したのやムラ便りG

東京の片隅に眠る下野谷遺跡。「したのやムラ」と呼ばれる縄文のムラがありました… (non official site)

「振武軍田無に現る!」飯能市郷土館にいってきました。

2011年12月08日 05時34分58秒 | おしらせ(したのや以外)

文化財ウィークの最終盤。

秋の特別展の多くは今週で終了(練馬の縄文展は12月も開催!)。

あたふたと特別展まわりをしているかめしーた。

昨日は飯能市郷土館へ。

ここでは11日日曜日まで『飯能炎上-明治維新・激動の6日間-』と題した特別展が開催中。

                                                             

飯能戦争と呼ばれる戦いをご存知ですか。

1868年5月に起こった関東での戊辰戦争の戦いの一つ

振武軍を中心とした旧幕府軍と新政府軍が飯能で戦い、新政府軍が圧勝、

飯能市街には大きな被害がありました。

人々が、明治の新しい世の中への大きな転換を肌で感じた戦争です。

                                                               

この振武軍はもともと上野に陣を張り、上野戦争を戦った彰義隊の一部で、

そこから独立し、飯能に陣をはるにあたり、一時終結した場所が「田無」なのです。

田無では西光寺(現総持寺)などに宿泊し、戦いへの準備をしました。

その準備には、名主下田半兵衛の力が大きかったと言われています。

                                                           

今回の展示では、非常に丁寧に資料を集め、とても詳しい解説がされています。

やや、この時代の知識がないと難しいところもありますが、

明治揺籃期の一地域戦争がよくわかる良い展示です。

今回も紹介から時間がなくて申し訳ありませんが、ぜひ見に行ってみてください。

図録はとても詳しく、少し難しいかもしれませんが、買って絶対損はありません。

展示には、「下田家文書」の村絵図も2枚おでかけ展示されていますよ!

                                                            

P1010583a  夕焼けに染まる郷土館。

                                                                

P1010586a  天覧山。麓の能仁寺が振武軍本陣。

                                                                 

P1010582a  郷土館の前には名栗川。

                                                                 

P1010592a  展示会場。立体感ありよかった。

                                                                 

P1010594a  下田家文書の展示。

                               うちでもこんな風に展示してあげたい!

                                                                 

                                                     

P1010595a_2  常設展も楽しくまとまっています。

                                    縄文の食卓。山彦もいるよ!

                                                                

P1010576a  通りにはところどころ古い建物が。

                          飯能戦争で焼けたため明治以降のもの。

                                                                      

P1010567a_2  上のお店の内部。

                                2月半ばから「つりびな」の展示が。

                                                                

                                

P1010568a   こんな風に飯能市が案内板を設置。

                                                                  

P1010579a  こんどはここでウナギを食べよう!

                                                                    

P1010597a  飯能銀座にあった「看板建築」の古い

                               床屋さん。営業中。 月がきれいだった。                                              

                                                            

今回は、時間がなくて、郷土館の近くに点在する、

振武軍が駐屯したお寺の数々に行くことができませんでした。

                                                            

それに、写真のように街歩きも楽しそう。

帰りにちょっとコーヒーを飲んだ、

明治の店蔵を改造した「銀河堂」というコーヒー屋さんも良かったし、

どうも、ここにはかめしーたが

下野谷遺跡・幻の民族学博物館とともに3本柱にしようとしている

「田無宿復興大作戦」のヒントがありそうな気が・・・。

                                                           

ということで、ぜひ、また行ってみたいと思います。

次は「絹甚」さんでつるし雛が飾られる3月にしようかな。

今回の特別展「飯能炎上」は残念ながら12月11日(日)まで。

あと4日ですが、ぜひ、足を運んでみてください。

紅葉も盛りです。

一日ゆっくり楽しめます!

                                                         

飯能郷土館のHPはこちらです。

http://www.city.hanno.saitama.jp/kyodo/

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「振武軍田無に現る」という記事が掲載された12... (凧男)
2011-12-09 22:18:35
「振武軍田無に現る」という記事が掲載された12月8日はアメリカに言わせれば「日本海軍ハワイに現る」という日でしたね…。戊辰戦争は日本の各地で戦われたようです。高校の母校のあった秋田県の大館城は官軍の佐竹藩に属していましたが幕府軍の南部藩に攻められて落城しています。結果的に官軍が勝ち私の故郷の鹿角郡は南部藩から佐竹藩に譲られたようです。その結果、鹿角郡は岩手県(南部藩)でなく秋田県(佐竹藩)に組み込まれました。小さな故郷の歴史です。
返信する
凧男さん。 (かめしーた)
2011-12-12 01:54:31
凧男さん。
日本史の教科書に載っているような歴史の基には、小さな故郷の歴史があります。そして、そんな歴史は一人一人の小さな人間の歴史が作り出したもの。愛しかったり愚かしかったり・・・。
さて、故郷は鹿角ですか。大湯のストーンサークルのあるところですね。
かめしーたがかつて参加していた北極の調査隊には、鹿角の温泉宿の若旦那もおりましたので、数度遊びに行ったことがあります。良いところでした!
返信する
実は「大湯のストーンサークル」は小学校時代に遠... (凧男)
2011-12-13 21:50:38
実は「大湯のストーンサークル」は小学校時代に遠足で行った場所です。数年前に行った時には空撮を試みましたが風がまったく吹かず断念しました。いつか再挑戦してみます。
返信する
凧男さん (かめしーた)
2011-12-16 05:25:45
凧男さん
ストーンサークルの空撮楽しみにしてますね!
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