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不思議な石

2019年11月01日 | 集落

不思議な形の石が見つかった。中央が顔に見え長い手で子供を抱いているように見える。普通に見ただけでは気づかなかった、微妙な光線の影で強調されると顔型がはっきりと見えてくる。

6月ナラ枯れの木を薪ストーブ用に伐採していた。ツバキ等の灌木と落ち葉に隠れていた。約80年樹齢のナラの木は重いのでチェンソーで倒して運びやすい大きさにチェンソーで切り込んでいた。その時不思議な石に気づいた。チェンソーがキーンと何かと接触した。慌ててエンジンを止めた。落ち葉や土を取り除き掘り起こしたら高さが約55㎝、横幅がそれぞれ約34.5㎝ほどあった変三角の形に見えた。

 

掘り起こした石

後日、不思議な石に興味がわき箒をもって丁寧に土を払いのけた。しかし全容が把握できなかったので自宅に持ち帰り水洗いをしてみようと考えた。重量は約50㌔ほどやや水圧の強いポンプで水洗いをした。かなり強い線がみられる。 人為的なものと見られ、自然にはあり得ない線が描かれている。そして最も興味深いのは下記の部分、中央の顔の見える部分の拡大が次の写真。

左側斜めから陽があたると顔の形がはっきりとする

何かを抱いているように見える。水洗い後しばらくして乾き、微妙な陽の光でその部分が強調されてた。どう見ても「子安観音」にみえる。「子安観音」には二つの要素がある。一つは「 安産や幼児の成長を守護するという観世音菩薩」。二つは「 潜伏キリシタンが礼拝した聖母像」。

左 水洗い直後 右同じ部分乾いた状態(同一のもの)

水洗い直後と水が乾いた同じ石の部分を比較するとより鮮明にわかる。水洗いで手の部分が何か硬い鋭利なもので人為的に描かれている。右の写真になるとはっきりと子供を抱きかかえているように見えてくる。子供を抱きかかえる姿はまさに「子安観音」。さらにこの像から部分の

上部斜め右部分、像の頭部から12㎝にある切れ込みは、不鮮明な「十字」に見える刻みがある。十字部の上部分が短い。横線とした下線は人為的な線にも見える。それともこの石の構造からのものだろうか。それ相当の年月経過で風化したからだろうか。

 十字架 ?

集落には「マリア観音像」が祀られてお堂がある。レプリカは稲庭城「今昔館」に展示されている。

以下は水洗いした直後の石の面。 

水洗い後の側面

 

左 強い線が右肩上がり 石の質が違うように見え描かれた線がある。

左 一部が少し小さい面 右 底辺部分

変三角の一部が小さくなり上部にいくほど細くなる。四角の石というほどのものでもない。右側の部分は底辺で何もない。

 

全体高さ55㎝、横幅平均34.5㎝。中央の像の大きさは22㎝。もしかしたらこの石の中央部が顔に見え、母が子供抱いている姿に似ていると鋭利なもので手を加え抱いている姿にのかもしれない。右上部の十字模様とするとブログ、2018.1.25の「麓の子安観音(マリア観音)考で触れたものと関連してくる。

この石の発見された場所「外坪漆」は、明治以前に我が家の持地になっている山林。昭和51年仲間と「草地改良」事業で新たに林道を造成した場所。重機で表土を押し出して作った道。この石はその際重機で押し出されたのかもしれない。この「外坪漆」にはこの場所から200ⅿほど離れた場所にも不思議な場所がある。ブログ、2009.12.5「坪漆と杉の枝打ち」で触れた。

外坪漆の絵図面

明治の坪漆の絵図面、中央部左よりの部分鍵の形に見える白い部分。我家の山林(明治初期には萱場)の隣地。現在は杉林。鍵形の現場は「祭式」の場所にも見える。この場所の地番は記されてはいない。今回の不思議な石出没地点から約200mの地点。関連性は今のところはっきりしない。この地点付近から「矢じり」等の石器らしきものも出てきている。人家から約1Kⅿのこの附近は、ミステリーにつつまれた場所にに見えてくる。 



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