川連には江戸時代に二人の絵師がいた。江戸時代後期から明治初期には「源尚元」通称源光。文政年間には「滕亮昌」がいた。「源尚元」は地元では「源光」さんでとおっている。描かれた絵に「源尚元」と号、落款に源光の印があるのもあった。号とは本名のほかに絵師などがつける雅名で有名な尾形光琳は11もの雅名があったという。その中で好んで使われた「光琳」が一般名として採用された。
源光の描いた神応寺の須弥壇の上両脇の狛犬はすばらしい。狛犬は神社や寺に奉納、設置された空想上の守護獣像。本来は「獅子・狛犬」といい、一般的には向かって右側が口を開いた角なしの「阿像」で獅子、左側が口を閉じた角ありの「吽像」で狛犬とされる。神応寺のもの「阿像」は口が開いているようには見えない。狩野派の絵師は好んで「獅子・狛犬」を描いたとされる「狛犬」像が多く、私は「狛犬」絵を神応寺以外では拝見したことはない。
神応寺狛犬
産土の八坂神社、八幡神社にも大きな掲額がある。
八坂神社 石清水
八坂神社の絵は寛治元年(1087)後三年の役で金沢の柵が八幡太郎義家によって落とされた。義家の軍勢が国見岳の麓を通った。水を求めて弓矢に祈願をこめて岩を窺ったら、不思議にもこんこんと清水が湧いて兵士も軍馬も勢を得た。岩清水という名は源義家が名付けた。絵はその様子を描いたものと伝えられている。八幡神社の掲額は義家の騎馬上の勇姿。
「源尚元」は地元では「源光」さんと呼んでいるが生い立ち等は多くの人は知らないできた。今回平成3年「稲川公民館」の調べを拝見することができた。この調査は川連上野の関亀吉さん(調査当時86歳)からの聞き取りで由緒、沿革、その他参考文項の欄に次の記述がある。
「画家尚元について聞いてみても何故かはっきりしたことがわからない。川連出身であり現在彦四郎屋敷というところがあり、其の處が尚元の生地という。何時の頃からか家も子ども達もわからなくなったと古老達はいう、北海道の親類を頼りに行ったようだと86歳の亀吉氏、彦四郎は尚元の家の名のようだ。今この家の墓は後藤元吉氏がまもっている。源光さんの軸は多く残っている。また神応寺須弥壇両脇の狛犬の絵は源光のものである」。
この度聞き取り調査で「後藤彦四郎」屋敷が少しわかってきた。その場所は川連町上野旧酒井〇〇家付近。隣地の「キロク」の本家と分かった。酒井家は明治中後期酒井孫右衛門から分家し、「後藤彦四郎」家が北海道に渡った屋敷に入ったものと思われる。旧酒井〇〇家がすべて彦四郎屋敷だったのかはハッキリしていない。現在は別の住人が住んでいる。平成に入って旧酒井〇〇家屋敷は人手に渡り、さらに不動産業者へ移転。旧酒井〇〇家の立派な池を配した庭園は庭石と共に埋められ更地状態になっている。もしかしたらあの日本庭園は「後藤彦四郎」屋敷当時からの遺産だったことも考えられる。詳しい事情を知る人は村にはいない。
下左の軸は「若歌三神図」を源光が描き、後藤逸女が柿本人麻呂(古今和歌集)の若歌を書いたもの。上野「ブザエモン」宅から見つかった。「ブザエモン」も後藤の姓で「後藤彦四郎屋敷」の側にある。彦四郎宅との直接の関係はないという。この軸は曽祖父が求めたらしいこと以外わからないという。曽祖父は歌を詠んでいたことから逸女の影響もあったのかもしれない。
和歌三神と古今和歌集 逸女と源尚元 後三年合戦
右の絵は麓の「カクザエモン」宅所有。八坂神社の掲額は烏帽子だったがこの額は兜をかぶっている。源義家後三年の役参戦を描いたものと思われる
下は私宅「養蚕大神」の掛け軸。毎年新年を迎える年越しに床の間に飾る。我家ではこの軸を飾るのは長男の任務と教えられ中学生のころから私の担当になっている。私の子供のころ養蚕もしていたがやめた以後も農業の神様として現在も続いている。
養蚕大神(金色姫)は天竺に生まれ、四度の大苦難ののち、馬鳴菩薩(めみょうぼさつ)の化身として日本に養蚕を伝えたとの伝説。金色姫が右手に桑の木、左手に蚕種を持っている。
養蚕大神
この軸のように「養蚕大神」に日の神、月の神が描かれたのは珍しいとされる。守護神は天照大神は太陽。太陽の方は一方を照らせば一方を陰にしてしまう昼は明るく照らすけれども、夜になるとかくれてしまう。大日如来さまは、どこもかしこも陰にすることなく明るく照らし、昼夜の区別なくいつでもその慈悲の力を発揮する点で、太陽よりはるかに優れていることから「大」とつけられた。軸の一つは月ではなく、夜も照らす太陽を表しているのだろうか。
江戸の絵師は絵には描かれた題材に大きなメッセージが読み取れる。そこには神仏、歴史、和歌等にも精通していた。多くの軸や掲額にふれると絵師の偉大な人物像が浮かび上がってくる。源尚元の軸は集落にまだ収納されているらしい。かつては大晦日に掛け軸を飾り、新年を迎えた。近年時代の移り変わりでこれらの行事はすたれてきた。団塊の以下の世代になると昔から家にあった掛軸等に関心は薄れてきている。源尚元(源光)の存在を知る人は年々少なくなってきている。