来します。

 

                                          フタバ葵

 インターネットより

 


<祭の内容>


“宮中の儀、社頭の儀、路頭の儀”の三つの儀式からなりたっていましたが、

現在は“宮中の儀”が省かれており“社頭の儀”がもっとも神聖な儀式で、

下鴨神社、上賀茂神社の前で、勅使の御祭文の奉納、東遊舞の奉納などが神前で行われます。


“路頭の儀”と云うのは、京都御所を出発した勅使一行が下鴨神社、上賀茂神社に奉物をもって行列することを指します。


葵祭一番の見どころの儀式で、平安装束の着付けのほか、牛車や諸調度品など当時の風俗を忠実に再現した行列が、

京都御所から丸太町通、河原町通を抜け、下鴨神社を経て鴨川沿いの加茂街道を北上し、

上賀茂神社まで練り歩き、平安の王朝絵巻が艶やかに再現されます。


行列の構成は四列から構成されていて、


第一列は、京都の警備や司法に当たる“検非違使(けびいし)”、山城国を治める文官の“山城使(やましろづかい)”と従者達です。


第二列は、御幣物を担ぎ供奉する官人“内蔵寮史生(くらりょうししょう)”や走場に関わる“馬寮使(めりょうづかい)”、その後に紫の藤の房とカキツバタの花で飾りつけた“牛車”続いて雅やかさを演出しています。


第三列は、天皇の使いで行列中の最高位者である“勅使”と勅使に従う“舞人(まいうど)”が続きます。


第四列は音楽を奏する“陪従(ばいじゅう)、内蔵使(くらづかい)”、花々で装う“風流傘”が続き、最後に、行列の一番の目玉である斎王列に十二単姿で腰輿(およよ)にのる斎王代に女人がつき従います。


行列の総勢は500名、馬36頭、牛4頭にもなり、列の長さは1Kmにも及ぶようで、豪華絢爛なものです。

 


<祭りの盛衰>


平安時代中期には、祭りと云えば葵祭を指すほど隆盛を極めたのですが、

鎌倉、室町時代には衰退が始まり、応仁の乱以降は行われなくなってしまいました。


江戸時代の元禄期に再興され、その後続いたが、明治2年の東京遷都で行列は中止となり、

京都活性化策として明治17年に復活されたが、第2次大戦で中止され社頭の儀だけが続けられていまた。


戦後、行列が巡行するようになったのは昭和28年からで、斎王代の登場は昭和31年からで、現在に至ります。

 
    

 

                                                                               2011.5.16 朝日新聞より

 

< 概要

 

石清水祭春日祭と共に三勅祭の一つであり、

庶民の祭りである祇園祭に対して、賀茂氏朝廷の行事として行っていたのを貴族たちが見物に訪れる、貴族の祭となった。

京都市の観光資源としては、京都三大祭りの一つ。

葵の花を飾った平安後期の装束での行列が有名。

斎王代が主役と思われがちだが祭りの主役は勅使代である。

源氏物語中、光源氏が勅使を勤める場面が印象的である。大気の不安定な時期に行なわれ、にわか雨に濡れることが多い。

実際に1995年(平成7年)は雨天で中止になった(第二次世界大戦後初)。

 

暴れる馬や いななき続ける馬もいました。

 

      

            

 

 

   

 

  

 

    牛車の後ろをみんなで 押していました。 

 

    

 

    

 

  

 

           

     

 

         

      

 

 斎王代列 

    

 

                            

                                           

 斎王代

 

 

          

 

           

 

    

 

  

 

        

 

 

 

 

    

 

 後ろに居る「牛」は交代用だろうか?          

 

牛、馬の排泄物を収集した軽トラが後からついて行きました。

   

 

前列の方も 立つ人も無く 日傘も閉じて みんなお行儀よく観覧しました 。 

御所で行列を観たのですが 街中を行く行列を観たほうが良かったのでは?と思いました。

 

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珍百景

2011-05-23 | Weblog

 

 

 

 

   この「止水栓」なんでこんなとこにあるんだろう?

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広島市民レガッタ

2011-05-23 | Weblog

 

 

 

 いつもは家族連れがパラパラの川辺に 多くのテントが張られ

大勢の人で賑わっている????何かあるん?

        

ニュースで「第33回 広島市民レガッタ」が開催されたとのこと

 

 

近くでは「水上スキー」を楽しむ人も

 

 

  

帰り路 かっこいいバイクを見ました

 

 

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